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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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128/170

第128話 移住者の灯

 


 ユハンが工房区画の離れへ荷を入れた朝、領都の空気が少しだけ変わった。


 大きな荷ではない。

 寝具。

 道具袋。

 炭袋が二つ。

 それだけだ。


 でも、空いていた家へ人の荷が入ると、それだけで景色が動く。

 炉の近くを通る人間が一度だけ足を止め、

「あれが新しい鍛冶師か」

 と小さく言う。


 ローエンは素直には歓迎しなかったが、炉の前を一つ空けていた。

 ユハンも愛想よく頭を下げたりはしない。

 その代わり、朝から黙って鍬刃の山へ手をつけた。


 午前のうちに、二人目が来た。


 大工見習いの少年だった。

 名はミル。

 父親筋の工房が潰れ、母と二人で流れてきたと言う。


「見習いです」

 と本人は言った。

「継ぎ手はまだ遅いです」

「でも刃物は研げます」

「木取りも、言われた通りなら外しません」


 トーマスがそこで、少しだけ目を上げた。


「自分で遅いと言う奴は珍しいな」


「速いって言って、すぐばれるよりましです」


 その答えに、トーマスの口元がわずかに動く。

 完全に笑ったわけではない。

 だが悪くない反応だった。


 簡単な手元を見て、トーマスは短く言った。


「見習いなら使える」

「母親は」


「洗い物と炊き出しなら」

 とフィアナがすぐ控えへ書く。

「家族帯同で受けます」


 昼過ぎには、石工の親子も現れた。

 父のゲルトと、息子のエミル。

 どちらも口数は少ないが、指と爪の割れ方が職人のものだった。


「札を見た」

 とゲルトが言う。

「最初は嘘かと思った」

「でも鍛冶師がもう入ったって聞いた」


 噂は早い。

 人が来た、という事実は、札の文面より強い。


 試験工区まで案内すると、ゲルトは木樋の下を見て、

「受け石を先に替えた方がいい」

 と一言だけ言った。


 それで十分だった。

 見てすぐ役に立つ言葉だ。

 今のフェルドに欲しいのは、それだった。


 夕方には、工房区画の空き家に三組ぶんの荷が並んでいた。


 鍛冶師一人。

 大工見習いと母。

 石工親子。


 多いとは言えない。

 領地を変えるほどの数でもない。

 それでも、ゼロではなくなった。


 エルザが離れへ運ばれる鍋を見て、少し驚いた顔をする。


「本当に増えるんですね」


「増えるよ」

 とマルタが言う。

「だから飯も増える」

「宿も洗い場も忙しくなるね」


「はい」


 その返事は、前より少し明るかった。


 工房区画の端では、ミルが戸板の寸法を測っている。

 その横でトーマスが無言で刃物の持ち方を直した。

 鍛冶場では、ユハンがローエンの隣で留め具を打っている。

 まだ会話は少ない。

 でも火花の散る間合いだけは、もう仕事場のものになり始めていた。


 石工親子には、試験工区の補強案を見せた。

 ゲルトは派手なことを言わず、

「ここは持つ。こっちは早い」

 と必要な場所だけ指す。

 フィアナがそれをすぐ控えへ落とす。


 夕暮れ、レオンは工房区画の入口で立ち止まった。


 炭の匂い。

 削られた木の匂い。

 濡れた石の匂い。


 春の風の中に、前までなかった仕事の匂いが混じっている。


「最初は一人でも、大きいですね」

 とフィアナが言う。


「もう一人じゃなくなったけどな」

 とレオン。


 彼女は小さく頷いた。


「はい」

「少ないです」

「でも、来ています」


 逃げる土地だった。

 寒くて、遠くて、払わない土地だった。

 その評判が、一度や二度の札で消えるわけじゃない。


 それでも今日、何人かは北門を越えてこっちへ来た。

 食えるか、眠れるか、残れるか。

 その計算の先に、フェルドを置いた。


 夜、実務室へ戻ると、住まいの一覧の空欄が少し埋まっていた。

 工房区画の端。

 旧役人筋の離れ。

 井戸に近い一軒。


 埋まったのは数行だけだ。

 だが数行ぶん、人が増えた。


 ヘルマンが控えを閉じながら言う。


「ようやく“呼ぶ”が形になってきましたな」


「まだ灯が点いたくらいだ」

 とレオンは答えた。


「今のフェルドには十分です」

 とフィアナが言う。


 その通りだった。


 領都の端では、火が一つ増えた。

 戸の閉まっていた家に、荷が入った。

 朝になれば、また別の仕事が始まる。


 フェルド領はまだ豊かでも強くもない。

 それでも初めて、ここが“逃げる土地”ではなく、

 “来る土地”になり始めていた。

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