第123話 簡易設計
レオンは土木屋ではない。
前世でも、川を掘ったことはない。
石を積んだこともない。
知っているのは、壊れた流れをどう最低限つなぎ直すか、という種類の実務だけだった。
部署が詰まれば、全部を直す前に一本通す。
穴が多ければ、まず致命傷になる場所を塞ぐ。
立派な完成図より、今週回る形を作る。
それを水路へそのまま持ち込めるかは分からない。
でも、今のフェルド領に要る考え方は近い気がした。
朝から机の上には地図が広がり、フィアナが古い記録を横へ並べていた。
ヘルマンは落差と区画を確認し、トーマスとローエンも呼ばれている。
「石組みを全部戻すのは切る」
レオンは最初にそう言った。
「今年はそこまでやれない」
トーマスが腕を組む。
ローエンは紙の端を覗き込んだ。
「じゃあ何で通すんです」
とトーマス。
レオンは地図の一か所を指した。
「ここまでは今の主水路を使う」
「問題は分岐の先だ」
「崩れてる角は石で直さない。土を切り直して、木で流れを逃がす」
「途中の落ちたところは木樋で跨ぐ」
「弱い土手は枝束と土留めで持たせる」
ローエンが顔を上げる。
「木樋ってのは、板で箱みたいに組む形か」
「そうだ」
レオンは頷く。
「長くは持たなくていい」
「今年の春と夏を通せればいい」
トーマスは顎に手をやった。
「できなくはない」
「見た目はだいぶ粗いが」
「見た目は今いらない」
とレオン。
その時、部屋の端で控えていた古参家臣の一人が鼻で笑った。
「王子殿下は、土いじりまでなさるのですな」
「木を並べて水が言うことを聞くなら、誰も苦労はしません」
言い方は丁寧だが、中身ははっきりしていた。
素人案だと言いたいのだろう。
別の家臣もそれに続いた。
「仮に流れても、すぐ崩れます」
「春耕の手を止めて、村に無駄働きをさせるだけでは」
「失敗した時、笑われるだけならまだよい」
と最初の古参が言う。
「水を外せば、種も人手も一緒に無駄になりますぞ」
空気が重くなる。
机の上の紙だけではなく、責任の置き場がはっきり見えた。
レオンはそちらを見た。
「聞くが」
「今ある人手と資材で、石の本工事をいつ始められる」
古参は一瞬黙った。
答えにくい問いだった。
「すぐには、難しいでしょう」
「だろうな」
レオンは地図へ視線を戻す。
「じゃあ笑う前に、今春に通せる案を出してくれ」
空気が少しだけ冷えた。
だがフィアナはそこで助け船を出さなかった。
代わりに、別の紙を静かに置く。
「これは去年までの耕作面積です」
「そしてこちらが今年、種と人手で戻せる面積」
「本工事を待てば、この差は埋まりません」
「ですが簡易案で上の区画まで通せれば、一村ぶんの戻り方が変わります」
数字で置かれると、笑いは弱くなる。
それが今の領地だった。
ヘルマンが古い記録を叩いた。
「昔もやっておりますな」
「木樋、土留め、春だけの仮水路」
「立派ではないが、飢えの年にはこれで持たせておる」
「つまり素人の思いつきではない」
とセリスが言った。
「古いやり方を、今の制約に合わせて拾い直しただけです」
「言い方が刺々しいな」
とレオン。
「褒めています」
と彼女は平然と返す。
トーマスが図面を覗き込みながら言う。
「問題は長さです」
「一本二本なら組めますが、何村も同時は無理だ」
「木を切る手も、合わせる手も足りません」
「だから一つだけやる」
レオンは即答した。
「全部やろうとして全部遅れるのが一番駄目だ」
フィアナがその言葉をそのまま受けた。
「試すならローデです」
「村の人数が残っていて、既存水路も半分生きている」
「成功すれば見える成果になるし、失敗しても領全体は止まりません」
ハンスも呼ばれ、地図の前で深く頷いた。
「うちで受けます」
「ただし、失敗したら笑われるのも先でしょうな」
「先に笑われるくらいで済むなら安い」
とレオンは言った。
「今年の春に要るのは、面子じゃなくて水だ」
ローエンが口元だけで笑う。
「嫌いじゃないですね、その言い方」
午後には、図面と呼ぶにはまだ粗い紙が三枚できた。
分岐の切り直し。
木樋で跨ぐ一か所。
土手を持たせる短い土留め。
必要な材木、縄、鉄具、人数。
完璧ではない。
だが、今のフェルド領には十分に具体的だった。
夕方、最後に残った古参家臣が低く言う。
「やるとしても、春の仕事を削りますぞ」
「農具修理も、畑の見回りも、村の手当ても、どれも減らせる余裕はない」
「削らない」
レオンは答えた。
「試験工区は一村だけだ」
「その代わり、記録は全部残す」
「人手、材、日数、流れ方。通ったら次へ広げる。駄目なら切る」
統治の言葉だった。
気合ではなく、試して残す。
前世ではできなかったやり方を、今はこの領地でやるしかない。
その夜、フィアナが図面をまとめながら小さく言った。
「殿下らしい案ですね」
「褒めてるのか」
「はい」
彼女は頷く。
「全部を救う形ではなく、全部を遅らせない形です」
窓の外はもう暗い。
でも机の上には、水の通り道が一本だけ見えていた。
翌朝、その一本を本当に掘り始めることになる。




