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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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121/154

第121話 春の視察

 


 祭りの翌々日、レオンは朝のうちから北門の外へ出ていた。


 広場の余韻はもう薄い。

 灯りも机も片づき、石畳にはまた荷車の轍が戻っている。


 それでも、祭りの後の領都は少しだけ違って見えた。


 歩く人間の顔が、冬の終わりより前を向いている。


「浮かれている間はなさそうですね」

 とフィアナが言った。


「この領地でそれを期待する方が無茶だろ」


 二人の前を、鍬を積んだ小荷車が揺れていく。

 冬のあいだ木材運びに出ていた若い男が、今日は畑へ戻る顔をしていた。


 今日は村を回る。

 祭りの夜にハンスが口にした、水路の話を確かめるためだ。


 ローデ村の手前までは、泥の色が前より少し明るかった。

 踏まれた土に、最近の人の出入りが残っている。

 畑の端には、春耕に入れた区画もあった。


 黒い土が起こされ、浅い畝が引かれている。

 まだ広くはない。


 だが何も動いていなかった冬に比べれば、それだけで大きい。


「戻れている場所は、確かに戻れているな」

 とレオンは言った。


「はい」

 フィアナは頷いた。

「でも、全部ではありません」


 ハンスが村外れで待っていた。

 帽子を取って一礼し、それからすぐ畑の方へ向かう。


「こっちです」


 案内された先で、差ははっきり見えた。


 手前の低い区画には、鍬の跡がある。

 人も入っている。


 だが一段上の土地へ上がると、途端に景色が変わった。


 土は固いまま。

 去年の枯れ草が寝ている。

 踏み込んだ者の数も少ない。


「ここから上が止まっています」

 とハンスが言う。

「人手だけじゃありません。水です」


 レオンは畑の縁へしゃがんだ。

 下の区画はまだ湿り気がある。

 けれど上の区画は、土の色が違う。

 乾きすぎてはいないが、耕しに入るには弱い。


「上へ回らないのか」


「昔は回っていました」

 とハンス。

「細い横水路があったんです」

「でも、一昨年の崩れで半分埋まりましてな。去年は直す余裕もなく、そのままです」


 フィアナが周囲を見た。


 畑を分ける土の畦。

 その脇に、たしかに浅い溝の跡がある。

 ただし途中で崩れ、土に呑まれていた。


「この村の中だけでも、高い区画と低い区画で差が出ていますね」

 と彼女が言う。

「村どうしの上流下流の話とは、別に」


「ええ」

 ハンスは苦い顔で頷いた。

「戻れるところから戻すしかないのは分かります」

「ですが、上の区画の家は、その“戻れるところ”の外へ置かれやすい」


 それは春の新しい不満になりうる話だった。

 冬は足りない物を分け合った。

 春は、戻れる場所と戻れない場所が隣り合う。


 レオンは立ち上がり、さらに先を見る。


 別の村でも似た景色だった。

 森縁では低地だけが黒く起こされ、少し高い畑はまだ灰色に沈んでいる。

 北谷では、流れに近い区画が先に動き、遠い区画は様子見のままだった。


「人手の差だけじゃない」

 レオンは歩きながら言った。

「水が入る場所から先に戻ってる」


「はい」

 フィアナは即答した。

「道具と種は薄くても、順番で何とかできます」

「でも水は、来ない場所へは来ません」


 昼を過ぎた頃、二人は古い取水口の跡まで上がった。


 石組みは残っている。

 だが角が崩れ、流れは細く、枝のように分かれるはずの筋は半分以上が土で埋まっていた。


「思ったより酷いな」

 とレオン。


「冬の間は見えていませんでした」

 フィアナが静かに言う。

「鍋と薪と見回りの方が、先に人を殺しましたから」


 その言い方は冷たいのではなく、ただ順番の話だった。


 レオンは流れを見た。

 水そのものが消えたわけではない。

 だが、行くべき場所へ行っていない。


 その夜、領都へ戻ったあとも、泥のついた地図が机に残った。


 戻った畑。

 戻れていない畑。

 そして、その差を作っている水路。


 レオンは控えへ目を落とした。

 食糧の次は水だ。

 たぶん、もう間違いない。


 暖炉の前でフィアナが言う。


「春の不足は、冬の不足より見えにくいですね」


「でも放っておくと、来年まで残る」

 とレオンは答えた。


 祭りの夜に笑っていた広場の向こうで、まだ乾いたままの畑が広がっている。

 今度の再建は、そこへ水を通せるかどうかだった。


 翌朝、フィアナは古い地図と工事記録を全部出すと言った。


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