第119話 並んで立つ二人
朝から広場には、人の気配があった。
昨日の準備を見ていた者たちが、今日は最初から集まっている。
鍋目当ての者もいる。
出店を見に来た子どももいる。
本当に祭りらしいものになるのか、まだ半信半疑の顔も多い。
でも、誰もいない広場ではなかった。
レオンは領主館の石段を下りながら、その光景を見ていた。
長机は粗い。
飾り布も寄せ集めだ。
出店は小さい。
それでも、広場が“待つ場所”ではなく“集まる場所”へ戻りつつあるのが分かる。
「思ったより来たな」
と彼は言った。
隣を歩くフィアナが頷く。
「皆、来る理由を探していたのかもしれません」
「鍋の理由か」
「それでも、です」
否定しないのが彼女らしい。
現実を綺麗に言い換えない。
でも、その先も見ている。
広場の中央には小さな台が作られていた。
演壇と呼ぶには低い。
けれど、人の前へ立つには十分だった。
「本当に上がるんですか」
とレオン。
「止めなかった責任です」
とセリスが後ろから言う。
嫌な言い方だが、間違ってはいない。
レオンは小さく息を吐いて、台の前へ進んだ。
人の視線が集まる。
前のような、冷えた不信だけではない。
様子を見る目。
測る目。
期待したいが、まだ全部は預けない目。
それでも以前とは違った。
少なくとも“また王都から来た飾り”を見る目ではない。
フィアナが一歩横へ並ぶ。
灰銀の髪が朝の光を少しだけ返した。
この人が広場で、自分と並んで立つ。
それは数か月前なら考えにくいことだった。
レオンは短く周囲を見た。
長く喋る場じゃない。
「今日は小さい祭りだ」
と彼は言った。
ざわめきが少し静まる。
「大きなことはできない」
「でも、冬は越えた」
「畑へ戻る人も出た」
「だから今日は、今年を始める日だと思ってくれ」
前の列の顔が少しだけ上を向く。
「持ち寄れるものがあるなら持ち寄ってくれ」
「ないなら、鍋を食べて帰ればいい」
「来ただけでも十分だ」
それだけ言って、レオンは下がった。
長く整えすぎるより、この領地にはその方が合う。
横で、フィアナが口を開く。
「冬の間、厳しい判断を多くしました」
「恨まれたことも、分かっています」
広場は静かだった。
ここで取り繕わないのが、彼女だ。
「それでも今日、広場を開けたのは」
「この領地が、配るだけの場所で終わらないと示したかったからです」
薄灰の瞳が、前の列をまっすぐ見る。
「皆が同じだけ楽になったわけではありません」
「今も足りない家があります」
「戻れていない畑もあります」
「ですが、戻り始めたものもあります」
彼女はそこで、小さく息を継いだ。
「だから今日は、少しだけ顔を上げてください」
「春は、下を向いたままでは始められません」
その言葉は長くない。
なのに妙に残った。
レオンは横で聞きながら思う。
この人はやっぱり、言葉を飾らない。
でも今は、その真っ直ぐさが以前より届く。
広場の前の方で、子どもが一人、母親の手を離して小さく拍手した。
それにつられて、別の子も真似をする。
大人たちの間に、少し遅れて笑いが混じった。
「始めろ」
とレオンが下へ向けて言う。
マルタがすぐ鍋場へ合図を飛ばす。
笛を持ってきた若者が、少しぎこちない音を鳴らした。
出店の布が風に揺れる。
子どもの列が前へ動く。
市場の端で、木皿が一枚売れた。
それだけで広場は、一気に祭りの中へ入った。
レオンとフィアナは台を下りる。
その瞬間、前の列にいた老女が小さく頭を下げた。
「殿下」
「お嬢さま」
二人まとめて呼ぶ声だった。
前なら、同じ呼ばれ方はしなかった。
王都から来た王子と、冷たい令嬢。
別々の、不信の対象だった。
今は違う。
まだ完全ではない。
でも少なくとも、領地の前へ並んで立つ側として見られている。
「……見られ方が変わりましたね」
とフィアナが小さく言う。
「少しだけな」
「はい」
彼女は広場の方を見たまま頷いた。
「少しだけです」
でも、その少しが大きい。
統治はたぶん、そういう積み上げでしか形にならない。
鍋場の前では、マルタが子どもへ器を渡していた。
出店の方ではリナが布の端切れを売っている。
トーマスは自分の作った木皿の説明を不器用にして笑われていた。
カイルは警戒を解かないまま、それでも以前より少し軽い顔で広場を見ている。
人が動き、声が混じる。
冬の広場にはなかった景色だ。
その時、レオンの袖を小さく引く手があった。
見れば、前にフィアナへ「お嬢さま」と呼びかけていた子どもだった。
今日は手に、粗い花を一本持っている。
「これ」
と差し出してくる。
「俺に?」
子どもは頷いたあと、横のフィアナも見た。
少し迷って、それから言う。
「ふたりに」
レオンは一瞬だけ黙った。
大した花じゃない。
道ばたの、細い春の花だ。
それでも、前世でこういうものを受け取った記憶はほとんどない。
フィアナがしゃがんで、子どもと目線を合わせた。
「ありがとうございます」
子どもは照れたように笑って、すぐ母親のところへ戻っていく。
レオンは受け取った花を見た。
隣でフィアナも、同じように細い茎を指先で支えている。
まだ王でも王妃でもない。
そこまでの話は、ずっと先だ。
でも今この広場では、二人が並んで立つ意味が、もう少しだけ変わっていた。
夕方には、広場の灯りがまた増える予定だった。
その灯の下で何が残るのかを、レオンは少しだけ知りたくなっていた。




