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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第118話 準備の灯

 


 広場の朝は、祭りというにはまだ地味だった。


 長机が三つ。

 風よけ板が二枚。

 鍋を置く台。

 使い回しの布を洗って張っただけの飾り。


 去年までのフェルド領なら、これでも多い。

 今のフェルド領なら、これが限度だった。


 フィアナは石畳の上に立ち、広場全体を見ていた。

 風はまだ冷たい。

 けれど冬の痛さではない。

 布が揺れるたび、春の乾いた音が混じる。


「ここを祈りの場にします」

 と彼女は言った。

「鍋は向こう。子ども用は手前に」

「出店は壁沿いへ寄せてください。通路を残します」


 トーマスが木槌を肩に担いで頷く。


「机の足は昼までに全部見ます」

「ただ、見た目は期待しないでくれ」


「倒れなければ十分です」


 ローエンは鍋台の金具を締めながら嫌そうな顔をした。


「祭りの準備って聞くと華やかそうだが、やってることは修理だな」


「この領地で華やかを期待する方が間違いです」

 とセリス。


「夢がねえな」


「夢より固定具です」

「倒れた鍋の方が悪夢でしょう」


 近くで紐を結んでいた若い兵が少し笑った。

 こういう小さな笑いが、最近の広場には増えた。

 大きくはない。

 でも前はなかった。


 マルタの鍋場はもう動いている。

 豆の量。

 塩の加減。

 子ども向けに少し柔らかく煮る。

 指示が飛ぶたび、炊き出しがただの施しではなく、今日の行事になっていく。


「器は足りますか」

 フィアナが聞く。


「持ち寄り込みなら何とか」

 とマルタ。

「ただ、持ち帰り分を欲張る家は出るでしょうね」


「札を分けます」

 とセリス。

「その場で食べる分、子ども分、持ち帰り分」

「祭りだからといって、翌日の混乱までは面倒を見ません」


「そこは本当に変わりませんね」

 とフィアナ。


「変えると、翌日が地獄になります」


 広場の端では、出店の準備も始まっていた。

 干した魚を少し。

 春先の根菜を少し。

 布の端切れ。

 木工の小皿。

 鍛冶場で出た小さな金具。


 豪華な市ではない。

 けれど、売る物があるというだけで空気は少し違う。


 宿屋の娘リナが、布を抱えて駆けてきた。


「これ、店の奥に残ってた飾り布です」

「汚れてるけど、洗えばまだ使えます」


「助かります」

 とフィアナ。


「助かるなら持ってきますよ」

 リナは笑った。

「最初は誰も本気にしてませんでしたけど、広場に何か立ち始めると見に来るんですよね」


 その言葉通り、昼前には広場の周りへ人影が増え始めた。


 通りすがりの女。

 買い物ついでの老人。

 修理待ちの若い男。

 子どもを連れた母親。


 皆、すぐには近づかない。

 少し離れたところから見る。

 本当にやるのか。

 何を出すのか。

 変に取り上げられたりしないか。

 そういう顔だ。


 フィアナはその視線を感じながら、祈りの台へ布を掛けた。


 昔の祭りなら、もっと整っていたのかもしれない。

 花も、音も、人も。


 でも今は、戻せるところから戻すしかない。


「ベルクライン様」


 振り向くと、没落した家臣筋の年配夫人が立っていた。

 冬の鍋場にも並んでいた顔だ。

 今は小さな籠を抱えている。


「これを」


 差し出された籠の中には、乾いた香草と、形の崩れた小さな菓子が数枚入っていた。

「売り物にはなりませんが、机に置くくらいなら」


 フィアナは少しだけ言葉を失った。

 断るものではない。

 けれど、受け取っていいのか一瞬迷う。


「……ありがとうございます」


 夫人は小さく頭を下げた。

 それ以上のことは言わない。

 ただ、置けるものを置きに来た顔だった。


 それが一人で終わらなかった。


 古い布を持ってくる者。

 祈りの台へ置く枝を持ってくる子ども。

 細い笛を一本だけ持ってくる若者。

 売れるほどではないが、机に並べるなら、という品。


 どれも小さい。

 でも、その小ささで広場が少しずつ生き物みたいになっていく。


 フィアナはその様子を見ながら、胸の奥が不思議に静まるのを感じていた。


 王都の社交は、最初から整っていた。

 灯りも花も、並べる人間も。

 だがそこに自分の居場所はなかった。


 今ここで整えられていく広場は違う。

 粗い。

 足りない。

 飾りも揃っていない。

 それでも、誰かが自分の手で足していく。


「顔が違いますね」

 とセリスが横で言った。


「何がですか」


「前よりです」

「王都の話をした時の顔ではありません」


 フィアナは少しだけ黙った。

 それから、布の端を直しながら答える。


「今は、ここが現場ですから」


 午後になると、子どもたちが近くまで寄ってきた。

 鍋を見に。

 飾り布を見に。

 出店の木皿を触りたそうにしながら、母親の袖を引く。


 マルタが言う。


「明日まで待ちな」

「今日は準備だけだよ」


「ちょっとだけ見てもいい?」

 と一人の子が聞く。


「見るだけならね」


 そのやり取りだけで、広場の空気が少し柔らかくなる。


 日が落ちる頃、長机の上へ仮の灯りが置かれた。

 火油は少ない。

 だから小さな灯りを点々と並べるだけだ。


 それでも、暗くなり始めた広場にひとつずつ火が入ると、景色が変わった。


「……本当にやるんですね」

 と、近くにいた若い母親が呟いた。


 誰に向けた言葉でもなかった。

 でもフィアナには聞こえた。


 本当にやる。

 その一言だけで十分だった。


 冬の間、約束は何度も裏切られてきた。

 だから人は、始まるまで信じない。

 それが今、灯りひとつで少しだけ変わる。


 広場の端では、もう明日を待つように立ち止まる人がいる。

 帰る前に、もう一度振り返る子どもがいる。


 祭りはまだ始まっていない。

 でも、広場にはもう灯が入っていた。


 そして明日は、その灯の前へ、レオンとフィアナが並んで立つことになる。


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