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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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115/143

第115話 軍の余り

 



 北倉は、領都の北壁寄りにあった。


 兵舎と呼ぶにはもう古い。

 石壁の継ぎ目は黒く、屋根の端には去年の雪がまだ残っている。

 門前の土も踏まれていない。

 使われていない場所特有の、静かな乾き方をしていた。


 来る前に、ヘルマンから一つだけ聞かされている。

 倉番上がりの老兵が一人、まだ見張りみたいに詰めているらしい。

 正式な番ではない。

 ただ、完全な空倉にもなっていないということだ。


 レオンは錠前の前で立ち止まった。


「嫌な感じがするな」


「誰も触らない倉は、開ける前が一番綺麗です」

 とセリスが言う。

「中は大抵、面倒が積もっています」


「希望の持てない言い方だ」

 とレオン。


「事実ですので」


 ヘルマンが嫌そうに鍵を選ぶ。

 フィアナは控えの写しを手元で広げていた。

 ドルクは周囲を見回り、門脇の詰所まで一度目をやってから戻ってくる。


 錠が外れる。

 扉を押すと、冷えた埃の匂いが出た。


 中は暗い。

 でも空ではなかった。


 棚には巻かれた縄。

 壁際には予備車輪。

 奥には木箱。

 馬具の束。

 古い天幕布。

 折れた槍柄の山。

 鉄具の入った箱。

 荷車の横木らしい材もある。


「あるな」

 とレオン。


「ありますね」

 フィアナも低く言った。


 ただし、その瞬間にもう一つの声が飛んだ。


「待っていただきたい」


 入り口に立っていたのは、北兵舎側の武官だった。

 鎧ではなく厚手の上着だが、立ち方だけで軍の人間だと分かる。


「そこは軍用備蓄です」

「領地の判断で崩されては困る」


 案の定だった。


 レオンは振り向く。


「今使ってるのか」


「現時点で出してはいません」

 武官は言葉を選んだ。

「しかし、使っていないことと、勝手に流用してよいことは別です」


「勝手にはしない」

 とレオン。

「確認して、使い道を決める」


「本来の用途を外れる」

 武官は硬い声のまま続ける。

「馬具は軍馬用です。車輪は兵站車用。天幕は野営用」

「春耕へ回す前例など」


「前例がないから何だ」

 とレオンは遮った。

「今ここで腐らせる前例は、もっと要らないだろ」


 空気が少し張る。


 ドルクが半歩だけ前へ出た。

 だがレオンは手で止める。


「俺は軍を軽く見てるわけじゃない」

 レオンは倉の中を指した。

「でも、使われず眠ってる物は備えじゃない。置き場を失った資材だ」

「今のフェルド領で先に死ぬのは、敵襲より畑の方だ」


 武官の顔は固い。

 反発そのものというより、線を越えたくない顔だった。

 役目として止めているのだろう。


 その時、倉の奥から別の声がした。


「線を守って畑が死ぬなら、兵站の方が笑えませんな」


 皆がそちらを見る。


 片脚を少し引く老兵が、木箱の陰からゆっくり立った。

 詰所に残っていると聞いた、倉番上がりの男なのだろう。


 武官が顔をしかめる。


「まだ居られたのですか」


「倉番の最後の見張りみたいなものです」

 老兵は肩をすくめた。

「誰も来ない倉なので、たまに埃の数を見ておりました」


 ふざけた言い方だが、目は笑っていない。


「第二殿下の下で、北便の軍需を見ていた者です」

 と老兵はレオンに向かって言った。

「言っておきますが、軍の余りを腐らせるのは一番みっともない」

「戦で使わぬ余りは、次の生き残りへ回すべきです」


 武官が低く返す。


「軍の理屈を、勝手に」


「勝手ではない」

 老兵は箱の上の札を指した。

「見てください。三年前の更新前馬具。旧型車輪。折損槍柄。交換予定の天幕布」

「今の北境砦じゃ半端で使いにくいものばかりだ」

「だから寝た」

「寝たなら起こして、別の役へ回せばいい」


 フィアナがすぐ近づき、札を見る。

 たしかに古い。

 しかも数が中途半端だ。

 軍として揃えて使うには端数でも、領地の再利用にはちょうどいい。


 レオンは棚を一つずつ見ていった。


 馬具はそのまま軍馬用だが、革は生きている。

 荷車の横木は削れば農具の柄へ回せる。

 予備車輪は荷運び用の小車へ回せる。

 天幕布は種と乾物の袋になる。

 槍柄の一部は切り出して鍬や鋤の柄にできる。

 鉄具は鍛冶場で打ち直せば歯になる。


「トーマスとローエンを呼ぶ」

 とレオンは言った。

「木工と鍛冶で見れば、すぐ切り分けられるはずだ」


「……そこまでやるおつもりですか」

 武官が言う。


「やる」

 レオンは即答した。

「今年の春に必要なのは、飾っておく整った備えじゃない」

「畑へ戻せる手だ」


 老兵が鼻で笑った。


「よい」

「第二殿下もそう言うでしょうよ」

「兵の余りは、兵を食わせる場所へ回せと」


 その一言で、武官の顔から少しだけ強張りが抜けた。

 ガレスの名は、この手の場では効く。

 軍を軽んじるためではなく、現場へ通すための名だからだ。


 フィアナがすぐ段取りへ入る。


「木材は三つに分けます」

「柄へ回せるもの、車輪へ回せるもの、補修材」

「馬具は革と金具を分けて、農耕用へ流用できる形を見ます」

「天幕布は洗って乾かし、袋へ」


「鉄具は鍛冶場へ」

 とレオン。

「歯に打ち直せるか、ローエンに見てもらう」


 セリスがその場で控えを書き始める。

 誰が何を持ち出し、何へ転用するか。

 後で揉めないように、先に残す。


「武官殿」

 レオンは入り口の男へ向いた。

「軍の名を外さない」

「控えは全て残す。必要なら砦側にも写しを回す」

「その上で、今年だけは領地再建優先で借りる」


 借りる。

 その言葉を選んだのは正解だったらしい。

 男は少し黙り、それから不本意そうに頷いた。


「記録が残るなら」


「残す」

 とレオン。


 話が決まると、倉は急に仕事場の顔になった。


 トーマスが木を見て唸る。

 ローエンは鉄具箱を開けて、すぐ嫌そうな顔をした。


「面倒だな、これ」

「でも、打ち直せば使える」


「使えるならそれでいい」

 とレオン。


「殿下、そういう言い方する人、鍛冶場じゃ嫌われますよ」

 ローエンは言いながら、もう箱を抱えていた。


 昼までに、倉の中身は三列に分かれた。

 畑へ回すもの。

 運搬へ回すもの。

 残すもの。


 全部ではない。

 でも十分に大きい。

 眠っていた余りが、ようやく春の言葉に変わり始める。


 夕方、実務室へ戻った頃には、トーマスから最初の見立てが来ていた。


 柄へ回せる木材、二十七。

 小車の修理に使える車輪、六。

 天幕布から袋へ回せる分、三十余。

 農耕用へ流用可能な革具、一式。

 鉄歯は打ち直し次第。


 レオンは紙を見て、小さく息を吐いた。

 勝ち切ったわけではない。

 でも動いた。

 この章の転としては十分だ。


 フィアナが言う。


「明日、最初の分をローデと北谷へ回せます」


「早いな」


「遅らせる意味がありません」

 彼女はいつもの調子で答えた。

「人が畑へ戻るかどうかは、道具が届くかで決まります」


 その通りだった。


 冬の間は、列があるかで空気が変わった。

 春は違う。

 道具が届き、土へ入る人が戻るかどうかで、領地の顔は変わる。


 窓の外は、まだ冷えている。

 でも明日の朝は、鍋場だけじゃない。


 畑の方にも、人を動かす列ができるかもしれなかった。


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