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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第114話 足りない種

 



 フィアナは、種の一覧を見る時だけ少し呼吸が浅くなる。


 鍋の数や控え札なら、まだ動かせる。

 見回り記録も、穴は埋められる。

 だが種は違う。

 ないものは、ない。

 しかも春は待ってくれない。


 朝から机に広がっているのは、村ごとの申告だった。


 残していた種籾。

 食い繋ぎで崩した分。

 湿気で駄目になった分。

 隣家へ借りた分。

 返せる見込みのある分。


 どれも暮らしの跡そのものだ。

 きれいな在庫表にはならない。

 だからこそ、嘘が少ない。


「北谷は三割」

 フィアナは言った。

「森縁は四割弱」

「南端は家ごとの差が大きい」

「ローデは水路の近い家だけなら動けますが、村全体を戻すには足りません」


 ヘルマンが古い指で紙を叩く。


「足りぬ、では済みませんな」

「蒔き始めてから止まる方が酷い」


「分かっています」

 フィアナは短く返した。


 机の向かいで、レオンは地図へ小さな印を置いていた。

 戻せる畑。

 戻しにくい畑。

 今年は切るしかない畑。


「全部を薄く戻すのは無しだ」

 とレオンが言う。


「はい」

 フィアナは即答した。

「水と人手が残る場所から、再耕作地を絞ります」

「今年は広くではなく、確実にです」


 マルタが控え板を抱えたまま、嫌そうな顔をした。


「その言い方、嫌われますよ」


「知ってる」

 とフィアナ。


「でも言うしかない」

 とレオンが続けた。

「今年の春に必要なのは、気持ちのいい言葉じゃない」


 そのまま村の代表を入れた話し合いになった。


 広間へ集まった顔は、思ったより暗くない。

 雪が緩み、道が開き、やっと畑の話ができる。

 それだけで人は前を向く。


 だからこそ、切る順番を告げるのは重かった。


 フィアナは立ったまま言う。


「今年、全ての畑は戻せません」


 ざわめきが走る。


「種が足りません。農具も足りない。牛馬も薄い」

「この状態で全体へ均等に回せば、どこも中途半端になります」

「ですから今年は、水路が残り、人手が揃い、収穫へ繋がる地から先に戻します」


 一人の男がすぐ立ち上がった。

 南端の村から来た年若い男だった。


「うちは切られるってことですか」


「今年の主耕作は後になります」

 フィアナは視線を逸らさない。

「ただし、家ごとの小区画と菜園は切りません」

「完全放棄ではありません」


「でも結局、後回しだ」


 その声に別の村長が渋い顔をした。

 後回しと言われれば、置いていかれるように聞こえる。


 フィアナは一拍だけ黙り、それから言った。


「戻したいです。全部、戻したい」

「でも今年は、戻せる場所から戻さなければ、来年も全部戻りません」


 場が静まる。

 怒鳴り返さない。

 綺麗にも飾らない。

 その言い方は、王都の広間なら好かれなかっただろう。


「優先表は、後で各村へ写しを渡します」

 とフィアナ。

「水路、労働力、残存農具、移送のしやすさ。この四つで見ています」

「不満があるのは承知しています」

「ですが、理由は明示します」


 村長の一人が重い息を吐いた。


「厳しいな」


「ええ」

 とフィアナ。


 そこでレオンが口を開いた。


「でも、去年よりましだ」


 視線が集まる。


「去年は誰も順番を決めなかった」

「だから強い所から先に持っていった」

「今年は違う」

「嫌われても順番を残す。残した理由も渡す」

「それができるだけ、前より進んでる」


 その言葉で、場の空気が少しだけ落ち着いた。

 納得ではない。

 でも、怒りの向きが散らなくなる。


 ローデ村のハンスが低い声で言う。


「うちの低地を先に回せるなら、それでいい」

「全部と言って全部死ぬよりましだ」


「ただ」

 と別の村長。

「種はどうする」

「戻す場所を決めても、蒔くものが足りなきゃ同じだ」


 そこだった。


 広間の空気が、また別の重さへ変わる。

 希望を削られるより痛いのは、手段がない現実を突きつけられる時だ。


 フィアナは紙束を握る指に力を入れた。


「領内分のかき集めだけでは足りません」

「一部は買い付け。残りは再配分」

「ただし、今の商流でまとまった量を短く入れるのは難しい」


「つまり」

 若い男が言う。

「ないんじゃないか」


「ある所から持ってくるしかない」

 レオンが短く返した。

「そのために、まだ見ていない余りがないか掘る」


「余り?」

 とマルタ。


「領都の中で、今は使っていないものだ」

 レオンは立ち上がった。

「冬は鍋と門を優先した」

「だから触っていない倉がある」


 フィアナはすぐに考えを追った。


 倉。

 農具倉は見た。

 民間備蓄もほぼ洗った。

 残るのは――


「軍の倉」

 と彼女が言った。


 レオンが頷く。


「北方の領地だ。使われず眠ってる軍用資材があってもおかしくない」

「種そのものは出ないかもしれない」

「でも農具、荷、家畜の動きに使えるものはある」


 広間の何人かが顔を見合わせる。

 武の倉へ手を入れる。

 簡単な話じゃない。


 フィアナもそれは分かっていた。

 だが今は、分かりやすく嫌な壁ほど、中に余りを抱えていることがある。


 話し合いが終わったあと、広間の外でフィアナは小さく息を吐いた。


「嫌われましたね」


「前から好かれる話じゃない」

 とレオンは言った。

「でも今日は、理由まで切らずに残せた」


「……はい」


 それだけでも十分かもしれない。

 少なくとも今は。


 廊下の端で、ヘルマンが古い鍵束を探していた。

 嫌そうな顔だ。


「何を」

 とフィアナが聞く。


「北倉の控えです」

 老人は鼻を鳴らす。

「旧駐留兵舎側の、使われなくなった軍需倉」

「整理が後回しのまま何年も寝ております」


 レオンが振り向いた。


「何年も?」


「ええ。使うなら軍。使わぬならそのまま」

「誰も責任を取りたがらぬ倉ですな」


 その言い方で十分だった。

 責任が曖昧で、誰も触りたがらない。

 そういう場所には、大抵まだ使い道のある余りが沈んでいる。


 フィアナはヘルマンの手元の古い控えを見た。

 薄れた文字。

 軍用馬具、予備車輪、倉庫材、天幕布、作業用鉄具。


 種そのものではない。

 でも、春を始める手にはなり得る。


 レオンが静かに言う。


「明日、そこを見る」


 今年の春が、ただの希望で終わるかどうか。

 その鍵が、忘れられた倉の中にあるかもしれなかった。


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