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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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110/132

第110話 焦る王都

 


 王都ルクスハイムの午後は、外の寒さほど静かではない。


 暖炉は焚かれている。

 回廊には香が焚かれている。

 靴音も会話も柔らかい。


 それでも、面倒な報せが入った時の空気だけは隠しにくかった。


 フェリクス・アルモンは、第一王子派の控え室で二通の紙を並べていた。


 一つは監査局からの途中経過。

 もう一つは、北方経由で先に回ってきた市場筋の要約だ。


 内容は同じ出来事を指している。

 だが、向きが違う。


 監査局の紙は、整理に時間を要する、としか書いていない。

 公開査定の結論も温度も曖昧だ。

 一方、市場筋の方には、もっと嫌な書きぶりが混じる。


 王都側がベルクライン令嬢を切ろうとした。

 現場証言で逆転した。

 打ち切ったのは監査使の側だ。


 乱暴だ。

 だが人に広がるのは、たいてい整った報告ではなく、こちらの方だった。


「北方の商人は口が軽いですね」


 そう言いながら入ってきたのは、若い文官だった。

 財務院寄りの顔をしているが、今日は第一王子派の控えへ出入りしているらしい。


 フェリクスは目を上げない。


「軽いのではありません」

「軽く流せる時だけ、軽いのです」


 本当にどうでもいい噂なら、ここまで揃って入ってこない。

 監査局の途中報せが曖昧な時に、北から先に別の骨格が回ってくる。

 それ自体がまずい。


「婚約整理の件まで蒸し返されるでしょうか」

 若い文官が言う。


「蒸し返されるかではなく」

 フェリクスは紙を重ねた。

「別の線で繋がるかどうかです」


 ベルクライン令嬢は、王都では冷たい女として片づけられてきた。

 社交にも向かない。

 婚約話も崩れた。

 それで終わるなら、辺境の令嬢一人の話だった。


 だが今は違う。


 その女が、実は荒れた領地の実務を支えていた。

 しかも王都からの査定は、それをまともに見なかったらしい。


 その二つが結びつくと、傷むのは令嬢の評判ではなく、王都の判断だ。


「単なる辺境の揉め事では済みません」

 フェリクスは静かに言った。

「監査局が人を切るための舞台を作ったように見えれば、中央の“確認”という言葉自体が軽くなる」


 若い文官は少し青くなる。


「そこまで」


「北方では、なります」

 フェリクスは短く返した。

「もともと疑っている連中ですから」


 若い文官は頷いたが、その顔には別の疲れもあった。

 どこまでが監査局の領分で、どこからが王子派の火消しなのか。

 本来、そこまで一緒に考える立場ではないのだろう。

 それでも今は、誰の机にも同じ面倒が落ちてくる。


 王都の制度は整っている。

 整っているからこそ、綻びが出た時に、誰の仕事かが曖昧なまま重なる。


「本来なら」

 若い文官が言いかけて、少し口をつぐむ。


「本来なら、監査局で片づく話だった」

 フェリクスが代わりに言った。


 相手は気まずそうに目を逸らした。

 図星だったらしい。


 扉が開いた。


 室内の空気が少しだけ締まる。


 入ってきたのは、エドガー・アルヴェインだった。

 明るい金髪はいつも通り整っている。

 歩幅も表情も乱れがない。

 だが、目の中だけが冷えていた。


「報せは見たか」

 第一王子は無駄な前置きをしなかった。


「はい」

 フェリクスは一礼する。

「北方筋の回りが予想以上に早く」


「早いこと自体は構わない」

 エドガーは紙を取り上げた。

「問題は、こちらの整理が遅く見えることだ」


 その言い方が、この人らしいとフェリクスは思う。

 腹を立てるのではない。

 自分たちの不利を、まず構造として見る。


「監査局は」

 とエドガー。

「何を恐れて結論をぼかした」


「現地での逆風かと」

 フェリクスが答える。

「領民証言が想定以上に」


「だろうな」


 エドガーは紙を机へ戻した。


「公開の場を使うなら、場を取り切らねば意味がない」

「取り切れぬまま区切れば、向こうに“都合が悪くなった側”の顔を与える」


 若い文官が、おそるおそる言う。


「では、否定の文を早急に――」


「下手だ」

 エドガーが遮った。


 声は大きくない。

 それでも、その一言で部屋の温度が変わる。


「露骨に否定すれば、余計に“何かある”と知らせる」

「必要なのは否定ではない」

「論点の置き換えだ」


 フェリクスは黙って聞く。


 第一王子はそういう男だ。

 力で押すより、正しい言葉の置き場所で場を変える。


「個人の善悪へ寄せるな」

 エドガーは続けた。

「辺境の非常措置は時に荒れる、とだけ示せ」

「公開査定も感情論が混じったため、整理継続中と置く」

「監査局の手続きそのものに傷が入らぬようにな」


 若い文官は何度も頷いた。

 だがフェリクスは、そこで一つだけ引っかかった。


「殿下」

「婚約整理の件は」


 エドガーは一拍だけ考えた。


「まだ表へ出すな」

「今それに触れれば、“切った理由”の方へ人の目が行く」

「ベルクライン令嬢個人を潰すより、中央の判断を守る方が先だ」


 それは冷静で、正しい。

 正しすぎて怖い、とフェリクスは時々思う。


 エドガーにとって、人はいつも順番の中にいる。

 誰を守り、誰を切るかではない。

 何を先に残すか、で決める。


「フェルド領から、次の紙が出る可能性があります」

 フェリクスが言った。

「今回の噂に乗って、自ら外へ説明を」


「出るだろう」

 エドガーは迷わなかった。

「第三王子は、受け身で終わる男ではなくなっている」


 認めたくない評価のはずだった。

 だが彼は事実として口にする。


「なら先に押さえますか」

 フェリクスが問う。


「難しい」

 エドガーは首を振る。

「北方の便を王都のように止めると、余計に目立つ」

「止めるより、後から覆せるよう薄い布を何枚か重ねろ」


 薄い布。

 いかにもこの人の言い方だ。


 一枚の大きな嘘ではなく、もっともらしい整理を幾つも重ねる。

 それで真実の輪郭を鈍らせる。


「承知しました」

 フェリクスは頭を下げる。


 エドガーは最後に、窓の外へ目を向けた。

 王都の石畳は乾いている。

 白い北方とは違う。

 それでも今、面倒の火種は北から来ていた。


「辺境の話は、辺境で終わるから軽いのだ」

 彼は静かに言った。

「王都の判断へ触れ始めたなら、もう軽くない」


 それだけ言って、第一王子は部屋を出た。


 残った空気は重かった。


 若い文官が、ようやく小さく息を吐く。


「……一人の令嬢の話では、もうないのですね」


「最初からそうでしょう」

 フェリクスは紙を畳んだ。

「ただ皆、そういう形にしたかっただけです」


 切りやすいのは、いつだって個人だ。

 女一人の性格。

 辺境令嬢の噂。

 そうしておけば、後ろの都合が見えにくい。


 だが今、その都合の輪郭が少しだけ透けた。


 フェリクスは新しい指示を書き始めた。

 監査局向け。

 財務院寄りの文官向け。

 社交筋の口止めではなく、口ぶりの調整。


 それでも間に合うかは分からない。


 なぜなら、その頃フェルド領都では、まだ噂と覚え書きでしか走っていなかった話を、一本の紙として整えようとしていたからだ。


 王都が好む飾りより、ずっと短く。

 ずっと乾いていて。

 だからこそ、広がりやすい紙を。


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