第106話 悪女の再演
「優先したのは、凍える順です」
フィアナはそう答えた。
会議室の空気が少しだけ止まる。
もっと役所めいた返答を期待していた者もいたのだろう。
「北道沿いの村落は、雪に閉ざされるのが早い」
「領都は鍋場を増やせば時間を稼げますが、村は便が止まればそのまま切れます」
「だから先に便を回しました」
年配文官はすぐ次の紙を取った。
「その結果、領都側に不満が出た」
「出ました」
「商い再開を抑えた結果、日銭を失った者もいる」
「います」
「旧関所の整理で、仕事を失う者も出た」
「出ました」
会議室の後ろで、誰かが身じろいだ。
認めすぎだ、と思ったのかもしれない。
でもフィアナは止めなかった。
認められる事実を、無理に濁しても意味がない。
王都はそこを待っている。
全部を否定させて、現場の実感と切り離す。
その方が“冷たい女が言い逃れている”形を作りやすい。
年配文官は声を少し柔らかくした。
「つまり貴女の判断は、多くの不利益を伴った」
「その上で、現場には“説明より命令が先だった”という声もある」
王都でも何度も聞いた言い回しだ、とフィアナは思った。
命令が先。
配慮がない。
笑わない。
そうして最後に一つの顔へ寄せる。
「十分に説明できなかった場面はあります」
とフィアナは言った。
「待てば間に合わない日が続いたので」
年配文官はすぐ拾った。
「では、強権的だったと認めるのですね」
「いいえ」
フィアナは視線を逸らさない。
「強権的だったのではなく、遅れれば死人が出る順だったということです」
言い切った瞬間、左手の指先が少し震えた。
昔も似た場があった。
王都の家で。
もっと上等な絨毯の上で。
もっと静かな声で。
優先順位を切る。
会う相手を選ぶ。
断るべき頼みを断る。
そうすると、理屈は残るのに印象だけが悪くなる。
気づけば“冷たい女”の輪郭が先に歩き出す。
年配文官はそこへ過去を重ねてきた。
「王都でも、貴女は融通の利かぬ方として知られていた」
「現地でも同じ手法を取っただけではありませんか」
「厳しさを統治と呼び替えているだけでは?」
後ろで低いざわめきが起きる。
この会議室にいる大半は、フィアナの王都時代など知らない。
だが、王都でそういう女だったらしい、という響きだけは人に残る。
アルノーがそこで口を挟んだ。
「確認しておきますが」
「本査定は王都での私評を論じる場ではありません」
「ただ、同種の運営傾向が現地でも生じているなら、監査上は無視できない」
止めるようで、止めていない。
線を越えすぎないように整える。
それが彼の役目なのだろう。
フィアナは息を整えた。
ここで感情を見せれば、向こうの思う形になる。
でも、何も返さなければ、そのまま塗られる。
「王都でどう呼ばれていたかは知っています」
と彼女は言った。
「けれど、今この場で見るべきは呼び名ではありません」
「どの判断で、何が減り、何が残ったかです」
年配文官が口元をわずかに動かす。
その返し自体は予想していた顔だった。
「では具体で伺いましょう」
「貴女は、配給順を変える際、現場責任者全員の同意を取りましたか」
「取りきれていません」
「商い再開の延期で、全商人へ事前説明をしましたか」
「できていません」
「旧関所整理で、対象者全員へ納得を与えましたか」
「不可能でした」
わざとだ。
答えを切り取れば、もう十分形になる。
それでもフィアナは続けた。
「ですが、その代わりに記録は残しました」
「誰に、何を、いつ伝え、どこが不足したか」
「それを残していない判断だけはしていません」
「記録があれば、反発は消えると?」
「消えません」
フィアナは首を振った。
「ですが、後から責任を押し付け合う場面は減ります」
「それがなければ、次の冬に同じ崩れ方をします」
会議室の端で、ヘルマンが小さく頷いたのが見えた。
年配文官はなおも追う。
「しかし、現地には貴女を怖れて黙った者もいたのでは」
そこで初めて、フィアナは相手の紙ではなく、その顔を見た。
「怖れた者はいたと思います」
「腹を立てた者も」
「ですが、黙らせるために現場へ立ったことはありません」
「そう言い切れますか」
「言い切れます」
声が少しだけ硬くなる。
「私は嫌われる判断をしました」
「でも、見えないところで押しつけたことはありません」
「必要なら自分で村へ行き、鍋場へ行き、札を書き換えました」
それは弁明というより、確認に近かった。
自分に対する。
ここで飲まれないための。
指先の震えは、まだ消えていない。
けれど、それ以上にはならなかった。
年配文官はそこで初めて、少しだけ手を止めた。
真正面から来るとは思っていなかったのかもしれない。
だが、その間は短い。
すぐ次の問いが来る。
「では、現場の理解を軽視してでも、自分の判断を優先したと?」
「違います」
フィアナは即答した。
「現場の理解を待てば、先に崩れる順があった」
「だから判断を急ぎました」
「同じことです」
「同じではありません」
会議室の空気がまた張る。
そこでフィアナは、自分から一歩だけ踏み込んだ。
「この場で、私の印象を問うだけでは不十分です」
「配給、治安、記録。それぞれの現場責任者をここへ入れている」
「必要なら証言を求めてください」
年配文官の眉がわずかに動く。
向こうの進行へ、自分から楔を打った形だ。
アルノーが横目で年配文官を見る。
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
その時、後方席から低い声が飛んだ。
「必要なら、じゃ遅いな」
ドルクだった。
腕を組んだまま立ち上がっている。
「今の聞き方のまま続けるなら、先に言わせろ」
会議室の視線が一斉に後ろへ向く。
フィアナは指先の震えが引いていくのを感じた。
誰かが助けに入った、というより。
自分が現場を呼ぶと言った、その先に現場が本当に立った。
その事実が、胸の奥の冷えを押し返した。
そしてマルタが、呆れた顔で椅子を引いた。




