第105話 査定の場
正午前の領都会議室は、いつもの会議より人が多かった。
長机は奥へ寄せられ、監査局側の席が正面に置かれている。
向かいに領主館側。
左右には傍聴用の椅子が並び、埋まりきらない分は立ち見になっていた。
市場帰りの商人。
鍋場の手伝い女。
巡回隊の若手。
役所筋の下働き。
「必要に応じ領民証言も許可」という一文が、人をここまで連れてきたらしい。
綺麗な言い回しだ、とレオンは思った。
許す側が、最初から主導権を握れる文だ。
「席順はこのままですか」
セリスが小声で言う。
「変えさせるほどじゃない」
レオンは会場を見回した。
「ただ、現場組を後ろへ押し込ませるな」
マルタは左側の壁際。
ドルクは後方の通路寄り。
ヘルマンとローデ村の村長ハンスは、証言を求められた時に出やすい位置へ置いた。
フィアナが朝のうちに整理した顔ぶれだ。
熱くなりすぎない。
でも、見てきたことは言える。
そういう人間を選んでいる。
「呼ぶ順まで決めておきますか」
とセリス。
「向こうの進行次第だ」
レオンは短く返す。
「ただし、切り口が見えたらすぐ動く」
隣でフィアナが資料束を揃えていた。
配給表。
受領札の写し。
鍋場の人数記録。
見回り再編の控え。
昨夜までに整えたものだ。
その指先は乱れていない。
だが、少しだけ白い。
力が入っているのだと分かる。
「無理はするな」
レオンが言うと、フィアナは紙から目を上げた。
「ここで無理をしない方が、あとで無理になります」
「大丈夫です」
大丈夫、という言葉に余計な色はなかった。
強がりでもなく、安心させようとする調子でもない。
ただ、自分の役目を確認している声だった。
そこへ監査局側が入ってくる。
先頭は年配の文官。
昨日まで会議の進行を仕切っていた男だ。
その少し後ろにアルノー。
さらに若い書記官が二人。
一番前へ出るのが誰か、それだけで今日の主導は見えた。
レオンは視線を向ける。
アルノーも一度こちらを見た。
だが、すぐに視線を逸らした。
「主導はあの年配文官の方か」
レオンが呟く。
「ええ」
セリスが答える。
「アルノー殿は監査の顔役ですが、今日の“見せ方”は別の人間が握っています」
「監査局の中でも、手続きと印象操作を切り分けているのでしょう」
敵側にも役割がある。
それは少し厄介で、少しだけ救いでもあった。
全員が同じ熱で押してくるより、どこかに迷いが残る。
会議室のざわめきが落ちる。
年配文官が席につき、咳払いを一つした。
「それでは」
よく通る声だった。
「本日正午付にて、フェルド領冬期行政に関する公開査定を開始する」
「本査定は、監査局への補足異議提出を受け、手続きの透明性を確保するためのものとする」
透明性。
またその言葉だ。
レオンは黙って聞いた。
向こうは建前を整える。
それ自体は当然だ。
むしろ雑な方が困る。
「領主側には第三王子レオン殿下、実務責任者たるフィアナ・ベルクライン令嬢、補佐官セリス殿が出席」
「また、現場関係者および領民代表の発言は、必要に応じこれを許可する」
会議室の後ろで、小さく椅子が鳴った。
誰かが座り直したらしい。
年配文官は書面へ目を落とす。
「では、査定に入る」
「まず配給と治安、ならびに名簿整理の継続性について」
最初の問いはまだ穏当だった。
冬期救済の現状確認。
配給便の到達数。
鍋場の延べ人数。
見回り再編後の襲撃件数。
数字だけを見れば、こちらはもう答えられる。
フィアナが簡潔に返し、レオンが必要な補足を入れる。
ヘルマンが控えを差し出し、若い書記官が慌てず書き留める。
流れ自体は普通の査定だ。
だが、三つ目の問いで向きが変わった。
「次に、現地運営における意思決定の偏りについて確認する」
年配文官は顔を上げた。
「特にベルクライン令嬢への実務集約が、現場の混乱を招いた可能性について」
やはり来たか、とレオンは思った。
問いそのものは、監査として成立している。
誰か一人へ負荷が集中していれば、回らなくなる。
そこを問うのは間違いではない。
問題は、その先で何を貼るかだ。
「担当表は昨日提出済みです」
フィアナがすぐに言う。
「配給、警備、倉庫、村落対応の各責任者は分散済みで――」
「控えは確認しております」
年配文官は言葉を切った。
「ただし現場認識として、“最終判断はすべて令嬢の一声で決まる”との指摘もある」
後ろの空気が少し動く。
人は、そういう言い方に敏感だ。
一声で決まる。
強い者が押し切っているように聞こえる。
フィアナは表情を変えない。
「最終判断は私が引き受けています」
「それ自体は事実です」
「ただし、各現場の提案と記録に基づいています」
「ですが」
と年配文官。
「その判断が厳しすぎたのではないか」
「村落優先の配給順、商い再開の抑制、旧関所人員の整理。いずれも不満が出ている」
会議室の右手で誰かが息を呑んだ。
商人側かもしれない。
レオンは横目でフィアナを見る。
彼女の背筋は真っ直ぐだった。
でも、肩の線だけ少し硬い。
アルノーがそこで口を開く。
「本査定は感情の良し悪しを問うものではありません」
「ですが、現場に反発が強く残る判断であれば、継続性の観点から問題になります」
年配文官が刃を作り、アルノーがそれを制度の形へ整える。
役割分担は明白だった。
フィアナは一拍だけ置いて答えた。
「反発は残っています」
「ですが、反発があったことと、判断が誤っていたことは同じではありません」
その返しは静かだった。
だが、会議室の空気が少しだけ締まる。
年配文官は薄く笑う。
「では、その区別をこの場で確認しましょう」
「ベルクライン令嬢。貴女は冬の現場で、何を優先し、何を切ったのか」
「そして、それを誰の同意なく決めたのか」
問いの形は整っている。
でも、向きはもう決まっていた。
フィアナが資料へ手を置く。
指先が、ほんの少しだけ止まった。
レオンは昨夜の自分の言葉を思い出した。
公の場で切る。
曖昧にしない。
そのつもりでここへ来た。
だが、その前に。
まずは彼女がどう立つかを見るべきだと、今は思った。
フィアナが顔を上げる。
そして公開査定は、数字の確認ではなく、彼女一人の値打ちを量る場へと形を変え始めた。




