第102話 改竄の手口
正午までの確認期限は、やけに短かった。
だからこそ、実務室では誰も立ち止まらなかった。
セリスが持ってきたのは、昨日の提出控えだった。
監査使へ渡した資料束の写し。
配給比較表、鍋場受領札の集計、襲撃記録板の転写、名簿修正一覧、担当表。
表紙の順まで、彼女が整理したまま残っている。
「これが昨日こちらで組んだ束です」
セリスは机へ並べた。
「会議室に入る前にも数えましたので、間違いありません」
レオンは監査局の写しと並べる。
同じ題目。
同じ順で始まる。
だが途中から、向きが違う。
フィアナが比較表へ指を置いた。
「ここです」
「六村から十五村へ、定期到達が増えた比較」
「会議の席で、私が口頭でも補いました」
「今の写しだと」
とレオン。
「“一部村落への到達を回復しつつある”だけです」
セリスが答えた。
「比較の数字を抜けば、偶然少し動いたように読めます」
マルタが受領札の控え束を出す。
「鍋場の方も同じだよ」
「昨日は百八十を切らせてないって数字まで出した」
「写しじゃ“最低限の体裁”だけ残ってる」
ヘルマンが古い帳面を開く。
「名簿もですな」
「死者・重複・未登録の修正数、照合の進行率、配給表との一致率」
「途中ではあるが、どこまで直ったかは示した」
「ところが写しでは、“引き直しの途中”だけ残っておる」
「途中だからこそ意味があるんですがね」
フィアナは平坦に言う。
「前は途中ですらありませんでしたから」
セリスは担当表控えを一番上へ置いた。
鍋場――マルタ。
門と巡回――ドルク。
旧帳簿と照合――ヘルマン。
聞き取りの村担当――各担当。
取りまとめと接続――フィアナ。
王都文書と外向き窓口――セリス。
全体判断――レオン。
「これが完全に落ちています」
セリスは言った。
「本文側には“ベルクライン令嬢への実務集約が見られる”だけが残っている」
「前半だけ残したわけか」
とレオン。
「はい」
セリスは頷く。
「“一度寄せた”は使う」
「“今は分けている”は消す」
「そうすると、強権だけが印象に残る」
ドルクが低く唸る。
「つまり、改善を消したんじゃない」
「都合のいい半分だけ残した」
「その通りです」
セリスの声は静かだった。
「事実を消すより、薄める方が厄介です」
「完全な嘘ではないから、切り返しづらい」
レオンは写しの綴じ穴を見た。
四枚綴じのはずなのに、二枚目と三枚目の穴の擦れ方が違う。
紙端もわずかにずれている。
素人なら見落とすが、気づけば明らかだった。
「抜いて入れ直してるな」
「ええ」
セリスは即答した。
「しかも、急いでいます」
「参照記号の飛び方が雑ですし、添付一覧の符号が本文側にだけ残っています」
フィアナも写しを持ち上げた。
「こちらも」
「二頁目の末尾で、比較表を受けるはずの文が途中で切れています」
「昨日、ここで年配文官が一度だけ書き足しました」
「覚えてるのか」
とレオン。
「覚えています」
フィアナは短く答えた。
「私が数字を補った時、あの方は“比較は後で整える”と言いましたから」
後で整える。
嫌な言い方だと思う。
ヘルマンが鼻を鳴らす。
「整える、ですか」
「前世でも見たやり方でしょうな、殿下」
「見たよ」
レオンは答えた。
「全部間違ってるわけじゃない文で、責任の向きだけ変える」
「数は合ってるのに、読んだ後に残るのは失敗の印象だけだ」
マルタが腕を組む。
「じゃあ、これでもう十分だろ」
「向こうがいじったって分かったんだから」
「十分ではありません」
セリスが言った。
「こちらが“そう思う”だけでは、王都は逃げます」
「局内整理だ、要約だ、添付漏れだと言えば済む」
「だが」
フィアナが続ける。
「“こちらが何を渡したか”“写しのどこが抜けているか”“文の向きがどう変わったか”」
「その三つは、もう並べて示せます」
それだった。
決定的な自白はない。
けれど、嫌な偶然で済ませるには揃いすぎている。
セリスはさらに一枚、提出時の受け渡し控えを出した。
昨日、監査使側の書記が受領確認として付した短い印記だ。
「担当表と比較表は、ここに記載があります」
「受領済みです」
「ですから、“最初から出ていない”では逃げにくい」
レオンはその控えを見た。
小さな印だけだ。
だが、この場では十分重い。
「……ここまで来れば、もうただの悪意じゃないな」
「ええ」
セリスは答えた。
「制度疲労です」
「王都では、こうして丸めた文の方が通りがいい」
「だから年配文官も、自分が嘘を書いている感覚は薄いはずです」
その言い方が妙に嫌だった。
悪意だけなら、まだ単純だ。
だが向こうはたぶん、“扱いやすい報告”を書いているだけのつもりでいる。
それが一番厄介だ。
ドルクが口を開く。
「じゃあどうする」
「怒鳴り込みか」
「それが一番向こうの望む形だ」
レオンは答えた。
「感情的に噛みつけば、“地方側は冷静さを欠く”で終わる」
フィアナが視線を上げる。
「なら、監査時点の記録をまとめ直しましょう」
「提出した資料の順、現場で説明した内容、そして現行体制」
「こちらがどこまで見せ、向こうがどこを落としたかを、先に文へする」
セリスもすぐ頷いた。
「私が送付先を組みます」
「監査局だけでは足りません」
「王都文書受付、辺境伯家の照会筋、それと近隣領へも要約を」
マルタが少しだけ笑う。
「やっと噛み合ったね」
「最初から噛み合ってはいました」
フィアナは淡々と返した。
「ただ、今はやることが明確なだけです」
レオンは机の上の束を見た。
提出控え。
受領印記。
欠けた添付。
綴じ穴のずれ。
文言の比較。
全部、地味だ。
でも、積めば逃げにくい。
「反撃の資料を作る」
と彼は言った。
「感情じゃなく、監査時点の記録で」
「向こうの文をひっくり返すんじゃない。削られた後半を戻す」
セリスが小さく頷く。
「では、急ぎます」
「正午までに数字訂正だけ返し、別で正式な補足を立てましょう」
レオンはその言葉に頷いた。
ねじ曲げられたのなら、まず曲がった箇所を押さえる。
怒るのはそのあとでいい。
そして部屋の中で、紙を集める手が一斉に動き始めた。




