第84章
出発の時刻が近づいてきた。
正夫は思い切って花蓮に尋ねた。
「さっき、お願いがあるとか言っていただろう。あれは何だったんだい?」
「え?ああ、あれはね……」
彼女は一瞬困惑した顔をし、言い淀んだ。
「……大したことじゃないの。……今から、私、携帯ショップに行って、電話番号を変えようと思ってるの。メアドも変えるわ」
それから、凛とした顔になって、正夫の真正面に立った。
「今までさんざん川村さんに甘えて頼ってきたけど、これからはもう大丈夫。川村さんから大切な思い出というレンゲの雫を頂きました」
花蓮は紫色のペンダントトップを持ち上げてみせた。
「雫はこの中に入っています。辛くて挫けそうになった時には、これを見て、苦しみを和らげ、乗り切ってみせます。だから、私、もう大丈夫です。川村さんも私のことなど忘れてください」
新幹線のドアが開き、正夫は窓際の席に座った。花蓮は窓の外に立って、今朝見せたのと同じ快活な笑顔で手を振った。
まるで、いってらっしゃい、と言っているみたいだった。
ベルが鳴り、ドアが閉まり、新幹線が動き出した。
その時、彼女は両手を前できちんと合わし、頭をぴょこんと下げてお辞儀した。
「失礼します」
「よろしくお願いします」
「今日はありがとうございました」
「ご静聴ありがとうございました」
花蓮と過ごした日々が走馬灯のように脳裏に次々と浮かび上がってくる。
正夫は振り返り、花蓮の姿を追った。彼女はホームに立ったままで、手を顔にあてていた。まるで泣いているように見えた。その姿はとても小さく、弱々しく、儚げだった。
正夫は目頭が熱くなるのを感じた。
彼女の未来に幸多かれ。そう願うと、涙が溢れ出た。
「歳を取ると涙腺が緩くなってすぐ泣いてしまう、困ったもんだ」
彼は誰に言うともなく呟いた。




