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花とたゆとう ふたたび  作者: 御通由人
73/86

第73章

 ホテル内には何軒かレストランがあったが、有名な最高級フレンチレストランを予約した。

 ホテルの宿泊代よりもこのレストランのコースディナー2名分の方が値段が高く、それこそ清水の舞台から飛び降りる決意だった。へそくりを全部使い果たすつもりだった。

 ホテルのチェックインの時も気圧されるように感じたが、レストランに入った時の緊張感はその比でなかった。

 黄金に輝く大きなシャンデリアが天井から垂れ下がり、金色を基調とした壁には絵画が架けられていて、宮殿を連想させる装飾である。金色のテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には燭台が置かれ、その上でろうそくが金色の光を放っている。

 案内係の後について、紺色の柔らかな絨毯を歩いてゆくと、側にいたウェイター達が洗練された身のこなしで次々と立ち止まってお辞儀をする。


 花連は一言も発さなかった。小さくなって、正夫の後ろに隠れるようにして歩いた。 

 テーブルに座ると、彼女は小声で言った。

「めちゃめちゃビビります」

「うん、高級感が半端ないな。写真で見たベルサイユ宮殿みたいだ」

「川村さんは落ち着いていますね」

花蓮のロボットのようにぎごちない動きが可笑しくて、正夫の緊張は少し和らいでいた。

「こういうところはよく来るのですか?」

「ここまで高級なところは生まれて初めてだよ。でも、これほどではないけれど、ワンランク下のレストランなら来たことはある。最近なら、と言っても三年前かな?息子の嫁のご両親との顔合わせの時には立派なところで食事したよ。君も家庭を持ったら、何かのイベントで一流ホテルのレストランで食事する機会は何度もあるよ」

「そうかなあ。では、もっと慣れなくちゃあね」

「うん、堂々としていたら、君は立派なレディに見えるよ」

「そうですか?レディだなんて言われたの初めてです」

 それから、フォークとナイフ、スプーンの使い方をこと細かに彼に尋ねた。

 正夫もあまりテーブルマナーには詳しくはなかったが、知っていることは教えた。

 

 給仕がテーブルの上にグラスを置き、赤ワインを注いでゆく。

 花蓮はその様子を無邪気な少女のように興味津々に眺めている。 

 乾杯し、ワインを飲むと、彼女の緊張がようやく緩んできた。


「さっきフロントに宿泊を二人にして欲しいと電話した時に、お連れ様のお名前を教えてくださいと言われて、困った。あの時、君に聞こうかとも思ったのだけど」

「あれ、本名、言ってなかったですか?私、蓮井加奈子っていうんです。字はですね。こうです」

 そう言って、テーブルクラスに指で書いた。

 その漢字を見て、正夫は源氏名の付け方に思い至った。

 そうかあ、蓮と加でカレンかあ。そう言えば、美鈴さんの本名は鈴木美知だったな。美と鈴でミスズかあ。

 安直だが面白いし、センスのいい名前の付け方だな、と妙に感心した。


「川村さん、下の名前はなんていうの?」

「正夫。正しいのマサと夫のオ。言ったことなかったかな?」

「聞いたことない。でも、川村さんって、ホントに正夫って感じ。名は……なんでしたっけ?」

「名は体を表すだろ」

「そう、それそれ。川村さんにぴったりよ」

「からかわないでくれよ。平凡だし、あまり好きじゃないんだ」

「どうして?シンプルですっきりしてて、優しそうな良い名前じゃない。素敵だと思います。……で、ホテルの人にはなんて言ったの?」

「その後、住所とか聞かれたら面倒だと思ったので、娘の名前を言ったよ」

「悪いんだ」

  いたずらっぽい目をして言う。

「真面目なもんだよ。内緒で泊まってもいいかとも思ったのだけど、料金が変わるなら、ホテルに悪いじゃない。それでわざわざ申告したんだよ」

「娘さんとダブルの部屋に泊まるなんて、不審に思われなかった?」

「全然。法律で決められているから聞くだけで、向こうも気にしちゃいないよ。政治家や芸能人みたいな有名人がお忍びで泊まる時は偽名を使っているだろうし、不倫カップルも偽名だろうし」 

「そっか。真面目だね。正直の正夫さんか」 

 そう言うと、自分の言ったことに自分でウケて、花蓮はクスクスと笑った。

 正夫は少しも面白くない。

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