第66章 元日
正月は寂しいものだった。
商社に勤めている長男は十一月にイギリス支社に転勤になった。
着任して早々なので正月は日本に戻れない、三月に帰国するので、その時には行くからとのことだった。
娘は大学の友人達とアミューズメントパークの年越しイベントに昨日から出掛けていた。
正夫は昔ながらの風習を守ることを好んでいるので、毎年デパートで立派なおせちを買い、大晦日に配達して貰っていたが、今年は夫婦二人だけなので、スーパーマーケットの簡単な安いおせちでいいか、ということになった。
ところが、家内も実家に戻ることになった。
家内は二人姉妹の妹で、母親は家内の父が亡くなった後も同じ市内にある家で一人暮らしをしていた。
毎年、元旦は姉の家族が訪れ、二日は正夫家族が訪れることになっていた。
しかし、今年は年末に姉がインフルエンザにかかってしまって行けなくなった。
また、母親は年末に姉と買い物に行っているのでインフルエンザに感染しているかもしれない。高齢なので発症したら看病も必要になる。子供もいないことだし、母が心配だからと家内は昨夜から実家に泊まることになった。
正夫が起きたのは十時過ぎだった。家の中は静まり返っていた。
キッチンに降りてゆき、家内が鍋に作っていた雑煮に餅を入れて温める。
それから、ダイニングテーブルに座って、雑煮とスーパーで買った薄いプラスチックの容器に入った質素なおせちを一人で食べた。
考えてみると、元日を一人で過ごすのは、人生で初めてのことだった。
こういう生活に慣れなければならない。数年後には娘も巣立つだろうし、家内も母親の介護などで不在になることが多くなるだろう。
食事を済ませると、何もすることがなくなった。
ぼんやりしていると、花蓮のことが思い出された。
彼女は今何をしているのだろうか?
婚約者と初詣に行っているのだろうか?
婚約者の実家に行って、怖いお母さんの前で緊張しているのだろうか?
その時ふと、久しぶりに店のホームページを見ようという気になった。
二階の自分の部屋に上がり、パソコンを開く。
女の子の一欄からは、花蓮の名前も写真もプロフィールもなくなっていた。
店長ブログという欄があり、懐かしくなって見てみると、1月1日付で店長の新年の挨拶が載っていた。
上に矢印がついていて、それを押すと、12月31日に変わり、年末年始年始の営業時間と「良いお年をお迎えください」という挨拶があった。
さらに矢印を押して、ブログを読み進むと、12月26日のところに花蓮の挨拶が掲載されていた。
「足掛け8年の長きに渡って、皆様から可愛がって頂いた花蓮が卒業することになりました。花蓮からお客様への挨拶の言葉を預かりましたので、どうかお読みください」
店長がそう書き、その下に花蓮の挨拶文が載っていた。
客に対して、彼女が別れと感謝の思いを書いたものだったが、店での無邪気で幼稚な印象とは異なる大人の女性のしっかりとした文であった。
こういう文も書けるのか、と正夫は感心した。自分がまだ見知らぬ面を彼女はいくつも持っている。もっと長く付き合って、もっともっと彼女のことを知りたかった。
毎年初詣は遠くの大きな神社まで家族を乗せて、車で行くことが恒例となっていた。参拝客の長い行列に並び、他愛のないことを話しながら、少しずつ進んで、お参りの順番が来るのを待つのが常だった。
しかし、今年は一人なので、車で遠くまで出かける気にはならない。
天気が良かったので、近所の神社に散歩がてらぶらぶらと歩いて行くことにした。
元旦の昼下がり、寒空の下に道行く人はなかった。
時が止まっているかのように、動くものはなく、すべては静かだった。
神社に行くと、まばらに参拝客がいた。
お参りを済まし、おみくじを引くと、吉であった。 正夫は吉を引くことが多い。凶を引かないけれど、大吉も滅多に引かない。自分らしいなといつも思う。
名前も姿も仕事も何もかもみんな平凡だ。平凡を絵に描いたような人生だ。
そんな平凡な人生の中で、花蓮との出来事だけが特異な輝きを放っていた。
花蓮から連絡はなかった。しかし、正夫は以前のように待ち焦がれたり、苛々したり、腹を立てたり、そのように心を乱すことはもうなかった。
正夫から連絡することは憚られた。クリスマスのメールと年賀メールは送りたかったが、それも止めた。
新しい人生を始めようとする彼女にとって、自分の存在は過去を思い出させるだけのものではないだろうか?彼女に迷惑をかけることはしたくない。そして、彼女のいない生活にも慣れなければいけない。
今日のこの静謐な時間のように、静かで落ち着いた穏やかな気持ちで、そっと花蓮を想い続けよう。再び人気のない道を歩いて帰りながら、正夫はそう思った。




