第60章
「見合いをする気になったのは、例の美鈴さんの事件が原因かい?」
「うーん、それもあるかもしれない。でも、一番の理由は違うの」
「相手は君の仕事を知っているのかい?」
花蓮は顔を上げて、正夫の方を向いた。
「知ってるわけないわよ。知ってたら、見合いの話なんて来るわけないじゃない。彼だけじゃなく、みんな、私のことを普通のOLだと思っているわ」
彼女の顔はつらそうに歪んだ。
「私……、みんなに嘘をついて、……とても悪いことをしているのかしら」
なんて愚問を。正夫は慌てて打ち消そうとした。
「変なことを聞いて、ごめん。気にすることなんかないよ。そんなこと正直に言う馬鹿はいないよ。嘘も方便っていうじゃないか。君の嘘で誰も傷ついている人はいないんだし、君は立派に見合いする権利を持っているよ」
「ホントにそう思う?」
「ああ、もちろん本当だよ。犯罪を犯したわけでないし、君は何も悪いことはしていないよ」
「そう言って貰えると、疾しい気持ちが薄らいで、気が楽になるわ」
「ごめんよ。本当にもう気にしないでくれよ」
正夫は話題を変えようとした。
「ところで、相手は幾つの人?」
「私より五つ上だから三十一。ねえ、M市って知ってる?」
彼女は東京近郊の県の都市名を挙げた。
「名前は聞いたことがある。行ったことはないけど」
二度目にこの店に来た時、正夫の住んでいる市のことを花蓮が同じような言い方をしたのを思い出し、彼は微笑んだ。
「そこの市役所に働いているの」
正夫の笑みを見て、何を勘違いしたのか、彼女も微笑んだ。
「お母さんの従姉妹にあたるおばさんが世話好きで、私のことOLだと思っているから、今までも何回も見合いの話を持ってきたことがあるの。でも、一度もする気にならなかった。
弟の学費があるので、今のお仕事を辞められなかったのもあるけど、本当のことを言うと、全然好みの人がいなかったの。
今どき見合いをする人って、あんまり魅力のある人はいないのかしら?それとも、うちのおばさんが悪いのかな?あ。私、エラそうなこと言ってるね。自分はこんなのなのに」
「そんなことないよ。君はきれいだし、真面目だし、よく気がつくし」
「ありがとうございます。そんなこと言ってくれる人、あんまりいないですよ」
「それで、今回の相手は好みのタイプだったの?」
「ううん、それが全然好みではなかったの。私、スポーツの出来る精悍な顔をした男の人が好きなの。それとは全く逆。お世辞でもイケメンとは言えないし、かっこよくもない。運動も苦手そうな感じ。頭はいいのかもしれないけど……。私、そういう人って好きになったことがないの。なんか男としての魅力を感じないし、バカにされそうな気もするし」
「それだったら、なぜ見合いをする気になったんだ?」
「それはね……」
そう言うと、彼女は両足を曲げて、腕の中に入れ、体育座りの恰好をして、くるりと向こうを向いた。
「それはね、その人が川村さんに似てたからなの。銀縁の眼鏡を掛けていて、冴えない感じで。でも、真面目そうで、やさしそうで……。写真を見た時、ああ、川村さんに似てるなって思ったの」
正夫は驚いた。
しかし、イケメンでないとか男の魅力がないとか冴えないとかボロカスに言われた後に、自分に似ているからと言われても、嬉しくはない。
確かに、自分は若い頃、花蓮のようなタイプの女の子にはまったくモテなかった。というより、女の子全般にモテなかったのだが……。
「似ているって言っても、今の僕に似ているんだろう。若いくせに今の僕に似ているなんて、それは相当なブ男だな。こう言っちゃあなんだが、若い頃の僕は結構イケメンだったよ」
花蓮は振り返った。
「だって、私、今の川村さんしか知らないんだもの。でも、いいの。私、川村さんと知り合ってから、男の人の見方が変わったの。
川村さんの腕の中で眠っている時、私、一番幸せを感じるの。包容力があるっていうのかしら。なんだか、日向にいるみたいにポカポカ暖かくって、すっごく安心出来るの」
「それは、僕の体温が高いから、熱くなるだけだよ」
「もう、真面目に聞いてよ。私、こういう人と結婚したら、きっと幸せになれるんだと思ったの」
驚いた。
「結婚って……、もう結婚することを決めたのか?」
「ううん、まだ、分からない。彼からは結婚してくれってプロポーズされたけれど、まだ返事はしていないの。下の弟が卒業するまでにまだ二年あるし……。そしたら、彼ね、学費は僕が出すから早く結婚してくれって言うの。まあ、私も貯金はあるので、二年分の学費ぐらいならなんとか出せるし……」
「そこまで話が進んでいるんだ。何度もデートしたんだ」
「それが三回だけなの。それと一回彼の実家に行ったこともある。彼の家、土地持ちっていうの?田舎だけど、お金持ちで、大きな家なの。
お父さんは良さそうな人なんだけど、お母さんがなんだか厳しそうで、おっかなそうな人で、お見合いの時、趣味を聞かれたから、お料理ですと答えたの。すると、今どきの若い人で料理が得意だなんて珍しいって、気に入ってくれたみたいだったけど、本当は疑っていたのね。
一度、家を見においでと言うから行ったのね。そしたら、何か料理を作れっていうの。テストだとすぐに分かったわ。言っていることが本当かどうかを調べたかったのだと思う。だから得意のシュウマイを作ってやったの。そしたら、目を丸くしていたわ。たまげたみたい。それで合格点をくれたんだけど、これも川村さんのおかげね」
「お役に立てて嬉しいよ」
正夫は皮肉を言ったつもりだったが、花蓮には伝わらなかったらしい。
足をぶらぶらさせながら、ご機嫌そうに鼻歌を歌い出した。
「でも、そんな姑がいたら、苦労するぞ」
「大丈夫、彼は次男で、お兄さんが親と同居してるもの。その辺りは私も考えています」
「しっかりしてるなあ」
正夫が苦笑すると、花蓮は別のことを言い出した。
「ねえ、聞いて。私、結婚して、子供が出来たら、一生懸命愛してあげるんだ。
前に、川村さん、昔、飼っていた犬の話をしたでしょ。生まれてすぐのおっぱいを飲んでいないから、体が弱かったって。
その話を聞いた時、私、人間も犬と同じだなって思ったの。小さい時の愛情が必要だって思ったの。
お父さん、私が高校の時に急に病気で死んだのだけど、私、ちっとも悲しくなんかなかった。
私、お父さんのことが嫌いだったの。ギャンブルはするし、女遊びはするし、昼間から酔っ払ってばかりいて、お母さんには暴力を振るうし。それに、特に私には冷たかった。
お父さんは野球をやっていて、高校時代はエースで、プロのスカウトも見に来るくらい結構有望だったのね。だけど、肩を壊して駄目になってしまって。
それでも、まだ未練があって、男の子が生まれたら、小さい頃から鍛えてプロ野球の選手にするんだ。俺の夢を子供に託すんだって、よく言っていたらしいの。
でも、最初に生まれたのが女の私でしょ。お父さん、すごくがっかりして、私とは遊ぶどころか、いつも邪険にされたわ。
でも、弟は可愛かったみたい。上の弟が生まれた時に、お父さんはお母さんに珍しくプレゼントをあげたぐらいだから。
いつだったかな?上の弟が歩き始めた頃だったから、私が小1ぐらいの時だったかしら。
弟がテレビ台を伝って立ち上がり、テレビ台の上によじ上ったことがあるの。その時、お父さんは、「すごい、すごい」って弟を褒めたから、私は自分ならもっと上手く出来ると思って、テレビ台の上にぱっと飛び乗ったの。そしたら、「バカ、そんなことをしたら壊れるだろ」と言って、ひどくぶたれたの。
今になって思うと、赤ちゃんが台の上に上がることは感心されても、小学生が台に上がれるのは当たり前よね。
でも、そんな理屈は大人になって分かることで、その時は、なんで私ばかり冷たくされるんだろうって悲しかった。
お父さん、私が泣くのが嫌いだったのね。
泣くと、いつも鬼のような恐い顔をして、「泣くなあ、まだ泣くのかあ」と言って、私をぶったの。
だから、つらいことがあっても泣くことが出来ず、悲しい時はいつもぼんやりしていた。
だから、私、こんな駄目人間になったのね。
だから、私、子供が出来たら、花に水をあげるように、いっぱい愛情を注ぐんだ。
私、いい母親になれると思う?」
「ああ、もちろん、なれるさ。それに君は駄目な人間なんかじゃない。君は立派な人だよ」
「ホント、そう言ってくれると、嬉しいわ。川村さんに褒められると、私、いつも力が湧いて来るんだ。
男の子が生まれたら、弁護士かお医者さんになってくれたらいいな。でも、私の子だから、やっぱりそれはムリかな。彼が運動神経良くないから、スポーツ選手というのもムリね。
でも、女の子だったら、絶対ピアニストにするの。
私、ピアノを習わせてくれなかったのね。貧乏だったから。他の習い事もさせてくれなかったけど、それはどうでもよかったの。だけど、ピアノだけは習いたかったの。友達がピアノ教室に通っているのが、とっても羨ましかった。
私、これでも音楽の成績は良かったのよ。音楽の先生に、良い声をしているからって誘われて合唱部に入ってたの」
彼女の話に水をさすつもりはなかった。しかし、正夫は思わず本音が口に出た。
「僕も家内も、そうやって子供や家庭を一番に考えて、これまで生きてきた。しかし、それは平凡で、退屈でつまらない人生になるよ」
「いいじゃない。平凡な生活っていうのに私は憧れるの。平凡だけど、愛のある家庭っていうのが一番幸せだと思う」
「しかし、子供もいずれは巣立つぜ。まあ、君がそれがいいって言うのなら、別に構わないけど……。僕はもっと波瀾万丈な人生を送りたかったな」
「波瀾万丈っていったいどういうふうに?」
「そうだな。例えば……、いや、今からだって、波乱に富んだ人生を送ることは出来るな。例えば、君と一緒に逃げて、どこかで二人で暮らすとか」
「逃げるって、一体どこに行くの?」
花蓮は顔をこわばらせて、正夫を見た。
「そうだな、どこかずっと遠い、知っている人が誰もいないところ……。そうだ、二人でスペインに行こう」
「えー?なんで、スペインが出てくるのよ。そんなところに行っても言葉も分からないじゃない。もう、川村さん、こんな時に冗談言わないでよ。私、真剣な話をしてるのに」




