第13章 閑話その一
19世紀前半、化政文化華やかし頃、江戸郊外の古刹に四十を過ぎても女性経験がない住職がいた。
若い時に父親が死に、後を継いで住職になったのだが、絵に描いたような生真面目な男で、毎日、寺務や壇務、法務を忙しくして、仕事がない時は仏道の修行に励むという立派な僧侶であった。
飲み打つ買うはもちろんしない。
それどころか、欲というものは殆どなく、仏道以外に関心があるものはなく、趣味の類も特になかった。
檀家達が縁談を持ち込んでも、気乗りせずに断ってばかりいた。
四十を過ぎても、この調子だったので、ある時、跡継ぎが心配になった檀家連中が集まって相談したところ「女の味を知れば、きっと変わり、妻を娶ることに承知するだろう」という結論になった。
それで、画策し、住職を上手く言いくるめて、吉原遊郭に引き入れて、1人の若い遊女と一夜をともにさせることにまんまと成功した。
しかし、檀家連中の目論見は当たったどころか逆効果になってしまった。
翌日から彼は呆けたようになり、寺仕事もせずに、ぼうっとして日々を過ごすようになった。
が、一週間が過ぎると、突然、女の所に通うようになった。三日と開けずに通い始めた。
そのうち、女が他の客をとることに我慢出来なくなり、ついには大金をはたいて身請けまでしてしまった。
寺で女と一緒に暮らすようになったのだが、彼女の心が自分の方を向いていないのは彼自身が一番よく分かっていた。それで歓心を得るために、高価な着物や帯、かんざしを買い与えた。しかし、女は彼がいない隙に色々な男を部屋に引き入れては肉体関係を持つ。
彼は浮気を疑ってはいたが、確証はなかった。
それで、ある日、法事で檀家に行くと偽って出かけ、二時間程経ってからそっと戻ったところ、女は小坊主を部屋に引き込んで、まぐわっていた。
襖を蹴り倒して、部屋に押し入り、烈火のごとく怒り狂う男。
慌てて、全裸で立ち上がり、逃げようとしながらも男を汚い言葉で非難する女。
大声で罵声を浴びせ合う二人。
殴りかかろうとする男。
逃げながら、お経や仏具など、あらゆるものを男に向かって投げつける女。
……その修羅場は凄惨で、鬼気迫るものがあった。
その後、男は暴力の恐怖で女を支配するようになった。何かあればすぐに女を打擲するようになった。そして、次第に粗暴になり、大酒を飲むようになり、博打にも手を出して、最後には身を滅ぼして、何もかも失ってしまう。
そんな小説を昔読んだことを正夫は思い出していた。
高潔な僧侶だったのが、若い女に惑溺したために下卑た凶暴な男に成り下がってゆく。正夫はそんな男を愚かだと思い、蔑んだ。
しかし、今、自分があの男と同じような過ちを犯そうとしているのかと思うと、慄然とするものを感じる。
江戸時代の四十歳は今なら自分くらいの年齢ではないだろうか?




