第4章 それぞれのやる気
9月も終わりの頃、愛音の誕生日。拓君のお母さんは、息子カップルを自宅に招待した。拓君の親元は、公団住宅に住んでいる。古い集合住宅で、部屋の壁は所どころ削れ落ちていて、襖には拓君が子供の頃に書いた落書きが、そのままになっていた。拓君は弟と仲がよく、実家に帰ってもテレビゲームで対戦している。
そこで心ばかりの手料理を振舞ってもらって、秋物のカーディガンをプレゼントにもらい、愛音は恐縮しきりだ。もう30歳になる息子が、やっと結婚することについて、男兄弟だけの母親としては、心が弾む気分なのだろうが、父親は遠慮してか、食事が終わるとすぐ別の部屋に行ってしまった。
「愛ちゃん。式場選びはどうなってるの?」
「いくつか候補を見つけて、見学の予約を入れてます」
「やっぱり教会とかで挙げたいの?」
「別にこだわりはないから、ホテルでも総合結婚式場でもいいです」
「最近、植物園でも結婚式やってるそうよ」
「ええ。知ってます。お城の天守閣でもできるんですよ」
「そうなの。そうしなさいよ。お殿様みたいでいいわ」
「でも、梅雨の時期だから、外は避けようと思ってるんです」
「お金もかかるんでしょ。うちも援助してあげたいけど貧乏だから」
「そんな申しわけないです。できるだけリーズナブルに、何とかなるぐらいは貯金してますから」
「頼もしいわね。拓ちゃんは全然貯金ないんでしょ」
無言でテレビゲームに興じる拓君に、顔を見合す女性陣。
「ねえ。拓ちゃん貯金あるの?」
「うん? 知らね」
「もう、こんなんだから、愛ちゃん頼むわよ」
「ええ、解かってます」
(何を頼むって言うのよ!?)と心の中で問いかけた。
博之は自宅の書斎から、コーヒーカップを右手に、愛音に電話で、『Happy Birthday!』を伝えた。
[今日ね拓君のお母さんと話したんだけどね。保証人の件は、正式に婚約する前に、パパを紹介してくれればいいって]
「ああ、よかった。それくらいなら安心して引き受けられるよ。でも、正式に婚約って、結納でも交わすの?」
[それがね。お母さん、私にはもう家族がいないから、結納なんかしても意味がないでしょって]
「え? そりゃ、言う通りだけど・・・」
博之は驚いて、少しコーヒーをこぼした。
[ちょっと悲しくなっちゃった]
「じゃ、正式な婚約って何なの?」
[解からない。もう婚約してるつもりだったから、拓君もうちに来てもらってたのに]
「婚約指輪とかもらうのかな?」
机にこぼしたコーヒーを拭き取ろうと、ティッシュに手を伸ばしながら言った。
[それ期待してんだけどね、拓君の給料安いから]
「タイヤ屋さんに勤めてるんだよね。たしか店じゃなくって、本社勤務だろ?」
[うん。でも庶務課なの]
「内勤でも、やり甲斐のなさそうなとこだな」
[性格には合ってると思うのよ]
「そう言うお前は、仕事はうまくいってるのか?」
[私は週に2回、ピアノ教えてるだけだよ]
「え? 2回だけ? それ以外は?」
[休み]
「うっぷす・・・・・・・・・」
また机にコーヒーをこぼした。
[もしもし? どうしたの?]
「・・・・・・そうなのか? それでやっていけるのか?」
[レストランの演奏のバイトは、最近リストラになって。でも大丈夫よ。お母さんの保険金が残ってるから]
「どれくらい?」
机のコーヒーの雫をティッシュで拭き取った。
[内緒。でもまとまった金額。全然手着けてなかったから]
「どれくらいだよ? パパにも分けてくれ(笑)」
[だめよ。結婚式の費用にするんだから]
「そうか。じゃ、結婚費用は安心なんだな。拓君は当てにできないって言ってたから、心配して損した」
[あれ? 費用出してくれる予定だった?]
「何言ってんだ。ご祝儀たっぷり出すから」
[あ、それでいい。ありがとう]
博之は椅子の背にもたれかかり、ようやくコーヒーを一口飲んだ。
「ローンにしてくれる?」
[利息も貰うよ]
イベント会場の設営現場に足を運んだ博之は、現場で丸川係長と話していた。音響スタッフが大きな声で、マイクテストする騒音の中で、設置するカメラの位置を図面で確認していると、そこに元請のマルケン社長の原田が二人に声をかけた。
「やあ! 順調にいってるかい!?」
「原田さん! ご苦労様です! 社長が現場視察されるとは、相当力の入った企画なんですね!」
少し大きな声で話さないと聞こえ辛い。
「なあに、そちらこそ、木田部長直々の現場指揮とは、熱心なことでありがたいよ!」
「人手が足りずに必死なんですが、10月以降の予定も変化ないんですよね!」
「いいや、むしろ増加するかもしれないよ! なんとか頑張って、しっかり儲けてよ! ははははは」
「これ以上増えたら、みんな寝てる暇ありませんよ!」
「今はどこの会社も人手が不足してるからね。みんなどこで働いてるのかねえ。木田さんも企業努力で乗り切ってよ! 頼んだよ!」
「はい! なんとか乗り越えます!」
原田社長は苦笑いしながら去っていった。
「あーあ、いいんですか? そんなこと言っちゃって」
面倒くさそうに、丸川が言った。
「やるしかないだろ。できるとこまでなんて甘いこと言ってないで。請け負ったんだから何が何でもやるしかない」
「できなくても、僕知りませんよ」
「何言ってんだ! お前の業務だよ。本気でやらないと」
「人が足りないのが根本原因なんですから。これ以上どうしろと言うんですか」
「今日視察して気づいたけど、作業者それぞれが目の前のことしかやってないと思うんだ。もっと各工程ごとに効率のいい手順を確立しよう」
「それは追々でき上がっていくもんですよ」
「そうじゃない! まず決まった手順を作ろう! その手順どおりに作業を進めれば、1日の達成目標も立て易い。1日でできるとこまで、だらだら進めんるんじゃなくって、計画的にその日の予定が組めるだろ」
「・・・・・・」
丸川は、嫌そうに聞いている。
「それを繰り返していけば、手の早い人、うまい人とか個性が出てきて、わずかでも待ち時間が生まれるはずだ。その時間に何か次の準備とかができれば、それで全体がギュッと短縮されるはずだから」
「そんな目に見えて速くできませんよ」
「速く動く必要はない! 無駄を削れば早くなる!」
「そんなことできるかなあ?」
小原がスマホを持って隣のデスクに座った。なんだか嬉しそうに近づいてきたのは珍しい。
「木田さん、この写真見てください。この土日にね、実家に帰ってたんですけど、旦那がコンバインデビューしたんですよ」
博之は、眼鏡をかけて、彼女のスマホの画面を覗き込んだ。
「稲刈りだったの? コンバインの運転、結構楽しいからな」
「旦那は初めて乗ったから、まっすぐ進むように集中して、疲れたって言ってました」
スマホの向きに合わせて首を傾け、それを覗き込む博之。老眼のせいで、じっくり見ないと近くはよく見えないのだ。小原と顔の距離が30センチ以内になるが、それでも小原は逃げない。
「あホントだ。スゴイ緊張した顔してる」
「これも面白いですよ」
次の写真を指先でスクロールしながら話す小原。博之はもう横を向けば、キスしてしまいそうな位置にいる。それに小原はいつもいい匂いがする。こういう瞬間に、わざと体に触れてくる女性がいることも博之は経験済みだが、小原は触れてこなかった。博之は自制しようとして、わざと距離をとった。
(自分の魅力を振りまくことに慣れた女の行動みたいだけど、上司の俺には入り込めないんだろうな)と思った。
「旦那さんは農業することをどう考えてんの?」
「うーん、興味はあるみたいですけど、嫌にならないように徐々に慣らしていく作戦です」
「農業って厳しいしね。家族でやるってことは、給料みたいなものはどうするの?」
「農業法人にしようと思ってますから、ちゃんと給料制にします」
「へえ」
「今、父だけでやってるんですけど、結構売り上げあるんですよ」
「国の補助金とかも大きいだろ?」
「ええ、近所の畑は、高齢化で休耕してるところが多かったんですけど、父が安く借りて、農繁期にはアルバイト雇ったりして、手広くやってるんです」
「それで写真のコンバインも大型なんだな。大規模農業だな」
「名前は小原ですけど、フィールドはでっかいんです」
「お父さんはそういう経営とか得意そうなの?」
「自分で商売することは好きみたいですけど、パソコンとか苦手で、私に期待してるみたいです」
「お前なら、うまくやっていけそうだな」
と言ったのは、小原の管理能力の高さを知っているからだったが、博之はそれを聞いて少し心配にもなった。
最近は野菜など工場栽培をして、売り上げを伸ばす農業企業が話題になっているが、それを真似て博之の従兄弟が、トマトの温室水耕栽培をやって、昨今流行の直売所などで直接販売することで、すごく利益を上げることに成功した。しかしその後、さらに温室を拡大し、倍以上の収穫を見込んだものの、卸し先が増やせずに、ほとんど廃棄処分にしている実情を知って、結局、営業力がものを言うんだと解っていた。
農業に従事する人のほとんどは、JA(農協)のおかげで販路が開けており、そのJAを通さずに直接販売となると、農業でさえ、営業や会社経営の才能がないと難しいのではないかと、心配したのだった。




