第27章 深い関係
「木田さん。まだ残られますか?」
小原が着替えて帰宅する格好で、博之のところにやって来た。
「ううん、もう帰るとこだ」
本当はまだ仕事は残っていたが、着替えた彼女がわざわざ様子伺いに来るということは、きっと話したいことがあるんだろうと悟ってこう答えた。
「また、ミーティング? 久しぶりだな」
「はい。いつものいいですか?」
「今日は、ゆっくり付き合うよ」
博之も家に帰っても今晩は一人。ちょうど都合がいい。
「なんか帰りたくない気分なんです」
「そんなこと言うなよ。『じゃ、帰さないよ』って言えないし(笑)」
「すみません。そんな意味じゃないですよ。うちのアパート狭いから、ずっと旦那と一緒にいないといけないんです。それが煩わしいっていうか」
それは、旦那と顔を合わせたくないと言ってるのと同じだった。
「ああ、そりゃ一人になりたい時もあるからな」
「トイレと、お風呂だけですよ」
「風呂一緒に入らないの?」
「今は、病気持ちですからね。一緒にいたくないです」
「でも、晩御飯用意しに、帰らないといけないんじゃない?」
「今日は、旦那が定時帰りの推進日なんで、もう帰ってると思います。だから先にスーパーで買って、勝手に何か食べてくれますから」
それを聞いて、彼女は気分転換を求めてるんだと思った。
「そう、じゃ、これから俺の晩飯に付き合ってくれたりできる?」
「あ。はい。食べに行きますか」
「よかった。ちょうど晩飯どうしようか悩んでたところだったんだ」
「奥さんは? いいんですか?」
「家帰っても誰もいないから」
「え? ご家族どうかされたんですか?」
「明日受験なんで、また愛音の家に行ってるんだ」
「あ、そうか。・・・へ? でもどうして愛音さんの家に?」
「あ、それは・・・」
「すごく、家族付き合いが深いですね」
「まあ、そうだな」
博之はうっかり、愛音との関係の深さを暴露してしまいそうになって、言葉に詰まってしまった。
その後、二人はそれぞれの車で大型スーパーに向かい、小原はそこに車を駐車して、博之の車の助手席に乗り込んだ。
「お邪魔します。ここで車乗り移ると、不倫カップルみたいに見えますよね」
「うん。俺もそう思った」
「会社でも最近、そんなふうに思われてないですかね。私たち」
「そうだな。気をつけよう」
「はい」
「・・・・・・」
「何を気をつけるんですか?」
「だよな。堂々としてればいいだけだな」
博之はそこから15分ほど車を走らせて、ネパールカレーの店に入った。
「ビールは飲む?」
「いや、飲みたいですけど、車乗って帰らないといけないので、やめときます」
「だな。カレーだし、ビールって感じでもないだろ。そう思ってここにした」
「この店、好きです。私カレーすごく好きなんですよ」
「本格的なカレーが?」
「はい。家庭的なカレーより、本場のカレーっていうのが好きです」
「じゃ、よかった」
二人のテーブルにネパール人の店員がやって来て、やたら早口で聞き取りにくい日本語で注文を取っていった。
「・・・ところで、本当に旦那さん放っといて大丈夫?」
「まあ、仲が悪くなったりはしませんけど、べったりする気分じゃないですから」
「もう完全に許してるの?」
「許しはしないですけど、もう拘るのはやめます」
「それで、いいのか?」
博之はその話はしないでおこうと思っていたが、やっぱり気になって、つい口にしてしまった。
「今は、まだ実感として感じてないのかもしれません。浮気されたことが」
「あまり考えたくないってこと?」
「そうですね」
「じゃ、今日は何の話がしたかったわけ?」
「特にこれっていうことじゃなかったんですけど、すみません、付き合わせちゃって」
「いやいや。こっちが晩飯付き合わせてるほうだから、気にしないで。それにお前と話してると、俺楽しいんだよ」
「私も可愛がってもらえて嬉しいんです」
「可愛がってる・・・いろんな意味で」
「ヨシヨシとか」
「ははは。またいつでも」
「その時はお願いします。でも、愛音さんともすごく仲いいんですね。ちょっと妬けますよ」
「ま、家族ぐるみでね。でもうちの女房と仲良くなったのは、クリスマスくらいからだよ。それまではお互いに避けてた感じだったのに」
「はあ。避けてたってことは、やっぱり奥さんも愛音さんのこと、疑ってらしたってことですか?」
「疑ってたっていうのはちょっと違うと思うけど、お互いに相手に遠慮してたっていうのはあったみたい」
「ふーん。愛音さんが遠慮するのは解るんですけど、奥さんが愛音さんに遠慮するってのは、やっぱり木田さんに何かありますよね」
「ああー。また疑ってるのか?」
「既に手出しちゃったこと、あるんじゃないですか?(笑笑笑)」
「愛音に? 彼女のことはひとみ先生から、よろしく頼むって言われたから、気にかけてるだけだし」
それには博之、渾身の全否定。
「もうそれは分ってますって。愛音さんには、絶対手を出さないって」
「誰にもそんなことしないよ」
「そうですよね。木田さんが気にかける理由は理解できますよ。でも、納得いかないんですよ」
「・・・何がだよ?」
博之は恐るおそる訊いた。
「ふふふ」
「何だよその笑い」
「まさかって思うんですけど、木田さんと血つながってたりしません?」
「そんなバカなことないよ」
「じゃ、先生とはキスだけの関係だったのに、どうしてその娘さんが、何十年も経ってから木田さんを訪ねてきたんですか?」
「えっ。それは、・・・もう先生に時間が残ってなかったから・・・」
「それで娘さんが、急いで探すほどの関係だったってことですよね」
「いや、そんなことはないけど・・・」
「もう、ウソが下手ですね。そんなんで浮気してたら、絶対に奥さんにバレますよ」
「だから浮気なんてしないから」
「それも面白くない。あれだけ面白エピソード持ってる人が浮気しないなんて」
「昔の話とは関係ないだろ。お前はまだ現役かもしれないけど」
「そうですよ。まだ、上手に楽しもうと思ってます」
「え? 浮気もするって宣言か?」
「宣言はしませんよ。でもどうなるかなんか判らないじゃないですか」
「だから旦那に浮気されても、結構受け入れられたんだな」
「自分が被害者になるのはイヤですよ。でも自分も今まで、人をそんなことで非難できなかったし。木田さんなら解りますよね」
「俺たち同類?」(似たようなもんかな)と博之は苦笑いした。
「愛音さんは、隠子じゃないんですか?」
「そうだとしたら驚かないのか?」
「そんなこともありますよ」
「ははは。でも違うよ。親子ごっこしてるのは確かだけど。俺は先生との思い出のほうを大事にしてるだけだよ」
「本当ですか? それで向こうはどうして、木田さんを探しに来たんですか?」
「うん。先生にとっても俺は、いい思い出だったんだよ、きっと。中学の時にあげたプレゼント、今も残ってるくらいだから」
「へえ!? それは、それ程に特別な生徒だったってことでしょ」
「先生が中学で教師したのは、あの1年間だけだったんだよ。だから俺のことは、しっかり覚えてくれてたんだ」
「ふうん。愛音さん。なんか羨ましいな。木田さんを独占じゃないですか」
「そんなことはないけど」
(俺の気持ち的には、小原のことばっかり考えてるんだけど)と思いながら、慎重に笑顔を作った。
博之はマトンカレーにナンを浸けながら食べている。小原はエビカレーだったが、ライスで食べていた。
「ちょっとそれに浸けてもいい?」
「どうぞどうぞ。私こんなにいっぱい食べきれないんで」
博之は小原の皿のカレーに、ちぎったナンを浸けて食べた。
「マトンもよかったら」
博之はカレーの入った皿を小原に近づけた。それに小原はスプーンを近づけて、
「私のスプーン、浸けてもいいですか?」
「いいよ」
「間接キスっぽいですよ」
「気にすんな」
この雰囲気、二人は以前に比べ、かなり関係が接近していると実感していたが、そんなことはお互い言葉にはしなかった。




