第24章 浮気相談
「木田さん、こんな状況ですけど、やっぱり予定通りに進んでないのは、うちだけじゃなくて、全体的に遅れ気味なんですよ」
藤尾リーダーが説明した。
「マルケン(元請け業者)からは、予定の変更は来ていないぞ」
博之は納期に間に合わないかが、一番の気がかりだった。
「うちが請け負ってるのは、映像のデータ作成だけど、照明が届かないんじゃ、どうしようもないんですけどね」
「それを期日までに届くように、マルケンの設備屋に要請したか?」
「いいえ」
「そっ、それやっとかないと!」
「絶対無理なのは分かってますけど」
「無理だとしたら、いい言いわけになるだろ。そうじゃないと、諦めて傍観してるだけと受け取られるとマズイ」
「そうですよね。自分の身を守るじゃないけど、ちゃんとできなかった理由を、説明できるようにはしときましょうよ」
パートの女子がいいこと言う。
「そうか。じゃ。みんな自分の担当に必要なアイテムが、期日に間に合うかの確認をしようか」
岩瀬がそう言うと、
「そうだ、そうしてくれ」
と藤尾が指示を出した。
博之は、初めてチームが、自発的に行動した瞬間を見た。これで新映像チームは“新・新映像チーム”になった。
『ビジネス』とは一言で言うと『お金稼ぎ』かもしれない。どうすれば収入を増やせるか常に考え、合理的な手法を見つけ出せれば、それを実践するだけでいい。博之はずっとそうしてきた。そんなことを理解してくれる部下はいなかったが、それでも更に新しい業務を契約し、売上げを伸ばしてきた。
しかし、個人での努力には限界がある。だから人の手を借りる。と言うより人を育て、しっかりしたチームを作る。そしてその結果によって、大きな信用を得る。そうすることで新しい業務獲得に結びつき、会社の売上げも伸ばすことができる。その代わり新たな責任が生まれる。部下の利益も安定して、増やしてやれるようにしなければならない。
博之は『作業』に付随するこれらを『仕事』と呼んでいる。そしてそのチームで業績を伸ばし、新しい分野への展開を期待する。これが『ビジネス』である。博之の立場では、この仕事の流れを止めることはできず、常に進化していないと気が休まらないのだった。
その日の夕方、皆は定時帰宅の準備をしていた。博之も早々に切り上げ、明日から本格的に業務を進めるつもりで、新・新映像チームに声をかけた。
「岩瀬君、明日は朝一番でブリーフィングを仕切ってくれる?」
「へっ? 僕がですか?」
少し顔がニヤけたのを、博之は見逃さなかった。
「そろそろできるだろ」
「ま、毎日藤尾さんがやってくれてるのを見てますし」
「藤尾君は作業責(作業責任者)にならないといけないから、君は作業リーダーに昇格だからね」
「給料上がりますよね」
「リーダー手当が付くのは、正式に藤尾君が責任者に昇格してからだよ」
「いつ昇格ですか?」
「僕が見て、もう大丈夫と判断したらすぐにでも」
「よーし! 明日から藤尾さんと協力して頑張りますよ!」
(これでいいんだ)と博之は思った。二人の昇格で会社としては支出が増えるわけだが、その分は業務の売り上げでカバーすればいいだけのこと。本来は退職した丸川の昇給を考えていたのに、彼は責任を逃れたかったのか、どう考えてもバカな選択をしたもんだと思えてならない。しかも彼の分の給与支出も要らなくなった。係長の給料は高かったので、やる気のある部下たちの手当や昇給に当てやすく、ありがたい結果となっていた。こうして徐々にではあるが、確実に進化を遂げていくのだ。
定時後、事務所にはもう人影はまばらになっていた。
「小原、まだ少し残れる?」
「はい、家に帰りたくない心境ですから」
博之はこの日の業務を終え、今年初めての小原とのミーティングを楽しみにしていた。しかし、今日のテーマは、『浮気と離婚』少し慎重に話をしないといけない。
「食堂は寒いから、商談室行こうか」
「はい」
博之は小原の表情を見て、切ない表情をしているが、どこか意図的に作った表情のような気がした。わざと気弱な表情をして、自分の同情を得ようとしているのかもしれないとさえ感じた。
商談室に入るとすぐエアコンを点けたが、イスの座面は冷たく、暫くは震えないといけなかった。
「離婚なんて、どういうことだったの?」
「離婚はしないですよ。絶対」
「そう言われたんでしょ?」
「どうせ本気じゃないですって。泣きながら言うところも、あざといですよ」
「別れたくないのに、わざと大げさに反省してるふりをしたってことか」
「そうです。見え見えです。しかも浮気しといて離婚してほしいって、決定権はこっちにあるってのに」
「風俗に行ったんだよね? なんでそんなことを打ち明けたのかな?」
「悩んでる様子でしたけど」
「でも、浮気の告白ってダメだろ・・・俺がそんなこと言える立場じゃないけど」
「私の実家のこともあるし、今更別れないって思ってるからでしょうね」
「そりゃ別れないだろ? 旦那さんは、これからどうする気だったの?」
「はあ、私はまだ現実味がなくって、何も考えられない状態です」
「怒ったりしなかったの?」
「はい。あまりに突然のことで、夜中に起こされて、泣き叫ぶんですもん」
「・・・うーん。でもなんで風俗行ったこと打ち明けたんだろ。それだけは口が裂けても言っちゃいけないと思うんだけど」
「彼なりに悩んだんでしょうけどね。・・・呆れますね」
「いやホントに。もう結婚生活も元のままじゃなくなるでしょ?」
「そうですよね。知りたくなかった。浮気されるのはイヤですけど、昨日までは何も知らないでいたのに、そんなこと知りたくなかったのに」
「泣いた?」
「それが、なんにも涙出なかったんです。離婚ていうのも、選択肢に上がってしまう様なことになって、私自身が受け止められてないんです」
「本当に離婚、考えてないよね。前にも『離婚』てワードが、頭を過ぎったとか言ってたけど」
「考えてないです。たかが風俗じゃないですか。素人に手を出されるより、マシですから」
「ホントに病気が移ったの?」
「まだ判らないんです。まだ病院には行ってないんで。でもネット情報じゃ、絶対性病っぽい症状で」
「風俗に行っちゃたのいつよ?」
博之は困った表情で、顔を擦りながら訊いた。
「クリスマス・イヴです」
「え!? あの日!?」
思わず、小原を睨みつけるような表情をしてしまったが、それは一瞬で旦那の計画的な行動を疑ったからだった。
「でしょう! 絶対許せないでしょう?」
「プレゼント買いにいかずに、風俗行ってたって! そんなことあるの?」
博之は言葉を濁したが、その旦那はクリスマスのサービス価格や特別サービス目当てで、かなり風俗に通い慣れてると察していた。
「男の人の気持ちはよく解らないですけど、その日は絶対にダメですよね」
「その日だけは、っていうわけでもないけど、それを自分からばらしてしまう心境が、俺には理解できないけど」
「木田さんもそういうとこ行かれるでしょう?」
「いいえ! 行きませんよ」
「・・・」
「本当に日本で風俗には行ったことないですよ。海外は別ですけど」
「そのほうがリスク高くないですか?」
「うん。確かにそうだけど、シンガポール出張の時なんかは、事前健康診断で、性病検査も必要だったりして、何度も受診してるし、今のところは大丈夫だと思ってるけどね」
「旦那、気が小さいから、舌のデキモノが痛くて調べてたら、やばいことになる気がしたらしくて」
「でも、ちゃんと検査して、結果がはっきりしてから、打ち明ければいいのに」
「私が実家に帰ってからじゃ、もう打ち明けられなくなってしまうから、今のうちに打ち明けたみたいですけど。先に『離婚してくれ』って、違わなくないですか?」
「本当に不安で、どうしようもなくなって、一緒に心配して欲しかったとかじゃない? 『助けてー!』て感じで」
「旦那、HIVだったらどうしようかって、不安になったみたいで。そんなことより、その後でも私、抱かれてるんですよ。ナマで」
「ああ、それも心配だよな」
「ばら撒きテロみたいなもんですよ」
「まあ、落ち着こう」
「それが案外冷静なんですよ」
「じゃ、喧嘩はしてないってこと?」
「泣き叫ぶ相手に、何も言えませんでしたよ」
また、小原が憂鬱な表情をした。その表情を見て博之は、わざとこういう表情を作ってるんじゃないんだと分かった。目鼻立ちがはっきりした美人だから、絵に描いたような表情になってるだけなんだと、彼女に対しての印象を改めた。そして彼女のそういった表情が、博之に何かを求めているように感じていたのは、間違いだったようだ。
それから暫くの時間、博之は小原の愚痴を聞いたが、彼女は決して、涙を流すようなことはなかった。気が強くても、女だから泣き出すかなと不安に思っていたが、彼女の説明どおり、あまりのことに涙さえ出ないのは本当だったのだ。博之は、愛音より年下の小原のことも、自分の娘のように感じるのか、彼女の心境を察して心が痛んだ。
博之は普段、相手の気持ちを察して行動するが、こんな時、男にとってはチャンスでしかない。相手の心の弱みにつけ込むのは、男の常套手段でもある。逆に、このまま帰していいものかという気がしていたが、彼女自身がこんな時、旦那が待つ家にすんなり帰りたいものなのか、全く想像がつかなかった。今の状況で部下に手を出すようなことをして、拒否されでもしたら、ことは大ごとになると冷静に考えていた。
二人で社屋を出て、駐車場に向かうと、外には雪が降り始めていた。
「フロントガラス凍ってますね」
「解けるまで時間かかりそうだな」
「融氷スプレー持ってます?」
「ううん。いつもガラスをカードで擦って氷を取ってる」
「私スプレー持ってますから、お貸ししますよ」
「ありがとう」
小原は自分の車のダッシュボードから、そのスプレーを取り出し、エンジンをかけてから、博之の駐車場まで付いてきた。博之は役員待遇の屋内の駐車場に停めている。そこは社屋の裏手にあり、少しの距離を歩いたが、風が強くて寒く、二人は襟元に首をすぼめた。
小原は博之の車のフロントガラスに、スプレーしようと近寄ったが、屋根のある駐車場に停めた車には、まったく氷は張っていなかった。
「要りませんでしたね」
「そう言えば、ここはもっと遅い時間じゃないと、氷張ったことなかったな」
「なんだ、木田さんの役に立てると思ったのに」
「いつもそんなこと言ってくれるよな。なのに寒い思いさせてごめんな」
「イヒヒヒヒ」
小原がじっとして固まった。
「・・・また、頭ヨシヨシしてもらっていいですか?」
(何だ? コイツやっぱり可愛いな)
恥ずかしさからか、伏せ目になる彼女の髪の毛を、てっぺんからやさしく数回撫で下ろしてやった。




