第10章 忘年会
「それでは皆さん、一年間のご苦労をねぎらって、・・・乾杯!」
「カンパーーイ!!!」
忘年会の席で博之が乾杯の音頭を取った。出席者に商品券入りの封筒が配られたすぐ後だったので、皆嬉しそうに大声で乾杯した。
皆と代わるがわるグラスをコチンとしながら、博之はそわそわしている。というのも博之の隣の座布団が空席のままだったからだ。社長とテーブルの角向かいに座り、そんな博之の隣に座りたがる社員などいるはずもなかった。一番人気のない席ということなのだが、その空席は遅刻して来る小原のために、残された格好になってしまっている。
皆が飲み始めて、鍋に火が入れられた頃、小原が会場にやって来た。社長が気づき、手招きするのを見て、博之は振り向き、その気合の入った化粧に驚いた。
「なんだそれ、化粧に時間がかかったんだな」
「はい。思いっきり作ってきました」
付けマで、ばさばさ瞬きしながら、最高の笑顔を作る小原は、博之の隣に来て、
「この席、空いてますか?」
「ああ。もうここしか空いてない」
「社長の前、特等席じゃないですか」
まさにこんな対応が、小原ならではのものだった。
「小原主任にも、これ渡さんとな」
社長が封筒を差し出すと、
「なんすか? これ」
「皆への感謝の印で」
「現金ですか?」
「商品券だよ」
「マジですか?」
早速開けてしまう小原。
「開けたのお前だけだよ」
「おお、いいんですか? 私辞めるのに、1万円入ってます」
「少ないけど、皆に還元した」
「年末は何かと物入りで、助かります。ありがとうございます」
小原は社長に笑顔で言った。
「それは、木田部長の気持ちだからね」
「ありがとうございます。嬉しいです。・・・また気を使ってますね」
小原は博之に小声で言った。
忘年会も盛り上がってきた頃、小原が退職の挨拶のため、他のテーブルにビールを持って移動すると、小原の部下たち3人が、社長のグラスにビールを注ぎにやって来た。
「小原主任が辞めた後を継ぐのは、この3人です」
博之は社長にこう紹介した。
「そうか、彼女一人でよくやっていたと聞いてるから、来年から責任重大だよ」
「えー? 私らには無理ですよ」
3人は暗い表情になっている。
「大丈夫だって、もう引継ぎは完了しているはずだから、どんどん仕事振っていくからな」
3人は更に「ええー!」という表情になった。
「おいおい。今からプレッシャー与えてどうするんだ」
「そんなに構えなくっても大丈夫だよ。でもやっぱり、小原主任のおかげで、業務管理がしっかりできていた部分は大きいし、それを君たち3人に任せるのは僕の方針だから、僕も責任もってフォローしていくし、分からないことは何でも訊いていいから」
「はい。でも、3人のうち誰がどこまで担当するとか、まだ振り分けがよく分からないんですよね」
「担当とか分けるつもりはないよ。全部できるようになって(笑)」
「ええー。むちゃくちゃ難しいですよ」
「今はね。でも完璧にこなしてもらうよ」
「ひー。プレッシャー」
「おいおい。だからプレッシャーかけてやるなって」
社長も笑いながら、もう一度言った。
「でもやっぱり仕事では、大体できたっていうのはNGで、いつも100点満点を取らないと完了しないから、学校のテストみたいに及第点なんて存在しないんだよ。だから、分からないことは僕がフォローする。いつも相談しながら仕事を進めるようにして下さい」
「私ら3人だけで話し合ってもできそうにないから、心配だったんですけど、部長に手伝ってもらえるんだったら」
「部長が手伝うって、代わりに作業してもらえるわけじゃないぞ。君らに正しい指示をしてもらうってことだぞ。それでうまくいかなかったら、木田部長の責任てことにすればいい。ははは」
「うん。そのつもりだよ。だから、これからは、僕の力になってくれ(頼む、頼む、ほら頼む!)」
3人は顔を見合わせて、
「でもやっぱり自信ないです~」
そこへ、小原が戻ってきた。
「こらこら。ウソでも頑張りますって言え! 何飲んでんの!?」
「カシスです」
「ビール持って回る時は、自分もビールのグラスを持って回る!」
小原は冷たい表情で言ったので、3人は静まりかえってしまったが、
「あれ? 焦げ臭くない? この鍋まだ火かけたままよ」
慌てて小原が蓋を開けると、一度も箸を入れてなかった小鍋の中は、水分がなくなり焦げついていたので、皆大笑いした。
その後も代わるがわる、社長にビールを注ぎにくる部下たちと喋る間、小原もついでに注がれては飲んで、
「この席いいですね。みんなビール注ぎにくる」
博之も小原もアルコールには強いので、何杯もお代わりを飲んだが、社長は気分がよくなって、若い女性社員のテーブルに移っていった。博之と小原は並んで座ったまま、話し続けた。
「昨日な、愛音が婚約解消するって、こっちに相談に来たんだ」
「おお。ついに来ましたか」
嬉しそうに顔を近づけてきた。
「でも、その後、大変なことになってしまって、今日の朝まで、ほとんど寝てないんだ俺・・・」
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昨晩・・・・・・リビングルームでぐたっりした愛音の様子がおかしいと気づいた秋日子は、泣きそうな表情で見守っていた。救急車を呼んだ博之も、どうしたらいいか分からず、声をかけ続けた。
「愛音。息ができないのか?」
愛音が嘔吐して、それを咽喉に詰まらせたのかもしれないと思い、上体を起こして背中をさすったが、口を大きく開けて、息を吸い込もうとする症状は改善されない。
「過呼吸じゃない!?」
「そうか。愛音、息を吐け。ゆっくり呼吸してみろ!」
「う、ぐ、ヴー」
「何か袋。袋持ってきて!」
知子に指示した。知子はキッチンカウンターに置いてあった、パン屋の袋から中のパンをダイニングテーブルにぶちまけて、その紙袋を博之に渡した。
「この中の空気を吸って・・・」
紙袋を膨らませ、愛音の口に押しつけた。
「愛音! ゆっくり吸って、息吐いて。 ひー、ひー、ふーー」
(それじゃ出産の時みたいじゃない)と知子は思った。
博之が呼吸のペースを静かに繰り返すと、愛音もその速度で、ゆっくりと呼吸しだした。
「大丈夫か?」
まだ、愛音は返事をしない。
「私、表で救急車を待ってる」
知子が外に出ていった。
そうして5分ほどすると遠くから『ピーポーピーポー』という音が聞こえてきたが、その音が消えたので、知子が救急車に合図したのが分かった。
すぐに救急隊がドカドカと家に入ってきて、ソファの側に駆け寄った。
「どうされました?」
「飲みすぎで、気分が悪くなったんですが、今、過呼吸みたいな症状になってて。意識も朦朧としてるみたいで」
「もしもし、聞こえますか?」
救急隊員は、愛音の肩を叩いて話しかけた。愛音は強く目を閉じ、袋を口に当てたままで頷いた。
愛音が運ばれた病院のロビーのベンチで、博之は眠気に襲われ、目を瞑ってぼんやりと、小原のことを考えていた。
(明日の忘年会では、隣に座って一緒に飲みたいな。・・・・・・でも、露骨に部下を隣に座らせると、セクハラになってしまう。・・・・・・いや、彼女も日頃の感じだと、俺の側に来る気がするけど・・・・・・そうなっても、二人っきりってわけじゃないから、差し障りのない話題しか無理だろうな。・・・・・・もし社長の側だったら、ずっと仕事の話になるな。それイヤ・・・)
「あき。眠いでしょ。車で寝とく?」
知子の声で博之は、ふっと、意識が現実に戻った。そして、今晩何時に床に着けるのかまったく分からないこの状況で、自分は何て無責任なことを考えているのかと、我に返った。
「ううん。お姉ちゃんが戻ってくるまで、ここで待ってる」
「もう12時回ってるのよ」
「じゃ、あき。眠くなったら寝ていいから、無理しないでここで横になってなさい」
「こんな椅子で寝るのダメじゃない?」
「どうせこんな時間に、誰もいないから。いいよ」
秋日子は、知子の膝を枕に横になった。
「体調が悪いだけじゃなくって、精神的にまいってるのよね。愛ちゃん」
「そうだろう。普段は気丈に振舞ってるけど、婚約解消するって言った途端、気が抜けてしまったのかもしれないな。それにこれから、拓君や向こうの家族とも話し合わないといけないから、プレッシャーを感じたのかも。過呼吸は、精神的なものからも来るらしいから」
「向こうの家族には、あなたも付いていってあげればいいんじゃないの?」
「そうだな。でも愛音だってもう34歳なんだし、俺が行ったら余計にややこしくなるだけじゃないかな」
病院に運び込まれてから、もう30分以上経っている。診察室から出てきた看護師に、博之と知子は声をかけた。
「あの、川島愛音はまだでしょうか?」
「どんな容態ですか?」
「ああ、川島さん。今から検査をしますので。容態は落ち着かれたようですから、しっかり話されてますよ。もう少しお待ちください」
結局1時間近くかかって、愛音は診察室を出てきた。しかし、彼女はストレッチャーに乗せられていた。側にいた医師に、博之から近寄り声をかけた。
「すみません。彼女はどういう状態なんですか?」
「ご家族の方ですか?」
博之は「はい」と答えようかと思ったが、
「いいえ。知り合いですが」
「では、私の口から申し上げることはできません。ご本人からお聞きください」
この返答に博之は怪訝そうに眉を寄せて、運ばれるストレッチャーのほうを見た。
「愛音。どうだった?」
愛音は、涙目になっていた。
「パパ。私、・・・妊娠してるって」




