【第十九話】重なる呼吸と、不穏な影
ガァァァァンッ!!
薄暗い洞窟の中に、金属と硬質な何かが激突する、凄まじい轟音が響き渡った。
黒い閃光となって飛び込んできたビーストの鋭い爪が、カイルの構える大盾に傷をつける。
ヘビーナイトのスキルで強化された盾でも、完全には防ぎきれない。
想定を超える一撃に、気後れしてしまいそうだ。
「ぐっ……! やっぱ重てえな……!」
カイルは顔を歪めながらも、後ろに控える仲間を守るため、強靭な足腰で岩肌を踏みしめて一歩も引かない。
弾き返されたビーストは、すぐさま岩壁を蹴り、天井を蹴り、不規則な軌道で縦横無尽に飛び回る。
目で追うことすら困難なスピードだ。
「なんて速さなの……! これじゃ狙いがつけられないわ!」
ミラが焦りの声を上げる。
「大丈夫、落ち着いて」
最後尾から冷静に戦況を見つめるアルノの目は、ビーストの動きの規則性をすでに見抜いていた。
「脚力に魔力を回して身体強化しているけど、攻撃の瞬間は必ず直線になる。そこを狙うよ。まずはカイルの強化からだ。ミラ!」
「わかったわ!」
指示を受けたカイルが、盾を構えながら少しだけ背中をミラの方へ向ける。
カイルの分厚い鎧の背中には、以前の不格好な「ダーツの的」ではなく、荘厳な剣と盾をあしらった威厳あふれる紋章のルーンが刻まれていた。
「へっ! 見ろよこのアルノが新しく刻み直してくれたレシーバー! 最高にイカしたデザインだろ! さあ来い、ミラ!」
カイルが自慢げに叫ぶ。初めてのダンジョン実習に向けて、アルノが特別にデザインを仕立て直してあげたのだ。
「はいはい、自慢は後にして! 動かないでよ!」
ミラが杖を構える。
彼女の高すぎる出力は、アルノが刻んだ唐草模様のアタッチメントによって完璧に制御されている。
「フィジカル・ブースト(筋力強化)!」
ミラが放った支援魔法は、寸分の狂いもなくカイルの背中にある直径三センチほどのレシーバーへと吸い込まれていく。
カイルの持つ「絶対魔力耐性」のデバフ領域をすり抜け、強化魔法が彼の肉体に行き渡る。
「おおおおおっ!! 力がみなぎってくるぜ!」
カイルの全身の筋肉がさらに膨張し、鎧が軋む音を立てた。
直後、再び直線的に突進してきたビーストの頭突きを、カイルは大盾で真正面から受け止める。
ドゴオォォォォンッ!!
今度のカイルは一ミリも後退しない。
逆にその圧倒的な腕力と強化された盾で押し返し、ビーストの巨体を空中に大きく弾き飛ばした。
「今だ、シルフィア! 足止めを!」
「任せとき! 風の精霊さん、あのワンちゃんの足、止めたって!」
シルフィアがタクトを振り下ろすと同時に、特製イヤーカフ『ハルモニア』を通じて風の精霊たちが一斉に応える。
弾き飛ばされて体勢を崩したビーストの四肢に、局地的な竜巻が絡みついた。
「グルァァァッ!?」
風の見えない鎖に縛り付けられ、ビーストは完全に空中で動きを止められる。
精霊魔法は身体強化などには向かないが、環境そのものを操るこのような搦め手において右に出るものはない。
「これでチェックメイトだ。ミラ、トドメをお願い!」
「ええ、消し飛べっ!!」
ミラが安物の木杖を真っ直ぐに突き出す。
杖に施された唐草模様のルーンから、余分なエーテルが美しい光の粒子となって空気中へ排出されていく。
そして極限まで圧縮された真紅の炎弾が、杖の先端からレーザーのように射出された。
パシュンッ!
出力が完全に制御された軽い音と共に、炎の直線が空中に縫い留められたビーストの胴体を正確に撃ち抜く。
「ギャウッ……!」
短い断末魔を上げ、ビーストは力なく地面に落下し、ドサリと鈍い音を立てて動かなくなった。
額に突き出た紫色の結晶だけが、主を失ってもまだ、ぼんやりと光っている。
静寂が、洞窟の中に降りてきた。
「……倒し、た?」
ミラが信じられないというように呟く。
「ああ。もう動けねぇだろ」
カイルが大盾を下ろし、大きく息を吐き出した。
「やった……やったわ! ワタシたち、あんな恐ろしい魔獣を倒したのよ!」
「ほんまや……ウチら、すごいやん!」
ミラとシルフィアが手を取り合って喜ぶ。
ダグラスたちを敗走させた強力なビースト。
それを、かつては落ちこぼれと嘲笑されていた四人が、見事な連携で無傷のまま討伐したのだ。
「うん、完璧な連携だったね。お疲れ様、みんな」
アルノはいつもの涼しい顔で微笑みながら、三人の元へ歩み寄った。
チームガレオスとして手にした、初めての完全な勝利の瞬間だった。
――
「さて、喜ぶのはこれくらいにして、さっそく素材の回収をしようか」
アルノは腰のバッグをごそごそと探り、ノコギリやメスのような見慣れない工具をいくつか取り出した。
そして、迷うことなく横たわるビーストの死体へと近づいていく。
「え……ちょっとアルノ、それ何に使うの?」
ミラが顔を引きつらせて一歩後ずさる。
「何って、魔石を取り出すんだよ。おとぎ話みたいに、魔獣が光になって消えて、ポンッと綺麗な石だけが残るなんて都合のいいことは起きないからね」
アルノは革の手袋をはめ、ビーストの額に突き出た紫色の結晶の根本へ、鋭いメスを躊躇なく突き立てた。
「ブチッ」、という生々しい肉を裂く音が響く。
さらにアルノは小さなノコギリを取り出し、頭蓋骨にしっかりと食い込んでいる結晶の根元をゴリゴリと削り始めた。
血の匂いと、骨を削るひどく現実的な音が洞窟の広間に広がっていく。
「うぇっ……ウチ、ちょっとあっち見とくわ……」
「わ、ワタシも……」
シルフィアとミラは青ざめて顔を背け、耳を塞いだ。
「お、お前……そういうの平気なんだな……」
カイルでさえ、涼しい顔で淡々と解体作業を進めるアルノの姿に若干引き気味だ。
彼は料理をするため肉の解体自体は平気だが、ついさっきまで殺意を向けてきた魔獣の頭を躊躇なく割るそのメンタルには驚かされる。
「田舎じゃたまに野良魔獣が出たからね。討伐は村の大人が総出だったけど、おじいちゃんがよく解体を頼まれていたからさ。何度も間近で見たし、大きくなってからはボクも手伝ってたんだよ」
アルノは世間話でもするような口調で言いながら、テコの原理でゴキッと結晶を抉り出した。
「よし、採れたよ」
アルノが水筒の水で血を洗い流し、持参した布で綺麗に拭き取ると、手のひらの上で紫色の魔力結晶がぼんやりと美しい光を放った。
そして魔石を地面に置き、携帯工具箱から取り出した折り尺でサイズを測る。
「ざっと十二センチってところだね。これで実習の条件はクリアだよ!」
アルノが笑顔で魔石を掲げると、ようやく振り返ったミラとシルフィア、そしてカイルの顔にパッと明るい喜びが広がった。
「よっしゃあ! これでオレたちも合格だ!」
カイルが拳を突き上げる。
「ほんまによかった……ウチらでもやれたんやね」
「当然よ! ワタシたちのチームが一番に決まってるじゃない!」
四人は互いの健闘を称え合い、薄暗いダンジョン内に明るい笑い声を響かせた。
しかし、その光景を遠くの岩陰から、息を殺して見つめている者たちがいた。
先ほどビーストの恐ろしさに怯え、アルノたちを見捨てて逃げ出したCクラスの最終チームだ。
彼らはまだ、実習のノルマである魔石を確保できていなかった。
「おい……嘘だろ。あのDクラスの落ちこぼれ連中が、あのビーストを倒したぞ……」
チームの一人が、信じられないものを見るような目で震える声を漏らす。
「しかも、あのリーダーの小柄な女……解体まで手慣れてやがった。どうなってんだよ……」
Cクラスチームのリーダーである少年は、ギリッと血が滲むほど強く唇を噛み締めた。
まさかあんな恐ろしい魔獣を、格下であるはずのDクラスがあっさりと討伐するなんて。
このままでは、自分たちだけが手ぶらで帰還し、そのせいで『CクラスがDクラスに降格』してしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けなければならない。
(くそっ……俺たちはアイツらより格上のCクラスだぞ。あんな出来損ないどもに負けるなんて、絶対にありえない……)
タイムリミットが迫る中、彼らの心に強烈な焦りと、あるどす黒い感情が渦巻き始めていた。
そして暗がりの中、リーダーの少年の冷たい視線が、アルノの腰に下げられたバッグへと吸い寄せられていた。




