【第二十話】リターンキーと、四人の決断
薄暗い岩壁の裏側で、Cクラスチームのリーダーの少年はギリッと奥歯を噛み締めていた。
目の前では、Dクラスの落ちこぼれ連中が、魔石を掲げて歓喜している。
このままでは自分たちだけが不合格となり、Cクラスでの居場所がなくなる。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
リーダーは傍らに控える細身の少年に視線を向けた。
彼は『シャドウ(斥候)』と呼ばれるジョブを志望している生徒だ。
シャドウは正面からの戦闘には向かないが、自身の魔力を薄くまとい、姿を視認されにくくしたり、音を消したりと、周囲の環境に同化する隠密行動に特化した特殊なジョブである。
体術にも長けているため、ダンジョン探索において罠の発見や偵察を担う重要な役回りだが、今はその能力が別の目的で使われようとしていた。
「おい。あの小柄なリーダーの女。あいつが腰のバッグにキーをしまうのを見た。お前の『スニーク(隠伏)』のスキルで、あそこからリターンキーを奪え」
リーダーの低く冷たい声に、シャドウの少年は一瞬、ハッと息を呑んで躊躇した。
「で、でも……他人のキーを奪うなんて、バレたら退学じゃ……」
「馬鹿野郎、バレなきゃいいんだよ! それに分かってんのか? お前。負けたら俺たちDクラスなんだぞっ!」
Dクラスという言葉に他のメンバーも、急に不安感が増す。
「ポイント差はほとんどないんだ。あいつらがキーを探してる内に魔石の採集を終えて、先にダンジョンを出ればCクラスの勝ちだ。それに本当に盗むわけじゃない。ゲートの入り口付近にでも置いておけば、あいつらも『途中で落とした』と思うだけだ。実習が終わるまで少し借りるだけだから、大丈夫だ」
リーダーは悪びれもせず、言葉巧みに少年を説き伏せる。
まばたきもしないその瞳には、焦りと奇妙な執着の色が混じっていた。
少年がまだ迷っているのを見て、リーダーは上空を見上げた。
魔獣討伐の余韻に浸るDクラスを映すドローンマギアと、自分たちを映すCクラス用のドローンマギア。
二つの飛行軌道を冷静に確認する。
「見ろ。今のあいつらの立ち位置とドローンの角度なら、ちょうど岩陰が死角になる。隠密行動が得意なお前なら、絶対に気づかれずに行ける」
その強い言葉に背中を押され、シャドウの少年はゴクリと唾を飲み込むと、深く頷いた。
彼は気配を完全に風景と同化させ、岩の影から影へと滑るように移動を始める。
そして、仲間たちと笑い合い、完全に無防備になっていたアルノの背後へ音もなく忍び寄った。
すれ違いざま、少年の手がアルノの腰のバッグへ滑り込む。
アルノが工具を持ち歩くために少し大きめのバッグを使っていたことも幸いし、一瞬でリターンキーを抜き取った。
キーの重みが消えたことにも気づかず、アルノはカイルたちと談笑を続けている。
シャドウの少年は奪ったキーを懐にねじ込むと、足早に、そして無音でその場を立ち去った。
――
「いやー、しかしあんなデカいビーストを倒せるなんてな! オレたちのチーム、最強じゃねえか?」
カイルが上機嫌で大きな笑い声を上げる。
「ふふん、当然よ。シルフィアがビーストの動きを封じてくれたし、カイルの盾があったからね」
「ミラちゃんの炎弾、迫力があって見惚れてしまうわ」
ミラも胸を張り、シルフィアもふわりと微笑む。
実習のクリア条件を満たした四人の足取りは軽く、出口であるゲートへ向かう帰路は和やかな空気に包まれていた。
「あ、ちょっと待って」
通路の途中で、アルノがふと足を止めた。
彼の視線の先、ゴツゴツとした岩肌の一部が、わずかに青白い光を放っている。
「あんなところに『青光石』の原石が埋まってる。珍しいなぁ、ちょっと採取していこうかな。マギアの材料にちょうどいいし」
「お前、本当にそういうの目ざといな」
呆れるカイルをよそに、アルノは腰のバッグに手を入れた。
ガサゴソと工具を探る音が響く。
しかし、数秒後。アルノの動きがピタリと止まった。
「……あれ?」
アルノがバッグの中を覗き込み、さらに両手でバッグの底まで手探りする。
「どしたん? 工具でも忘れてきちゃったん?」
シルフィアが不思議そうに首を傾げた。
「違う……ない」
アルノのいつも涼しい顔から、スッと表情が消えた。
「ないって、何が?」
ミラが近づき、アルノの手元を覗き込む。
「リターンキーがない」
その一言で、その場の空気が一瞬にして凍りついた。
「は……? お前、冗談だろ?」
カイルの声が裏返る。
「冗談でこんなこと言わないよ。さっき魔石を解体した時は、工具を出したから絶対にあったはずなんだ。でも、今はどこにもない」
アルノはバッグを裏返し、中身を地面にぶちまけたが、工具や素材の切れ端が落ちるだけで、あの金属フレームのカード型マギアはどこにも見当たらなかった。
「嘘でしょ……キーがないと、ワタシたちダンジョンから出られないじゃない!」
ミラが青ざめて叫ぶ。
実習は、ゲートから出て初めて成功となる。いくら魔石の採取が成功しても、帰還できなければ失敗だ。
「と、とにかく戻って探そう! 解体した場所で落としたんかもしれへんで!」
シルフィアの切羽詰まった声に押され、四人は血相を変えて、先ほどまで激闘を繰り広げていた広間へと全速力で引き返した。
しかし、地面の血痕や岩の隙間、歩いてきた経路の隅々まで這いつくばるようにして探しても、リターンキーの輝きを見つけることはできなかった。
「……ない。どこにもないぞ……!」
カイルが絶望に顔を歪め、地面に手をつく。
ミラはどうすればよいのか考えがまとまらずその場をウロウロし、シルフィアも言葉を失い立ち尽くしていた。
完全な暗礁。
チームガレオスは、突如としてダンジョンに閉じ込められてしまった。
「……ごめん、みんな」
沈黙を破ったのは、アルノの静かな声だった。
いつも涼しい顔をしている彼が、今は珍しく俯き、拳をきつく握りしめている。
「ボクの管理が甘かった。リーダーなのに、こんな大事なものを無くすなんて……本当にごめん」
深く頭を下げるアルノ。
しかし、彼を責める声は誰からも上がらなかった。
「なに謝ってんだよ、リーダー。らしくないぜ」
カイルが立ち上がり、ポンとアルノの小さな肩に手を置いた。
「あんな凄まじい戦闘だったんだ。もしオレが預かってポケットに入れてたとしても、絶対に落としてたぜ」
「そうよ。カイルだったら預かった瞬間に、その馬鹿力で、キーを粉々に握りつぶしてたかもしれないわ」
ミラがわざと茶化すように言って、ふふっと笑う。
「おい! いくらオレでもそこまで馬鹿力じゃねえよ!」
カイルがむきになって言い返し、そのやり取りに少しだけ張り詰めていた空気が緩んだ。
「ウチも、珍しいものいっぱいやから、よそ見してて落としてたかもしれへん。誰もアルノ君を責められへんよ」
シルフィアも優しく微笑み、アルノの顔を覗き込む。
「それより、これからどうするかやね。入口まで戻って、先生たちにゲートを開けてもらう?」
仲間たちの温かい言葉に、アルノはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、すでに後悔や焦りの色はなく、いつもの理知的な光が宿っていた。
「……ありがとう、みんな」
アルノは小さく息を吐き、きゅっと口角を上げる。
「待っていても実習は失敗になるだけだ。キーが無いなら……作ろう。構造ならさっき覚えたからね」
「……は?」
カイルが間の抜けた声を出し、ミラとシルフィアも目を丸くした。
「作ろうって、アルノあんた……あのリターンキーを!?」
ミラが叫ぶ。
リターンキーは国の最高機密に近い複雑なルーンが刻まれた、高価で貴重なマギアなのだ。
「うん。タルタロスを通る前、ロイド先生にじっくり見せてもらったからね。ルーンの構造は完全に解析済みさ。あとは材料の問題だね」
アルノは早口で説明を始める。
「本来のキーは軽量で強度が高く、そして極めて高い魔力伝導率を持つ『魔力結晶ガラス』が使われている。だからあの小さな魔石でも作動するんだ。でもここにはそんな高価なガラスは無い」
アルノは周囲のゴツゴツとした岩肌を見回す。
「ダンジョン内の魔力を帯びた、鉱石をベースにして代用する。ただ、『魔力結晶ガラス』の伝導率を補うために、ベースは五十センチ以上の大きめの鉱石にして、動力源には『二十センチ以上の魔石』が必要だ。そこにボクが『反転』と『増幅』の極小ルーンを大量に刻み込めば、同じ効果を出せるはずだ」
「五十センチ程度の鉱石ならそこら辺にあるけど……二十センチ以上の魔石ぃ!?」
カイルが頭を抱える。
「さっきオレたちが必死に倒した、あのビーストですら十二センチだったんだぞ!?」
「そうだね。だから、二十センチ以上の魔石を持つビーストはこの辺りにはいないと思う」
アルノの視線は、広間の奥へと向けられていた。
そこには、教員たちが「絶対に越えてはいけない」と厳命していた、警告の太いロープが張られている。
「……ロープの向こう側、行く気なん?」
シルフィアがゴクリと唾を飲み込んだ。
「あそこから先は、監視ドローンの魔力波も届かない未知の深層エリアだ。でも、中型の魔獣を探すなら、進むしかない」
アルノは三人の顔を順番に見つめた。
「危険な賭けになる。でも、誰かの助けを待って不合格になるより、ボクは自分たちの力で帰還をもぎ取りたい」
沈黙が降りた。
しかし、それは恐怖によるものではなかった。
カイルが大盾を拾い上げ、バンッと力強く叩く。
「へっ、Dクラスの落ちこぼれが、おとなしくルールなんて守ってられるかよ。なんもしなくてもDのまま!ならあがいてやるよ!」
「そうね。一族の恥から最強の魔導師になったんだから、これくらいやってやらなきゃ」
ミラが杖を構え、シルフィアも「ウチの精霊さんたちも助けてくれるって言うてはるわ。これで百人力やね」とタクトを握りしめる。
四人は深く頷き合い、警告のロープの前へと歩みを進めた。
そしてカイルを先頭に、チームガレオスは躊躇うことなくロープを越え、危険な深層エリアへと足を踏み入れた。




