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第三話 クーデター

 国王バーザス暗殺から数日。事件の真相はいまだ闇の中にあり、王国は深い混乱へと陥っていた。親衛隊への疑惑、サラマンに対する調査委員会、そして王都エルドラムへの戒厳令――王族や高官たちは互いを疑い始め、王国を支えてきた秩序は音を立てて崩れ始める。やがて、その混乱は単なる暗殺事件では終わらなかった。エルドラムを舞台に、王国の命運を懸けたクーデターが幕を開けようとしていた。


 王都エルドラムには深々と雪が降り積もっていた。 通りを行き交う人々は肩をすぼめ、白い吐息を幾筋も冬空へと漂わせながら足早に歩いていく。降り続く雪の影響で道路は白く覆われ、普段なら往来の絶えない車の姿もまばらだった。 そんな静まり返った街並みを破るように、何台もの大型軍用トラックが隊列を組み、さらに空には、大量のドラゴンが編隊を組んで飛行しエルドラム中心部へ向かって進んでいた。


エルドラムでは今、大規模な軍の展開が始まろうとしていた。


 王都の中央にそびえ立つ王城は、大雪の中でもなお威容を誇っていた。厚く降り積もる雪に包まれながらも、その堅牢な城壁は揺らぐことなく王国の中枢を守っている。

その東側には、王族の居住区として使われる大きな屋敷が建っていた。

 

 屋敷には五階建ての塔がそびえ立ち、その最上階にはベルの自室が設けられている。向かいの部屋には、幼い頃からベルに仕える付き人ケルムが暮らしていた。

二階には召使や執事たちの居室が並び、王室直属の若い召使であるケイティもその一室を与えられている。


そのケイティの部屋には、ベルの姿があった。すっかり落ち着きを取り戻したようで、プディングをおいしそうに食べていた。


 机に向かうケイティは、一枚の便箋へ丁寧に文字を書き綴っている。


「何を書いているんだい?」


 ベルが興味深そうに尋ねた。


「家族への手紙です。こんなご時世ですから、両親も心配していると思いまして。」


 ケイティは手を止め、穏やかに答える。


「君の故郷は、北のアリアナ村というところだったっけ?」


「おっしゃるとおりです、ベルザード様。」


「ベルでいいって、何度言えば分かるの?」


 ベルは少し頬を膨らませて不満そうに言った。

 ケイティは困ったように微笑む。


「ですが、ベルザード様は王族のお方です。そのようにお呼びするわけにはまいりません。」


 ケイティは困ったように微笑んだ。

 ベルは小さく肩をすくめる。


「……サラマン様、大丈夫でしょうか。」


 心配そうに呟くケイティに、ベルは迷いなく答えた。


「兄上なら大丈夫さ。あれだけの苦難を乗り越えてきた戦士なんだ。僕の憧れでもあるしね。ミラルダ姉上とは大違いさ。」


 ベルは迷いなく言い切った。


「今の姉上は、手柄を立てようと躍起になっている。戒厳令の指揮を執る権限を議会から与えられたときなんて、とてつもない笑顔だったよ。」


 その光景を思い出したベルは、わずかに顔をしかめる。


「でも、なぜ防衛軍ではなく、侵攻軍が指揮を執ることになったのでしょうか?」


 ケイティは率直な疑問を口にした。


「ロイ兄上はサラマン兄上と仲がいいからね。きっと、そのせいで疑われているんだ。」


 ベルはそう答える。


「議長のマイヤス卿は、『王国内で最も信頼のおける部隊に任せる』と言って、姉上の軍を指名したんだ。経済新聞も、その判断を称賛しているしね。」


 ベルは淡々と説明したが、その表情から不安が消えることはなかった。

王都の混乱は日に日に深まり、誰が味方で誰が敵なのか、それすら見極めることが難しくなりつつあった。


 その時、部屋の扉が静かに叩かれた。


「失礼します。ベルザード様。フランク大尉がお見えになりました。」


 扉を開けたのはケルムだった。

その後ろには、一人の大柄な男が立っている。


「お呼びでしょうか、ベルザード様。」


 ベルの軍団で中隊長を務めるフランクである。階級は大尉。猪人である彼は、ケルムに匹敵するほどの巨体を誇り、顔中には無数の古傷が刻まれていた。その鋭い眼光と屈強な体格は、子どもが見れば逃げ出してしまうほどの迫力を放っている。


「入って。」


 ベルに促され、フランクは部屋へ足を踏み入れた。


「何かご用件でしょうか。」


「何が起こるか分からないからね。伝えておこうと思って。」


 ベルは真剣な表情で切り出した。


「といいますと?」


「戒厳令の話は知っているだろう? ミラルダ姉上の侵攻軍がエルドラム内へ配備されるって話さ。でも、僕たちには何の連絡もないし、出動命令も受けていないよね。」


「はい、そのとおりです。」


 ベクトルは静かに頷いた。


「だから不安なんだ。僕たちは信頼されていないってことじゃないかな。つまり、僕たちまで疑われているのかもしれない。」


 ベルはそう口にしたものの、それは確証ではなく、あくまで自身の推測だった。


「ディーンとウッド、それにリーたちにも伝えておいてほしい。」


「『いつでも出動できるよう備えておけ』と。」


「承知しました。」


 フランクは力強く返事をすると、すぐに部下たちへ伝令を出すため部屋を後にした。


 ベルは閉まった扉を見つめたまま、小さく息をつく。

 

 その時だった。


 突然、屋敷内に激しい銃声が響き渡った。


 ベルは咄嗟に窓際へ駆け寄り、下を見下ろす。


 屋敷の正面玄関から、兵士たちが次々と建物内へ突入してくるのが見えた。間もなく廊下を駆ける足音が近づき、扉が勢いよく開く。


 飛び込んできたのはフランクだった。


「ベルザード様! 侵攻軍の兵士たちが突入してきました! 使用人たちはすでに拘束されています。マクラーゲン中佐の姿も確認しました!」


 息を切らしながら報告する。


「裏口へ向かおう。」


 ベルは短く指示を出した。


 フランクが先頭に立ち、その後ろをケイティ、ベルと続く。最後尾ではケルムが周囲を警戒しながら歩みを進めていた。一行は裏口へ向かう廊下を急ぐ。


 あと数歩で扉へたどり着く――その時だった。


「動くな!」


 背後から鋭い怒声が響いた。


 一同が振り返る。


 そこには、ひときわ華やかな軍服をまとった一人の虎人が立っていた。

ミラルダ配下の将校、マクラーゲン中佐である。


マクラーゲンは片手を突き出すと、黒く光るツルを生み出し、ベルへ向けて拘束呪文を撃った。


あまりにも突然の出来事に、ベルは身動きひとつできない。


しかし次の瞬間、白く輝くツルが飛来し、黒いツルを弾き飛ばした。


ケイティが放った魔法だった。


直後、紫色の閃光が部屋を駆け抜ける。フランクがマクラーゲンへ向けて呪文を撃ったのだ。呪文は直撃し、マクラーゲンは吹き飛ばされる。そのまま窓を突き破り、外へと投げ出された。


廊下にまばゆい閃光が走った。


ケルムとケイティが同時に衝撃呪文を撃つ。呪いを受けた大柄な兵士は壁へ激しく叩きつけられ、そのまま崩れ落ちた。続けざまにフランクが失神の呪文を放ち、兵士たちは次々と意識を失って倒れていく。


錯乱した一人の兵士が、絶叫しながら「殺人呪文」を撃った。


ケイティがはとっさにベルの前へ飛び出す。


「ベル様っ!」


呪いはケイティへ直撃した。


ケイティはベルをかばうように立ち尽くしたまま、その場へ力なく崩れ落ちる。


ケイティの悲痛な叫び声が廊下に響いた。


フランクは即座に衝撃呪文を撃つ。兵士へ直撃し、その体を大きく吹き飛ばした。兵士は地面へ叩きつけられ、そのまま気を失った。


ケイティの身体は、もう動かなかった。彼女は、その場で息を引き取っていた。ベルはその姿を見つめたまま立ち尽くす。


 込み上げてくる涙を必死にこらえ、唇を強く噛み締めた。


「……行きましょう。」


 ケルムの低い声に促され、ベルはようやく頷く。


残された三人は裏口から屋敷の外へ出た。周囲に兵士の姿は見当たらない。


芝生の上で、先ほど倒したはずのマクラーゲンがうめき声を漏らしながら立ち上がった。体を引きずるようによろめきながら三人へ近づき、震える手を持ち上げて呪文を撃とうとする。


パンッ!


背後から乾いた銃声が響いた。


マクラーゲンの体が大きく揺れ、そのまま前のめりに倒れ込んだ。


三人の視線の先には、薄汚れた茶色のフードを深くかぶった一人の人物が立っていた。右手には、使い込まれた古びた無骨な杖を握り、左手には錆の浮いた回転式拳銃を携えている。


フードの隙間からのぞく鼻先と口元から、その人物が狼人であることだけは分かった。


やがて、その人物は静かにフードへ手を掛ける。ゆっくりとフードが外され、素顔があらわになった。


男だった。


顔には無数の傷が刻まれ、焼けただれたような火傷の痕が痛々しく残っている。左目は白く濁り、すでに視力を失っているようだった。


さらに、マントの裾からのぞく左脚は義足だった。


コツ、コツ――。


杖を軋ませながら、その男は大股で三人のもとへ歩み寄ってくる。


「まったく、アホなやつだ。しゃしゃり出てきおって。部下に任せておけば済んだものを。」


ベルは男を見つめた。


「……まさかあなたは、ネルスさんですか?」


フランクが聞く。


「ああ、そうだ。」


男は短く答える。


「助けに来た。ボージンの野郎に頼まれてな。」


「ボージン卿が?」


「話は後だ。」


ネルスは周囲へ鋭い視線を走らせる。


「時間がない。そのうち兵士どもがわらわら集まってくるぞ。」


そう言って三人を見回すと、口元に笑みを浮かべた。


三人はネルスの後を追い、城を抜けて深い森へ入っていく。


人の踏み入った形跡もない獣道をしばらく進みながら、ネルスはぽつりと口を開いた。


「ボージンはな、この事態を前々から予測しとった。」


「バーザスにも何度も警告しとったんだがな。あやつは自分の娘を愚かにも信じ切っておった。疑いたくなかったんだろうな。」


ネルスは鼻で笑う。


「見事に嵌められたわけだ。まあ、自業自得だ。」


「あやつは先代王には忠臣を装っておきながら、裏ではボージンと結託して先代王を失脚させ、自分が王座に就いた男なのだからな。」


「父上のことを悪く言うな!」


ベルが叫ぶ。


ネルスは鼻で笑った。


「ほう、頭に血が上ったか、小僧。いい度胸だ。」


ベルを真っすぐ見据え、顔を近づけ低い声で続ける。


「だが、ワシから見れば、お前もバーザスと同じ甘ちゃんだ。」


「人を疑うことを知らん。だから簡単に騙され、利用される。」

「……愚かなやつだ。」


「ネルスさん!!」


ケルムが思わず声を上げる。


ベルは何も言い返せなかった。悔しさで唇を噛み締めると、目には涙が浮かんでいた。


ネルスはそんなベルを見て、鼻で笑う。


「おお、泣きそうか?」


「グズで、弱虫で、そのうえ泣き虫とはな。」


「先が思いやられる小僧だ。」


やがて立ち止まると、足元の茂みに隠れた穴を指さした。


「着いたぞ。この穴の先が通路になっとる。」


「抜けた先が隠れ家だ。さっさと入れ!」


狭い土のトンネルへ足を踏み入れる。


 頭上は低く、湿った土の匂いが鼻をついた。どれほど歩いたのか、ベルには分からなかった。やがて前方に淡い光が見え始める。


 出口を抜けると、そこには一面の白銀の世界が広がっていた。深い森の中だった。雪が静かに降り積もる木々の間に、一軒の小さな古びた小屋がひっそりと建っている。


「ワシの家だ。強力な保護呪文をかけてある。魔力に敏感なドラゴンでも、そう簡単には気付けまい。」


 人目を避けるように佇むその小屋こそ、ネルスが三人を案内した隠れ家だった。


 大雪が降り積もる王都には、大勢の兵士たちが配備され、街の至る所で警戒を続けていた。上空では、ドラゴンが何頭も飛び交い、その鋭い眼で地上を監視している。


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