第12話 夫の買い戻し提案
ヴィクトルが北海灯台港へ来たのは、港の再開が王都まで届いた直後だった。
応接室へ通された彼は、昔と同じ穏やかな笑みを浮かべていた。けれど今の私には、それが相手を都合よく丸め込むための形にしか見えない。
「君の仕事は認めるよ、エミリア」
最初の一言がそれだった。
「王都港も、君が戻れば穏便に収まる。セリーヌは表に立つのが向いている。君は裏から支える方が」
「その続きは聞き飽きました」
私は裏港帳の写しを机に置く。
「あなたが買い戻したいのは私ではなく、私の手と帳面だけでしょう」
ヴィクトルの口元が引きつった。
「君は昔から言い方が刺々しい」
「刺々しいのは、偽物の麦と灯台を消しかけた帳簿です」
彼が言い返す前に、扉が開いた。ライナーが入ってくる。
「商談なら終わったようだ」
静かな声なのに、部屋の空気が変わった気がした。
ヴィクトルは形だけの礼をした。
「これは夫婦の話だ」
「ここは北海灯台港だ。監査官への圧力も、当然こちらの管轄になる」
逃げ道を失ったヴィクトルは、最後に私を見た。
「王都へ戻らなければ、君は永遠に倉庫の影だ」
私ははっきり言った。
「もう誰の影にも戻りません」
彼が去ったあと、指先の震えが遅れてきた。
ライナーは何も聞かず、ただ新しい潮見表を机の端へ置いた。
「今日は外海が静かだ」
その不器用な気遣いに、胸の奥が少しだけ熱くなった。




