主人公が変わるというテンプレ
「出ろ。釈放だ」
無感情に開放を告げられた。
今日で一年だ。すごく早く過ぎていったように感じた。
一年も過ごしたのに、この独房になんの感慨も抱いていなかった。それよりも、もう出てもいいのか、という疑問のほうが強かった。
監視員に連れられ、外に出る。なんの手続きもない。こんな簡単に出れていいものだろうか。
一応、宿に三日は泊まれるくらいのお金を渡され、私は釈放された。
これから、どうすればいいのだろう。
家族はいない。友達もいない。あるのは自分の服と、すずめの涙ほどのお金。
後ろを振り返っても、なんの感情も見せない監視員がいるだけ。
しかしいつまでも、ここに留まっているわけにはいかない。
監視員に「お世話になりました」とだけ言い、私は歩き始めた。
×
殺人を犯したものが一年で出れてしまう理由を、私はこの一年の間に知った。法律作成に携わっていた女の人が、同じ牢だったのだ。
なんでもその人は、王が勝手に決めた法律に意義を唱えたから、捕まったらしい。
二人以下殺しをした者は、出たとしても生きていけない。
人権がなくなってしまうからだそうだ。
例えば人に物を盗まれたとき、その被害を役所にいる警備員に申し出ても、それは黙殺される。
この顔の真ん中にある無残な彫り物が邪魔をするらしい。
この『ばつ印』がアイツの顔に彫られていたとき、疑問に思ったのだ。なぜ牢屋に入っていた人間が刺青をほれるのだと。
その疑問は私が牢に入った初日に解消された。
同じ独房の人はほとんど、ばつ印を彫られていた。
無論、私もそうなった。
しかし、この印。『罰印』とでもいいたいのだろうか。
なんでも、この彫り物は業の重さを表しているらしい。
でも、たとえ人権がなくなったとしても、私は生きている。
だから、あの時の疑問は消えそうにない。
なぜ、人を殺した人間に、生きる権利が残されている?
×
パンを買った。冷たい壁にもたれかかる。別に腹が減っていたわけではないのに、なぜ自分はパンをかじっているのだろう。
この大きな大きな『ばつ印』は、どうやらこの町の人間には周知のことらしく、刺すような目線が気になった。
だから路地に入った。逃げるように、怯えながら。
惨めだ。
自分が殺したかったから、あの人の頼みを受けたのに、後悔している自分がいることが、惨めで、悔しくて、醜かった。
適当にパンをかじっていると、何かが、来た。
予想はついた。そうだ、どうせそうだろうと思っていた。そうならない訳がない。アイツと同じような、末路をたどらない訳がない。
すっと入ってきた影が、自分の顔に触れる。影のある方向に顔を向けると、女の人が立っていた。
手には、ナイフを持っていた。
顔は、ひどく悲しそうな、苦しそうな、あの人のような顔だった。
「私のことを、覚えている?」
もちろん、忘れるはずがない。忘れていいわけない。
「もちろん……覚えています。たしか、アイツの、親御さん、ですよね……」
涙を流して訴えかけていた光景が、よみがえった。なんで、あの子を殺したのと、泣き叫んでいた。
この人が、自分と重なった。
「なにをしに来たんですか? まさか、謝ってほしいなんて言うわけじゃありませんよね? だとしたら、お笑いです。自分みたいなゴミの言葉のどこに、信憑性があるんですか?」
挑発するようにいった。
「ええ、もう一度、謝らせてやろうと思って来たの。形だけでもやってもらえれば……私は、あなたを許せるかもしれないから」
あの時の自分と同じだ。
でも、置かれている状況がかなり違った。
「それはそれは……ひどいお笑いだ。まあ、いいです。それで満足するのなら、いくらでも謝ります」
そういって立ち上がり、腰を曲げる。
「すみませんでした」
――喉を蹴られた。咳き込み、涙目になった。
「死んで」
もう一度、喉を蹴られた。今度は、涙が出た。
「なんで」
声が低くなった。喉をまた蹴られ、咳が、止まらない。
「なんで……」
ひどく、悲しい声だった。
「なんで、あなたが生きてるの!」
蹴られたのは喉ではなく、顔だった。
「なんで、って。お笑いだ。そんなの、答えはすでに出ているじゃないですか」
しりもちを搗きながら、笑って言った。鼻血が垂れて、口に入ってきた。
そう、答えは出ている。
「そんなの、生きたいからに、きまってる」
自分は、自分のことが、アイツより、ほかの誰より、嫌いだ。
鼻血を垂らしながらいった。
彼女は、ゆっくり近づいて、馬乗りした。
ナイフを胸に刺そうとしているのだろう。
「なにか、言い残すことはある? あなたの家族に、伝えておくから」
家族なんて、もういない。
でも、言おう。
だれに向けるのかなんて、自分もわからない。
だとしても、これだけは言いたかった。
息を吸った。喉と顔がジンジン痛かった。
「ありがとう、ございます」
虚ろに開く目で、彼女を見た。
――やっぱり、そうだ。そうなるのだ。そういう、顔になる。あの人と同じ、感情が全てごちゃ混ぜの、そういう顔になる。
その事実を再確認して、目を閉じた。
でも、いつまで待ってもナイフは落ちてこない。
体にかけられていた体重が、ふっと消えた。
目を開けると、彼女は、無表情で、こう言った。
「もう、いいわ。あなたの望むことをやってしまったら、もう復讐じゃないから」
唖然として、彼女を仰ぎ見た。
「死にたいと思っているあなたを殺しても、私にメリットなんてない」
気づかれていた。自分の思惑を知られていた。
「始めから、おかしいと思ったのよ。面会のときはあれだけ真摯に謝っていたあなたが、あんな言動を取るなんて。でも、私に殺してほしいと思っていたのなら、あの下手な演技にも納得がいくわ」
図星だった。あの演技は、自分の一世一代の大演技だった。
「だから、私はあなたを殺さない。死にたいと思うあなたを殺しても、意味なんてない。一生、生きることにもがき苦しみ、最後の最期まで、傷ついて、傷ついて、死ねばいい」
×
何も考えず、俯いて歩いていた。
道行く人から恵んでもらえたのは、汚い身なりの自分への嘲笑、罵倒の声だけだった。
何度でも、言えた。
自分は、惨めだ。
自分の故郷に行っても、意味はない。身寄りのない自分は、邪魔者あつかいされるだけだ。
だからといって、なんで自分は、あの人の家に向かっている?
この期に及んで、あの人に頼ろうというのだろうか。
その醜さをわかっていたが、足は止められなかった。ただ、慰めてほしかった。優しい言葉を、かけてほしかった。
そしてそれは、誰でもよかった。
ここに来てようやく、なぜ自分に生きる権利が残されているのかを理解した。
それはきっと、この世が地獄だからだ。
二人以下殺しをした者は、その罪を背負って生きていく。
三人以上殺しをした者は、その罪を背負わず死ぬ。三人以上殺しをしたら、また人を殺す危険性があるから死ねるのだろう。
羨ましいなと、少しだけ思った。
そうしているうちに、あの人の家にたどり着いた。
レンガ造りの、頑丈そうな家だ。周りは草原で囲まれていて、庭に一本の木が植えられていた。
ドアをノックした。返事はない。
おかしいと思った。空は曇っていて、少し暗いがまだ昼だ。どこかに出かけているのだろうか。
あの人は、自分の本業は鍛冶屋だといっていたから、中で仕事をしていると思ったのに。
もう、なにかをする気にならなかった。
死にたい。
今まで、一度も思ったことのないそれが、芽生え始めた。
どうにでもなればいいと、レンガのざらざらした壁にもたれかかった。
ほんのり暖かい壁だけが、自分を癒してくれた。
×
「おーい、起きろ。こんなところで寝るのはよくない。早く家に帰りな」
寝ぼけ眼で当たりを見回すと、きれいな夕焼けが見えた。
「すいませんでした。……あの、ここに住んでる人はもう帰ってきたんですか?」
この人は、自分と話していてもなんの抵抗も示さなかったから、この彫り物のことを知らないのか、それとも気づいているのに気にしていないのか、どちらかだろう。
「ここに住んでる人って、ああ、アイツのことか……。あの図々しいガキだろ?」
あの図々しいガキ。あの人のことを言っているのだろうが、そんな姿は想像が付かなかった。
「多分そうだと……思います」
男は、一呼吸置いて、遠い目をした。
「アイツなら、死んだ」
……理解が、及ばない。
意味不明だ。なぜそうなるんだ。なんで、どうしてあの人だけ――。
「あの、なんで、あの人は……」
「さあな。最後に会ったのは、アイツが死ぬ二日前だが、おかしい様子はなかった。つっても傍から見れば、アイツはやばい野郎だったのかも知れないがな。アイツが働いていたとこの、スミフって言う爺さんが死んでから、変わっちまったからな」
理解は、できた。でも、どうしても、理由を知りたかった。なんで、あの人は、死んでしまったのだろう。
「そういや、アイツ書置きを残して逝ったんだが、見るかい?」
「書置き……」
目の前に差し出されたそれを、手に取った。
×
――――。
×
「お返しします」
「別に返さなくてもいい。アンタに向けてアイツは書いたんだろうし。少し中身を見たけどよ、ありゃあ、女に向けて書いたものだとすぐにわかったぜ。謝っていたしな。男が謝る時は、たいてい女が関係してるもんだ。浮気とかな」
男は「悪い、冗談だ」と言って頭を掻いた。
「そうだったとしても、自分がもっていても、しょうがないです」
目の前の男は、まあいらねえなら仕方ない、と言ってポケットに乱雑に入れた。
「あの、お墓はないんですか。あるなら、お墓参りだけでもしたいです」
「それがなあ、アイツは、ここの家で死ななかったんだよな。書置きだけ残されて、中には自殺の痕跡は残されていなかった。当然死体もないから、墓は形だけしか作ってないけど、それでもしていくかい?」
「あの、なら生きてるかもしれないんですか?」
「……それはないだろうな。あんな遺書を書いたやつが、死なないわけない」
俯いて「そうですか……」と言った。
「しかし、なんで死んじまったのかね。あれでも、一時期は鍛冶屋の後継ぎになろうと頑張ってたのになあ……」
「あの、ありがとうございました。おかげで、少し元気が出ました」
全く元気なんて出ていないが、とりあえず建前を言った。
「墓参りはしなくていいのかい?」
「はい、もう、大丈夫ですから……」
取り繕って、前を向いて言った。
×
草原に挟まれた小道を、一人歩いている。向こうから馬車でも来たら、草原に飛び込まなければ轢かれてしまうほどに狭い。
いっそ、轢かれてしまいたかった。
でもそんなのは、逃げでしかないし、迷惑行為でしかない。
死という救済をこの手で、誰の手も煩わせずに受ける方法が、自殺だ。
でも、馬車に轢かれてしまった時点で、それは自殺ではなく他殺だ。
だから、自分にはできない。それに、理由もなかった。
また一つ、いまさらだが気づいた。牢屋で会った女が、この彫り物を彫られたものは生きていけないと言った理由が。
ああでも、それでは語弊が生まれてしまう。
正しくは、生きていけないではなく。生きたくても生きることができないだろう。
実際そうだ。自分は生きたい。でも、それはできない。
この刺青は、何処へ行っても自分の邪魔をするだろう。
仕事もできない、罪を与えることもできない。
だからみんなきっと、生きることをあきらめ、自殺してしまう。だから、あの女は、生きていけないと言ったのだろう。
自分は、どうすればいいのだろう。
他と同じような、陳腐な結論を出して、死という救済を受けるか。
それとも、アイツの母親が言ったように苦しんで傷つけられて、ぼろきれのようになってから死ぬか。
ああでも、結局どちらも同じことだ。
生物は最後に死に、土に還る。
それまでの行動、なにもかも全ては無駄に終わる。
ならば、なぜ自分は生きている。
最後には死という、不確定で、不安定で、どうしようもない絶望が待っているというのに、なぜ自分は今を生きている。
生きたいからだ。
でも生きることなどできない。
――なら、死ぬのか?
お前の罪を償うことなく、楽な道を選び、救済を受けるというのか?
――違う!
そんなの許されていいはずがない。己の罪も償わない人間が、そんな簡単に死んでいいわけがない。
ならば、償え。償い続けろ。
自分は、生きてやる。
どれだけ痛めつけられて、傷ついて、死にたくなっても、自分は死なない。死んでたまるか、
それが、自分にできる唯一の罪滅ぼしだから。
そうだ、だから、だから自分は――――。
大きく息を吸った。絶対に生き抜くという、確固たる意思をもって。
――死なない。




