主人公が無双するというテンプレ
『いつもの』朝がきた。
ベッドから起きると俺は、必ず顔を洗う。頭は働かないが、顔を洗うことは習慣化されているから、真っ先に水場へ向かった。
顔を洗ったら、伸びをした。普段はしないことだ。
俺はきっと、緊張している。それはそのはず。今日は特別な日だ。
ずっと待ち望んでいた日が来た、はずなのに緊張しているのはなぜだろうか。
普通、待ち望んでいた日、例えば誕生日のような日なら、緊張など全くせず、むしろ今日という日は人生で最高の日になる、なんて思ったりして、高揚するものなのではないか。
いや、愚問だったな。そもそも俺は普通ではないだろうし、なにより例えが悪かった。
今日という日は、誕生日なんていうどうでもいい日とは、比べることもできない日のはずだ。
やはり、朝は頭が働かない。
×
アイツが、出てきた。
万感の思い。最早、恋慕にも匹敵するんじゃないかというぐらいに、純然な殺意を抱いていた。ようやく、これが終われば殺せるのだと、気持ちが昂ぶる。
深呼吸をして、落ち着く努力をする。が、落ち着ける気は全然しなかった。
人通りの多い街中を、アイツは警戒など全くしておらず、軽い足取りで歩いていた。少しは警戒してもいいだろうに。
きっと、罪悪感を肩に着いた髪の毛ぐらいにしか感じていないからだろう。人を殺すことを、ゴミをゴミ箱に入れることと同じことだと言っていたから。
客観的に見ても、やっぱりゴミだよな。俺も、アイツも。
アイツが路地にでも入ってくれたらやりやすいが、その気配はない。それどころか、保釈金で買い物をしていた。
俺たちに謝るだとか、スミフさんたちの墓に行くとかをする気配は全くない。ただ知らないだけかもしれないが。
――しょうがない。と、メイさんに合図をした。
同じ被害者遺族とはいっても、等しくアイツに殺意を抱いているかといえばそうじゃない。でも、あの人も俺と同じだったらしい。
だから、復讐を手伝ってほしいと伝えたとき、即答してくれた。
いや、俺のは殺意で、メイさんは復讐心か。同じふうに捉えてしまうのは、メイさんに失礼だ。
メイさんがパンをかじるアイツに近づいていく。アイツが気づいて、少し驚いた様子を見せた。そして、笑った。
メイさんがなにかいった。アイツはそれを聞いて、ひどくいやな笑みを浮かべた。
メイさんが予定通りアイツを路地に連れ込んだ。全てが予定通りだった。
×
「お前もしつこいよなあ。だから過ぎちまったことは忘れようぜ。なあ?」
こいつは、一年前となに一つ変わっていなかった。変わったことがあるとすれば、顔に彫り物ができていることぐらいだろうか。
思わず、ポケットに隠したナイフで刺しそうになった。おばあちゃんとおんなじ苦しみを与えてやりたかった。
「おいおい、黙るなよ。なんのために俺をここに連れてきたんだ? まさか、その貧弱な腕で俺を殺す気か? だとしたらお笑いだぜ」
なんとか声を絞り出そうと、つばを飲み込んだ。
「……まって、謝って。おばあちゃんとあの人のおじいさんに」
震える声で、なんとか絞り出した。
「やだ」
たった一言、そこに伴ってほしい感情がなくてもよかった。ただ一言、謝ってくれればそれで私はよかった。許せたかもしれなかった。
「いやに決まってんだろ? そんなことよ。というか、俺がそれをいったところで『後悔』っていう感情はないことぐらいわかってるだろ?」
なんとか言葉を――と、思うのに、なにも思いつかなかった。
「というか、お前は馬鹿だよなあ。婆を殺したときも、ただ泣いているだけだったしよ。お前のほうが価値がないかもなあ。いまやっちまおうか?」
私の首に手が触れた。
「抵抗しねえんだな。やっぱ、お前もゴミだわ」
×
ちょうどよく、腕を切り落としやすくしてくれたので、腕めがけて、斧を振り下ろした。
いや、振り下ろしたというのは少し違うかもしれない。高いところから落ちた勢いを利用して、斧を落としただけだ。
しかし、それでも切り落とすことには成功した。
さっきアイツが言っていたことを思い出した。
メイさんの価値を、コイツはゴミと同等と言った。
なら、泣けもしない俺の価値は?
いつも通り、この問いに答えてくれる人はいない。
でも今日は違うらしく、目の前に答えがあった。
血が噴水のように出た。メイさんにかかった。
――俺とコイツは、生ゴミ。畑の肥料にも使えないレベルに腐りきった、ゴミだ。
アイツが絶叫した。瞬時にさるぐつわをして、声を出させないようにした。
アイツが血走った目で、腹を蹴ってきた。
鍛えたからか、たいして痛くもない。一応、薪割りの効果はあったらしい。
お返しに腹を殴ってやると、アイツは嘔吐した。まだパンが消化されていない。少し俺にもかかったので、膝をついて咳き込むアイツの喉を蹴っ飛ばしてやった。
「あの、あとは……お願いします」
血だらけになったメイさんが、俺に頼んだ。本当に悪いことをした。一応自覚はあったが、そのくらいにしか思わなかった。
アイツが、目の前にいた。仰向けになって、なにかを懇願するように、俺を見てきた。
斧を振り上げる。
もちろん、腹めがけて。
何日待った?
何度、コイツを思い浮かべて薪を割った?
まるで、恋が成就したときかのような感情だ。
アイツが、涙を浮かべて、俺に訴えかけるように手を伸ばした。
それを払いのけるように、言った。
「――死ねよ」
俺の一世一代の告白だった。
下手な言葉を並べるくらいなら、単刀直入に言うのが一番だ。
淀んだ血が、辺りを真っ赤に染め上げた。
×
「これから、どうするんですか?」
答えは決まっている。それをだれかに言う気はないけれども。
「適当に生きる……だろうな。自首するのもいいだろうし、このまま罪を忘れて生きるのも、俺の自由だろうし」
一つ、嘘をついた。
あのあと、現場はそのままにして逃げた。俺たちは血だらけだったから、持ってきた服に着替えて、とりあえず俺の家で休憩をしている。
現場はもう見つかっているころだろうが、ここからアイツを殺した町まではかなりの距離がある。アイツが殺されたら、真っ先に警察は俺たちを疑うだろうが、もうあの服は燃やしたし、凶器も捨てた。
メイさんは顔を見られていたかも知れないが、眼鏡をかけて、その上フードも被っていた。そして目立たないように路地に入ったのだから、メイさんの顔を覚えている人はかなり少ないだろう。
「私は、自首します。人を一人殺したのに、罪をかぶらないなんて間違ってると思いますし。……なにより、あの人と同じようになるのはいやだから」
俺は、「そうか」としかいえなかった。
「それじゃあ、お元気で。また会えるかは、わかりませんけど」
そう言って、メイさんは去っていった。
――もう会うことはない、という台詞は、外に出る前に止めた。
×
俺はゴミである。
そう最後に綴って、筆を置いた。
人殺しをして、その罪すら殺して、そしてのうのうと生きる、なんていう嘘をついた。
俺は今日死ぬ。
一年前、俺を支配した思いは、今も消えずに残っている。
『アイツを殺したあと、俺も死ぬ』。なんていう、心中のような思い。
アイツ風に言うなら、『ゴミをゴミ箱に入れた後、自分もその中に入る』だろうか。
我ながらイカれた思考だ。
死ぬことに理由なんていらないと思うが、あえて理由をつけるならば、ずっと死にたかったから、だろう。
俺は、ずっと前から、この世界に来る前から、友達が自殺する前から、死にたかった。でも死ねずに、死ぬに値する理由を見つけられなかったから、生きてきた。
そして、自分を殺せる都合のいい理由を見つけた俺は、あの日死んだ。
猫を救う為、なんていう嘘をついて。
俺は、表面上は猫を救うなんて嘯いていた。でも結局は自分を救う為なのだ。
猫を救って、俺は死ぬ。
そんな外面はひどく綺麗で、でも中身は醜悪な、偽善を理由にして、死んだ。
しかしなぜか死んでいなくて、ここで生きている。
たしかにスミフさんに会って、人と関わって、俺は変われた。あの日この世界に来て、少しの希望を持った。
でも、その希望は砕かれた。
そして今日、アイツを殺し、俺を殺せる理由を手に入れた。
人殺しの罪は、向こうの世界じゃ死刑ものだ。だから、自分の手で罪を与え、自分の手で罰を与える。
でもその罰は、俺にとって有益なもの。
死という救いが与えられるもの。
本当はわかってる。
俺はもう、死んでいるんだ。
生きものとして生きていても、俺は人として死んでいる。
だって、馬鹿の一つ覚えみたいに、いつもいつも死にたいなんていって、でも理由がないから死なない。
こんな人間、死んでるも同然だ。
俺は何回も死んでいる。
死にたいと思った回数分だけ、俺は死んでいる。
だとしても、何回でも俺は死ぬ。
この思いはテンプレものでも、飽きていても、俺は今日死ぬ。
もう後にはひけなかった。
ドアを開けて、冷たい風が吹く世界に、飛び出した。




