主人公の恋は簡単には叶わないというテンプレ
今日は、あの夢を見なかった。
毎夜毎夜見ていたあの夢。私のもっとも重い罪。それを今日は、見なかった。
きっと喜ばしいことじゃない。私はまだ、なんの罪滅ぼしもできていない。アイツに対して、アイツの母親に対して、何一つ返せていない。
でもそれをすることは、不可能だ。二人とも、居場所がわからない。
住んでいる場所も、名前も、私は何も知らない。知るすべもない。お金を払うこともできないし、謝ることもできない。
だから、別の方法で償いをしようと思った。
多分、そのせいだろう。あの夢を見なくなったのは、アイツの方が、私をほんのちょこっとだけ許してくれたからだ。
そしてそれをすれば、きっと私は、完全に許される。
×
やけ早く目が覚めた。
今日が、帰霊祭の日だ。もしかすると、彼と、アイツも返ってくるかもしれない。まあ、どちらの故郷もこの村ではないだろうけど。
朝日が上る前に起きるのは慣れた。最近、寝起きが良くなった気がする。やっぱり、好きな人ができたからだろうか。
日が窓枠から差し込んでくるのと同時に、屋根裏から出た。
聖堂に向かいながら、大きく伸びをした。朝の日課だ。
「おや、おはようございます」
案の定、リトシム君は私より早く起きていた。
「はい、おはようございます」
「今日は忙しいですよ。料理もそろえなければなりませんし、飾りつけも完了していませんから」
彼はすっかりお祭り気分だったが、それとは対照的に私は不安を抱えていた。
お客さんが来てくれるかわからないからである。安定して来てくれるであろう家族連れは、まず大丈夫だろうけど、他が心配だ。家族連れの人数が十二人。他が六人だ。
この六人の内二人は大丈夫だ。信頼しているし。だが残り四人。この人たちにはかなり適当なことをいった。切羽詰っていたとはいえ、さすがに教会で働く者としてまずいであろう言動もたくさんあった。
それに、なんとか行くとはいわせたものの、しぶしぶといった様子だったし。
彼らこそが私の真の頼みの綱でもある。だから、来てくれないとまずい。
まあ、今はそれを考えるよりも、飾り付けや料理のことを考えるか。
「なんとか、夕方までに終わらせましょう。私も手伝います」
相変わらずこの人は、手伝う気でいたらしい。どこまでもお人よしだ。そんなところが、いいと思ったのだけれども。
「もちろん、駄目です」
×
夕方になり、続々と人がやってきた。
まず村の人たちから、家族連れ――そして、最後にあの人もやってきた。
「お久しぶりです。トレッドさん」
まさか、来てくれるとは思わなかった。客集めをしているとき、たまたま出会って声をかけただけだったのに。
「ああ、久しぶりだな、嬢ちゃん。あのことは黙っといてやるから、安心しな」
どういうことだろうか。無論、印のことを黙っておいてやるという意味だろうが、その意図がわからない。むしろ、いったほうがいいのではないだろうか。殺人犯と同じ空間にいるのだし。
「なんで来たのか不思議って顔してんな。……ま、じきにわかるよ」
トレッドさんは、意味深なことをいうと席についた。
まあ、とりあえず安心した。集客した人はほぼ全員来てくれているし。リトシム君も安心したようだ。
企画はまず、彼の演奏から始まる。その間、亡くなられた方の思い出話をするらしい。食事もその間に済ませる。
その後は、彼が教書の内容を話す。何かありがたいお言葉をいうらしい。
しかし、彼はすごいよなあと、改めて感心させられた。だって彼は、盲目だ。記憶するにも、見るということができないのは痛いだろうし。
私の仕事は特にない。強いていうなら、料理を机に運ぶことぐらいだろうか。彼がいうには、お客を集めてくれたお礼らしい。やっぱり、彼は優しいのだ。
そうこうしている内に、彼が壇上に立った。手には杖と楽器を持っている。
彼が一礼して、帰霊祭は始まりを迎えた。
×
少し、夜風に当たりたくなって外に出た。
空には、満点の星が輝いている。本当に、満点をつけたくなるほどに、綺麗だった。
教会からは、彼の奏でる音楽が聞こえてくる。やっぱり、彼はすごい。
音楽と星の綺麗さ――それと、『帰霊』が合わさった瞬間だった。
それを、私は独り占めしていると思うと、申し訳ない気持ちになる。
体が冷えてきた。そろそろ、戻ろう。
天使に導かれるがごとく扉を開けると、ちょうど彼の演奏が止んだ。ちょうどよかった。私も彼がいう言葉を聴きたかった。
「では、これから教書を読ませていただきます」
正確には、しゃべらせていただきますだと思うが、細かいことはどうでもいい。
「ちょっと、待ってくれないか」
後ろから、野太い声がした。誰かと思えば、トレッドさんだった。彼は聖堂の狭い通路にいる人を掻き分けて進んでいく。
「何か、用がおありでしょうか?」
「ああ、おおありだぜ。といっても、用件は一つだがな」
トレッドさんが、膝をついた。と思ったら、頭を床にこすり付けていた。土下座である。
「あの日のことを、覚えてるよな?」
「ええ、もちろんですとも」
「なら、話ははええや。――本当に、すまなかった」
トレッドさんはいつも通りを装っているが、声は震えている。
「ずっと、謝りたかったんだ。俺がアンタの目を奪っちまったのに、俺って奴は馬鹿でさ……。謝りにもいけなかったんだ」
ああ、わかった。彼の目を奪った酒乱は、トレッドさんだったのか。
「だっつーのに、アンタって人は俺を役所に突き出しもしねえ。ほんっとに、アンタは優しいよな」
トレッドさんの目から、涙がこぼれるのが見えた。
「でもよ、その優しさにつけこんで、このまま謝らなかったら、俺はもっと屑になるって、思ったんだ。だから、この場を借りて、もう一回だけ、謝らせて欲しい」
リトシム君は、黙ったままだ。横顔からは、表情は伺えない。
「本当に、すまなかった」
数秒、経った。水を打ったように、聖堂は静寂に支配されている。
そして彼が、口を開く。
「ありがとうございます」
トレッドさんが、絶句した。そしてすぐに、頭をまた壇上にぶつける。今度は、ゴン、と大きな音が鳴った。
「違う、違うんだよ。アンタにいって欲しかったのは、そんな言葉じゃない。俺は――」
「いいんです」
トレッドさんの顔はぐちゃぐちゃだ。そこまで、悩んでいたらしい。
「私はもう、たくさんのものを貰えましたから。今の状態にも、もう慣れましたし、なにより、あなたが謝ってくれたことが、私はなにより嬉しかった」
ですから、と彼は続ける。
「もう、気に病まなくても大丈夫です。あなたはもう、主に許されましたから」
やっぱり、彼はどこまでも優しかった。
×
彼が教書を読み終えた。きっと、ありがたいお言葉だったのだろう。
周りから、拍手が鳴る。子供は、パチパチと明るい拍手を。大人は、パンパンと乾いた拍手を。
私は、何もしなかった。
彼が、壇上から降りた。もうこれで、帰霊祭はお開きだ。後は、売り物を机に出すだけ。それを買いたい人は買っていく、という感じらしい。もちろん強制ではない。
私は、すっと立ち上がる。
ここからは、文字通り私の独壇場だ。
ゆったりとしたペースで歩いた。周りはまだ興奮から冷めないようで、「なんだなんだ」と、おもしろそうなことが始まりそうだと思っているらしい。
きっと、一部の人にはおもしろい。
壇上に立った。上から見える景色は、あまり良いものではなかった。
彼の閉じて開かない瞼を見る。この視線に、彼は気づいてくれない。そんなことは知っている。届いても、届かなくても、どちらでもいい。
やっぱり、最後に思いだけでも伝えればよかったのかもしれないと、少し後悔した。
きっと、声に出しても届かない。だから、心の中でいってしまおう。
好きだ。大好きだ。
そして、さよならだ。
首で結んだ布を、ゆっくりとほどいた。
客の目が、衝撃で見開かれた。みんな、同じ顔をしていた。
今日は、帰霊の日。
アイツが、見てくれていることを願う。




