《本格戦時体制》
その日は朝から大変な事態が起こった。
霜が降りた中での朝練の最中に馬がものすごい速さで目の前を走り抜ける。
どうやら長老館へ向かったようだ。
教忍達も指導を中座して長老館へ向かっていった。
櫂は早馬というものを初めて見た。
中納言藤原信頼様から急ぎの指令がある時にだけ使われるらしいが、今日がその日ということなのだろう。
櫂は先日の津島忍者と龍神の話は忘れてとてもワクワクしてきた。
きっと戦忍の出番に違いない。
「叙里、僕たちも行くのかな」
隣の叙里に同意を求めるように聞いてみたが、
「戦忍でも僕たちはまだ見習いですよ」
あっさり否定された。
しばらくすると櫂たち戦忍見習いは教忍館に集められた。
上座に教忍頭幸軌と群暮が並んで座っている。
戦忍見習い達は年ごとに黄、白、黒の順に三列で座った。
教忍頭はいつにも増して厳しい顔つきと口調で、
「今まで準戦時体制だったが、明日からは本格的な戦時体制になる。」
「時間がないので本題だけ話すから、その後は速やかに行動するように。」
息を吸い込み少し声を張り、
「本来であれば、卒業時に種分けするが、黄組の慶亮、秖尼、白組の寄戸、黒組の蓮、奏、五人は仮の甲種忍者として、俺に従え。」
「残りは群暮に従い乙丙種戦忍を補佐し里を守れ。」
「甲種は俺と一緒に長老館へ来い、残りは一時解散し超長老の指示を待て。以上。」
事態は想像以上に深刻なようだ。
蓮は櫂と目を合わさずに無言で教忍頭に付いて行った。
櫂たちは言われた通り小屋に戻って指示を待つことにした。
教忍館から見習い戦忍小屋のへの道中では誰も何も話さず、それぞれに何かを考えているようだった。
短いはずの館から小屋への時間が異常に長く感じられた。
黒組見習い戦忍小屋に戻ると土間で百合が待っていた。
櫂を見つけると飛び掛かるように近づいてきて両腕を掴みながら
「ねぇ櫂、何があったの。」
と心配そうに尋ねてくる。
櫂は何て答えていいか分からない。
「ん~良く分からない、」
何気なくそう返した。
「分からないわけないでしょ。教忍館で何か言われたんでしょ。」
それ以上櫂が答えなかったので、代わりに叙里が答える。
「準戦時体制から本当の戦時体制に代わるそうです。」
百合は今度は叙里の両肩を掴み、
「それは、どういう事なの、何が起きるの。」
叙里にもどういう事か分からないので何も答えられない。
「私たちも分からないの。」
桃が弱々しく答える。
「里はいったいどうなるの。」
百合はその場にしゃがみ込んだ。
三人がその場に立ち尽くしていると。
「みんな何してんだよ。そんな所に居ないで上がろうよ。」
団丸は部屋に上がると囲炉裏に火をつけた。
「はい、みんなこっちこっち。」
と手招きしてから、しゃがみ込んでいる百合の両脇を抱えて、
「はい、百合はここね。」
と囲炉裏の前に座らせた。
「黙ってても何も変わらない。だったら楽しくしようよ。」
団丸がみんなを励ます。
叙里はスタスタと自分の定位置に座る。桃もそれに続く。櫂は百合の隣に座り、
「百合、僕たちも本当に何も分からないんだ。でもきっと大丈夫だよ。」
とうつむく百合の手を握りしめた。
「そうだよ大丈夫だよ。」
こんな時に団丸の大声には勇気づけられる。
「そうですよ。僕たちが下を向いてても何も変わりません。」
いつもと変わらない叙里の冷静な声だ。
つ~る よ~い よ~い よ~い つ~る よ~い よ~い よ~い
さい~の~むらにぃ~はぁ~ たかぁ~らぁ~のぉ~ やぁ~まよ~
桃が歌いだした。
みんなで手拍子と合いの手を入れる。
櫂は改めて仲間っていいな、この四人で本当に良かったなと実感した。
それから交代でそれぞれの村歌を披露していく。
緊張に包まれた晩秋の修忍里で黒組見習い戦忍小屋だけは前向きな明るい雰囲気に包まれていく。
翌朝、集会所には戦支度の甲種戦忍が集合していた。
霜が降りた集会所前の広場には修忍の里に住む全員が集まっている。
集会所の中では超長老から激励の言葉が続いているらしく、時折オオ~オオ~と戦忍の気勢が上がる。
オオオオオ~!
一際大きな気勢が集会所内から聞こえてくると、
ガラガラ、ダダダダダ~。
戸が開き一斉に戦忍が飛び出してきた。
里人達が集まる広場前で整列すると。
集会所の障子戸が開き中から超長老が出てきた。
幅の広い縁側をゆっくりと二歩三歩四歩、一番端に立つと広場に集まる里人達に向かい良く通る声で話し始めた。
「今日から桜修忍里は戦時体制とする。」
「今から主命により、甲種戦忍は京へ向かう。」
し~んと静まり返る広場は次の言葉を待っている。
「相手は藤原信西じゃ。」
この言葉にはざわめきが起こった。
それを鎮めるように超長老が
「確かに信西には椛忍者が付いておる。」
ザワザワザワと先程より大きなざわめき
「じゃが案ずるな。桜忍者こそが日ノ本最強じゃ!」
オオ~~!!
ざわめきも多少あったが、それを打消すほどの気勢が里中に響いた。
「出発じゃ!」
今までに聞いた事がない超長老の大声がその気勢に続くと。
オオオオオオオオオオオオ~!
甲種戦忍たちが一斉に忍者駆けを始めた。
目の前を駆け抜けていく甲種戦忍たち。
最後方には蓮もいるが、その姿からはいつもの自信に満ちたオーラが消え失せていた。
「がんばれよ~」
「やっつけろ~」
「腹いっぱい食べろよ~」
里人の激励の中、甲種忍者は京を目指した。
今までは何だかんだで楽しい二年だった。
しかし今日、自分が目指していた戦忍の本当の姿に櫂は何かが違うような気がした。
長老のあんなに怖い氣も初めて感じた。
そしてそれを送り出す里人達にも違和感を覚えた。
里には二五人の甲種戦忍がいるが、そのうち二十人と蓮達昨日まで見習いだった五人が京に向かった。
京ではいったい何が起こっているのだろう。
これで教忍以外の甲種戦忍が里には一人もいなくなった。
その残っている教忍も修忍には厳しく自分には甘い群暮、優しすぎの章允、変態の有慈、新米教忍二人の合わせて五人だけだ。
修忍里の風景はいつもと変わらないが、この何とも言えぬ頼りなさは何だろう。
結界を張り巡らせた修忍里が襲われることがないとは思うが、もし教忍頭達が戻ってこなかったら、もし敵が攻めてきたら自分達だけで村を守らなきゃならない。
居なくなって初めて教忍頭幸軌の偉大さがわかった気がする。




