第三話 曇天開けて Ⅴ
明らかに、場の空気が変わったのを感じる。
…あぁ、やってしまった。
けれど、もうこうなった以上は、やるしかない。
(……考えろ。どうすれば、菜緒さんたちを逃がせる…?)
視線を走らせる。その先で、黒曜がゆっくりと手を持ち上げる。思わず身構える――が。
果たして、男は、その手から、先ほどのように、あの光を発することはなかった。いや、それどころか、後ろで蠢いていた、あの土人形――あれが、突然動きを止めた。
そして――黒曜の視線が、私を捉える。
「……誰だ」
正直に言えば、この時点で、私は今すぐ全てを放り出して逃げたい衝動に駆られていた。それでも、その背筋まで凍るような冷たい声を耳にして、此処に立っていられる、ということで、僅かだけでも、自分が逃げ続けてきたことへの償いになる気がして。
そうして少し落ち着くと、菜緒さんと不知火が言葉をのんでこちらを見つめているのが、確かに感じられた。そうしてできたほんの少しの心の余裕で――私は、精一杯の虚勢で、できる限り不敵に、微笑みを作った。
「随分と、見当違いな発言ね。――私を、探してたんじゃなかった?」
その言葉に、黒曜が目を見開く様子が、ありありと見て取れた。
「……『巫女』、だと…?、いや、そのはずがない。…戯言か。」
小さく首を振り、考えを振り払うような仕草を見せる黒曜。しかし。
「……鏡界」
そう、私が呟くと、その目が見開かれた。
ビンゴ、だ。震えを抑え込んで、言葉を継ぐ。
「巫女、ってのは、知らないけど…『鏡界』のことなら、知ってるわ。だって、まさに私が通って来たもの。」
「―っ、氷雨さん!」
菜緒さんが焦ったように声を上げる。もしかしたら、彼女は、私と天照のことを何か知っていて、それを悟られまいと手を施してくれていたのかもしれない。
事実、『巫女』というのが誰か、というのは不確実ではあるが、鏡界というからには、恐らく私のことだ。こちらの世界に着てから日が浅いとはいえ、それでも私のことが知られていなかったのは、彼女や、星読みという人たちのおかげ、という部分もあるのかもしれない。
もっとも、それ以上に大きいのは、私が、簡単な魔法のひとつすら使えず、天照も行方不明、というイレギュラーな状況のせい、というのがあるんだろうけど。
「…仮に、そうだとして、…だが、あり得ん…!そこの男や、星読みの女ならまだしも、脆弱な魔力しかない貴様、だと…!?」
黒曜はどうやら、何かに混乱しているようだった。反対に、私は少しずつ落ち着きを取り戻してきていた。
そう、この、冷徹で隙のないように思えた男は今、私の言葉で揺れている。それどころか、動揺するあまり、新しい情報をもこちらに与えてくれる。
「そうやって、魔力でばっかり探ってるから、私を見つけられなかったんじゃないの?貴方が私を探す理由なんて知らないけれど、それほどのイレギュラーなら、何か常識に当てはまらない部分があっても当然だと思うけど?」
「ぐっ…だが、あり得ん!だとすれば…!」
不思議と、もう恐れはなかった。
やれる、という確信だけが、そこにある。
菜緒さんや不知火を逃がすことが。ほかの客皆の逃げる時間を稼ぐことが。
或いは、皆が無事でここから逃げることが。
ぐ、と、首元のロザリオを握りしめる。
「…菜緒さん、不知火、他のお客さんを連れて、逃げて」
「氷雨さん…っ!」
悲痛な顔をする菜緒さん。つい数日前に初めて会ったばかりの私に、そんな表情をしてくれる彼女を、優しいな、と思ってしまう。
「私が捕まれば、とりあえず他の人たちは逃げられる、そういう話、よね?」
菜緒さんに微笑んでから、黒曜に向き直る。彼は無言で何かを思い悩んでいるようだったが、やがて無言のまま、土人形の一体をゆっくりと動かし始める。
私に向けて。
「――っ、氷雨、さ…!」
駆けだそうとする菜緒さんを、不知火が止めているのが見えた。
それでいい、と、私は思う。
少なくとも、他の人たちは救えて―そして、私もおとなしく捕まれば、おそらく死にはしないから。
―まぁ、おとなしくしている気はないのだけれど。
「……天照、か」
突然死にかけて、突然世界を救うなんて大役を任せられて、突然やってきたこの世界で、突然こんな風に危険にさらされて。
けれど、それとてまた試練、と思えば、そこまで大したことはないのかもしれない。
もともと、私は、自分を変えるために、『運命』を変えるためにこの世界に来たのだ。その道のりは、とても長く、厳しい。
それを思えば―そして、身を挺して、ハッタリやブラフをかましてまで、そしていざとなれば自分たちを犠牲にしてまで私たちを守ろうとしてくれた菜緒さんたちのことを思えば。
これくらい―これしきの絶望を払いのけて、わずかでもいい、時間を稼ぐことなんて。
もう、私の耳には何一つ聞こえていなかった。ただ、無心に、願う。私のために、私を思ってくれる皆のために。
「―力を貸して、木霊」
果たして。
ロザリオの翠玉がはじけ飛ぶ。暖かな空気が、空間を満たしていくのを感じる。
―そして、あの少女は、私の友人である、あの精霊は、私の望みに、応える。
どこからか巻き起こる、緑色の光の奔流。それはいつしか、葉の形を成し、そして、寄り集まって、一体の巨人の形を作った。
「…ッ!土人形!」
異変に気づいた黒曜が声を荒げる。応じて、私を捕らえようとしていた一体が、眼前に現れた巨人に拳を振りかぶる。
対して、緑の巨人も合わせるように拳を振りぬき―ぶつかり合う拳。果たして、これも魔法の力であろうか、葉の集まりであるはずの拳は、土人形との激突で僅かながらも拮抗を見せ―
―そして、弾け飛ぶ。
撒き散らされるのは、閃光と熱、そして大量の葉。土人形が動きを止め、黒曜が目を覆うのが見えた。
そして、その間に、私は駆け出していた。今こそが好機。彼らの視界が効かず、私たちを見失っているだろう今ならば。
「菜緒さん、不知火、逃げてっ!」
背後に叫ぶ。答えはなかったが、確認などしている暇はない。私も必死に森の奥を目指す。簡単に見つからない場所へ、散り散りに逃げ込んでしまえば、そしてそのまま街に出ることができれば、今度こそは―
「う、おおぉぉぉぉぉぉぉ……っ!」
そこで響いた絶叫。
そして。
「―― ぁ 」
気づけば、私の体は空中にあった。舞っている。周りに生えていた木々も、周囲の土や岩なんかも、纏めて。
刹那、剥げた地表に、大量に居並んだ土人形の姿が見えて。
瞬間、失敗を悟った。
「―― っ 」
地面に叩きつけられる。これで二度目だ。今度こそ、私の体は耐えられなかったようだ。衝撃で吐いた息がなかなか戻ってこない。麻痺していた先ほどと違って、今度はあちこちに激痛が走っていた。ろくに体が動かない。骨折なんてこのかたしたことがなかったけれど、これは間違いなく折れている。けれど最早声も出なかった。
そうだ。よくよく考えれば当たり前のことだった。土人形が、あそこに見えていたので全て、という保証はどこにもなかった。黒曜は、万一にも私たちを逃さぬように、土人形たちを他にも地中に仕込んでいたのだろう。あるいは、魔力さえあれば新たに生み出すことは可能なのかもしれない。
詰まる所、私たちは相手のことを何一つ知らなくて、結果として、分の悪い賭けに負けた、という、ただそれだけなのだろう。
そして、動けない私に、迫る影があった。土人形。言葉を話さぬそれが、こちらに手を伸ばし、私の首を掴んだ。
「――か、ふ、 っ」
握力と膂力で、気道が閉まり、身体は地に押し付けられて更に痛みが増す。急速に薄れゆく意識の端で、黒曜が近づいてくるのが見えた。
「手こずらせてくれる…!」
声ににじむは憤怒。呼応するように土人形の力も強くなっているように感じる。詰まる所、手加減はない。おそらくは、また面倒なことになる前に、今度こそ私を殺してしまうつもりだろう。
どうやら、この状態では、周りの様子を窺うこともできそうになかった。菜緒さんたちは、無事に逃げることができただろうか。ほんの少しでも誰か、逃げることができていればいいな、と思う。
死を覚悟していながら、恐怖の傍ら、私は本当に少しだけ、安堵を感じていた。
今度は、逃げずに済んだのだ。自分にできることが、その可能性がありながら、それに目を背けて、逃げることを、選ばずに済んだのだ。
最後の最後に、本当に少しでも抵抗ができたのなら、案外、十分ではなかろうか。『運命』を変える、という目標こそ達成できなかったけれど、『自分』は最後に、ほんの少しだけ変わることができたのだ。そこには、後悔はもうない。
(……けど、やっぱり、死にたくは、ない、なぁ…)
目が霞んできた。満足に動かない手を、土人形の太い腕の隙間に伸ばして、飾りを失くしたロザリオを握りしめた。
(……死にたく、ない)
どれほど強く願おうとも、私には抗う術がなくて。
だから、至極順当に―私は、意識を闇へと沈めていった。
―だから、或いはそれは夢だったのかもしれない。
『――生きたいか』
その問いに、私は、心内で、弱弱しく肯定をした。
そして。
気づくと、私は再び目を開けていた。妙に視界が赤みがかって見える。死にかけておかしくなっているのかもしれない。
ふ、と力なく上げた腕が、土人形のそれに触れたとき、突然にして、強烈な冷気が巻き起こる。
私はただ、冷たい、と感じただけだった。だが、土人形にとっては違ったようだった。
突然、その体表が、白く染め上げられる。
「―な、っ!?」
そして、亀裂を走らせた土人形は、自ら崩れ落ちて、破片を周囲に撒き散らした。黒曜が驚きの声を上げた。そして私の体は、ゆっくりと、起き上がっていく。
「馬鹿な!あの状態から、動けるはずが…いや、その、力は…っ!」
焦ったような声が、どこか遠くのもののように聞こえた。さなか、私は少しずつ腕を上げていく。そして。
『―― 消えろ 』
その声と同時、先ほどとは比較できないほどの冷気の奔流が、周囲に放たれて。
そしてそれを見届けるより先に、私は今度こそ完全に意識を手放して、前のめりに地面に倒れ込んだ。
第三話エピローグ部分へと続きます。
今回、改行の仕方を自分なりに整理してみたのですが、如何でしょうか?
ご意見などいただけると幸いに思います。
そして、次回の投稿後ですが、一身上の都合により、誠に勝手ながら更新ペース未定、ということにさせて頂きます。
どれほど時間がとれるかはわかりませんが…できる限り、投稿は続けていきたいと思っております。
今年は、九十九那と関わっていただきまして、ありがとうございました。来年からも引き続き、宜しくお願いいたします。




