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無能と捨てられた付与師、退職したら王宮が止まりました  作者: 九葉(くずは)


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9/12

第9話 博覧会の灯りは嘘をつかない

王都博覧会の朝、馬車の窓には薄い霜がついていた。


王都の冬は北都ほど厳しくない。


それでも、王宮通りへ近づくほど空気が硬くなる気がした。白い石造りの建物、磨かれた街灯、貴族の馬車の列。


私は膝の上で、小さな木箱を押さえていた。


中には安全札が三枚。


昨夜、最後の試験を終えたものだ。


過熱を感知したら、出力を落とす。使用者には低い警告音を鳴らす。本体配列には干渉しない。暖房魔導具そのものを止めるのではなく、危険だけを止めるための札。


セドリック公爵は向かいの席で、博覧会運営局から届いた受理証を確認していた。


「付与師ギルド、博覧会運営局、双方の受理印があります」


「ありがとうございます」


「安全補助具として記録されています。展示側が拒んでも、提出された事実は消せません」


消せない。


その言葉に、指先の力が少し抜けた。


王宮では、いくつもの記録が小さくされてきた。


見なかったことにされる。


聞かなかったことにされる。


誰かの机の奥で、紙が眠ったままになる。


けれど今回は、同じ書類を二か所に出した。受理印も二つ。写しは私の工具箱と、公爵家法務部と、付与師ギルドにある。


握りつぶされない紙。


それだけで、今日は戦える。


馬車が博覧会場へ入ると、外から歓声が聞こえた。


王都中央展示場は、硝子屋根の大きな建物だった。陽光が天井から降り、魔導具の金属部分をきらきら光らせている。


小型洗浄器。


自動羽ペン。


楽器に合わせて色を変えるランプ。


華やかで、明るくて、少し騒がしい。


王宮の発表台は、その中央にあった。


赤い絨毯。


金の垂れ幕。


王宮魔導具局の紋章。


そして、白い台の上に並ぶ小型暖房魔導具。


丸みのある銀の外殻に、手のひらほどの光核。見た目は愛らしい。貧しい家庭にも置きやすいよう、装飾を少なくしたのだろう。


けれど私は、外殻の熱逃がし溝の浅さに目が止まった。


やはり、足りない。


バスティアン局長は職務停止中だが、博覧会の発表枠はレオンハルト殿下名義で押さえられていた。準備済みの展示を取り下げれば、改革事業そのものの失敗を認めることになる。だから王宮側は、止まれなかったのだ。


「リディア嬢」


低い声に、私は視線を戻した。


セドリック公爵が、半歩だけ近くにいる。


近すぎない。


けれど、人波に押されたらすぐ手が届く距離。


あの日、書庫で保護婚約を断ってから、私たちの間には少しだけ静かな空白があった。


公爵は急かさない。


言い訳もしない。


ただ、私が法務官に安全札を提出するあいだ、必要な扉だけを開けてくれた。


その距離がありがたくて、少し寂しい。


我儘だと思う。


「大丈夫です」


私は答えた。


「今日は、札を出すだけですから」


「必要なら、発言権を求めます」


「私が言います」


公爵は一度だけ頷いた。


「わかりました」


その「わかりました」に、胸の奥が静かに温まる。


前なら、誰かに言ってもらうほうが楽だった。


でも、今は違う。


私の印に関わるものは、私が言う。


展示場の奥で、楽師が短い祝奏を鳴らした。


人々の視線が発表台へ集まる。


レオンハルト殿下が壇上に立った。


深い青の礼服に、王太子の金章。靴は、今日は普通のものらしい。少し安心した。とても安心した。


隣にはルシェル侯爵令嬢。


白いドレスに淡い毛皮の肩掛け。慈善の花と呼ばれる彼女は、冬の陽だまりのように微笑んでいる。


「本日、王宮魔導具改革の新たな成果を披露できることを嬉しく思う」


レオンハルト殿下の声は、相変わらずよく通った。


「この小型暖房魔導具は、寒さに苦しむ民へ届けるためのものだ。ルシェル嬢の慈善基金と王宮魔導具局の協力により、まず王都貧民街へ配布される」


拍手が起こる。


ルシェル嬢が一歩前に出た。


「暖かさは、身分に関係なく与えられるべきものです。わたくしは、その第一歩を皆様と共に」


優しい声。


美しい言葉。


聞いている人々の表情が和らぐ。


善意は強い。


だからこそ、雑に扱ってはいけない。


私は木箱を抱え、展示台の前へ進んだ。


会場係が私を止めようとする。


その前に、セドリック公爵が博覧会運営局の受理証を差し出した。


「安全補助具の提出者です。発言申請は受理されています」


会場係は受理印を見て、道を開けた。


私の心臓が強く打つ。


壇上のレオンハルト殿下が、こちらを見た。


ルシェル嬢の笑顔も、ほんの少し固まる。


「リディア様」


彼女が先に口を開いた。


「いらしてくださったのですね」


「安全補助具を提出に参りました」


私は木箱を開けた。


三枚の安全札を、展示台の端へ並べる。


薄い木札に、青い保護配列。中央には、私の人格印。今回は、私が自分の手で押した印だ。


「小型暖房魔導具の過熱時に、出力を低下させる札です。本体配列には干渉しません。慈善配布品として使用される前に、添付を推奨いたします」


会場がざわついた。


ルシェル嬢は、目を伏せた。


「リディア様。お気持ちはありがたいのですが」


その声で、空気が彼女のほうへ傾く。


「これは、困っている方々へ一日でも早く暖かさを届けるためのものです。ここで不安を煽れば、配布が遅れてしまいます」


不安を煽る。


また、そう来る。


私は札に指先を添えた。


「不安を煽るためではありません。事故を防ぐためです」


「事故が起きると決まっているわけではございません」


「起きないと確認するための試験が足りません」


ルシェル嬢の目が潤む。


見事なほど自然だった。


「わたくしは、ただ寒い方々を助けたいだけです。それを、嫉妬や過去の行き違いで止められるのは」


会場の一部が、私を見る。


冷たい視線。


この形は知っている。


優しい人を困らせる、冷たい女。


善意に水を差す、面倒な付与師。


でも今日は、紙がある。


受理証がある。


安全札がある。


そして、私はもう王宮魔導具局の臨時補佐ではない。


「ルシェル侯爵令嬢」


私は声を低く保った。


「私情であれば、受理印は押されません。こちらは付与師ギルドと博覧会運営局が、安全補助具として受理したものです」


レオンハルト殿下が眉を寄せる。


「リディア。君はまた、場を乱すのか」


「場を守るために申し出ています」


「必要ない。王宮魔導具局が承認した品だ」


王宮魔導具局。


その言葉が出た瞬間、胸の奥が冷えた。


「では、少なくとも安全札を添付した状態で実演を」


「不要だ」


殿下は手を上げた。


「公開実演を始める。諸君、この魔導具は手軽で安全な新時代の暖房だ。不安を煽る声に惑わされる必要はない」


係員が小型暖房魔導具を中央へ運ぶ。


会場が期待にざわめく。


私は一歩踏み出しかけた。


そのとき、セドリック公爵の声が響いた。


「記録を」


たった一言だった。


博覧会運営局の記録係が、慌てて水晶板を起動する。


公爵は続ける。


「安全補助具の添付を推奨した付与師の申し出が、展示側により拒否されたこと。公開実演が展示側の判断で行われること。記録してください」


会場の空気が変わった。


レオンハルト殿下の顔が強張る。


「公爵。脅しか」


「いいえ。記録です」


静かな返答。


私は横顔を見上げた。


公爵は私を見ていない。


壇上を見ている。


でも、彼は私の言葉を奪わなかった。


私が言ったことを、消されない形にしてくれた。


胸の奥が、痛いほど温かくなる。


実演が始まった。


小型暖房魔導具の光核が、橙色に灯る。


最初は穏やかだった。


周囲の空気がふわりと温まる。近くにいた貴婦人が「まあ」と微笑んだ。


次に、光核の色が少し濃くなった。


橙から赤へ。


私は呼吸を止める。


熱逃がし溝が浅い。


光核の上昇配列が、暖気をため込みすぎている。


「出力を落としてください」


私は係員に言った。


係員は王太子を見る。


レオンハルト殿下は顎を上げた。


「続けろ。広い会場でも温まることを見せる」


赤が深くなる。


展示台の銀縁が、かすかに鳴った。


まずい。


このままでは、外殻が熱を持つ。


私は安全札を一枚取り、展示台へ向けて差し出した。


「添付します」


「勝手なことを」


レオンハルト殿下が言いかけた瞬間。


熱に反応して、安全札が青く光った。


本体に触れていない。


けれど札は、周囲の過熱を検知するよう作ってある。


青い線が空気を走り、小型暖房魔導具の光核へ薄い輪をかけた。


ごく短い警告音。


りん、と澄んだ音が鳴る。


赤い光が、すっと橙へ戻った。


同時に、会場の床近くへ温かい空気が広がる。


足元だけが、ぽかぽかした。


妙な沈黙が落ちる。


貴族たちが、自分の靴元を見る。


誰かが小さく呟いた。


「足湯……?」


会場全体の足元だけが、足湯に浸かっているようにぽかぽかしていた。


熱すぎない。


危険もない。


ただ、王宮の威厳ある発表としては、かなり締まらない。


幼い令息が、母親の袖を引いた。


「あったかい。ここでお昼寝していい?」


母親が慌てて口を塞ぐ。


その横で、老伯爵が真顔で頷いていた。


「これはこれで膝にいいな」


笑いが、波のように広がった。


最初は小さく。


次第に隠せないほど。


ルシェル嬢の顔が白くなる。


レオンハルト殿下は、展示台の魔導具を見つめたまま動かない。


私は、安全札の光が完全に落ち着いたのを確認した。


外殻温度、正常。


光核、安定。


使用者に危険なし。


膝から力が抜けそうになる。


でも、立っていられた。


「安全札は、正常に作動しました」


私は会場へ向けて言った。


「本体の過熱傾向も確認されました。配布前に、熱逃がし溝と停止条件の再試験を求めます」


反論は、すぐには来なかった。


来られなかったのだと思う。


過熱は、全員の前で起きた。


警告音も、全員が聞いた。


安全札が作動しなければどうなっていたかも、想像できた。


そして誰も怪我をしていない。


私が望んだ通りに。


「リディア」


レオンハルト殿下が低く言った。


「君は、私の面目を」


「殿下」


別の声が、それを遮った。


展示場の奥から、国王陛下が歩いてこられた。


会場の人々が一斉に膝を折る。


私も深く礼をした。


国王陛下は、展示台の魔導具、安全札、記録水晶の順に目を向けられた。


「今の記録は残っているな」


運営局の記録係が青ざめながら頷く。


「はい、陛下」


「付与師ギルドの受理記録も」


「ございます」


国王陛下の視線が、私へ向いた。


「リディア・エルンスト付与師。安全札は、そなたが提出したものか」


「はい、陛下。慈善配布品の使用者安全確保のため、付与師ギルドと博覧会運営局へ提出いたしました」


「よろしい」


その一言で、胸の奥が少し震えた。


よろしい。


王宮で聞きたくて、ずっと聞けなかった言葉だった。


そのとき、セドリック公爵が一歩前へ出た。


「陛下」


「ヴァレンティン公爵」


「今の件について、ひとつ申し上げます」


国王陛下は頷かれた。


セドリック公爵の声は、展示場の硝子屋根まで届くほど静かだった。


「リディア嬢の申し出は、私の庇護下にあるから正しいのではありません。まして、私の婚約者だから正しいのでもありません」


婚約者、という言葉に、胸が跳ねた。


会場もざわめく。


けれど公爵は、こちらを見なかった。


まっすぐ、国王陛下と記録水晶のほうを見ていた。


「彼女の仕事が正しいのです。提出記録、付与師ギルドの受理、安全札の作動、過熱傾向の確認。いずれも、彼女個人の専門性によるものです」


息が、うまく吸えなかった。


私の婚約者だからではない。


公爵家の庇護下だからではない。


私の仕事が。


私の名前が。


私の専門性が。


会場の中央で、誰かの影ではなく立っている。


ルシェル嬢が唇を噛む。


レオンハルト殿下は、何か言おうとして言葉を見つけられないようだった。


国王陛下は、重く頷かれた。


「王宮魔導具局、慈善基金、ならびに王宮魔導具改革事業の承認手続きについて、正式審問会を開く」


展示場がざわめく。


今度のざわめきは、笑いではなかった。


紙と印と記録が、音を立てて王宮の中枢へ届いた音だ。


「関係書類、記録水晶、人格印鑑定資料をすべて保全せよ。レオンハルト」


「……はい、父上」


「そなたも出席する」


王太子の顔色が変わった。


ルシェル嬢は、白い手袋を胸元で握りしめている。


私は安全札を拾い上げた。


まだ、ほんのり温かい。


足元の空気も、やわらかく温かいままだった。


まるで博覧会場全体が、気まずい足湯になっている。


笑ってはいけない。


笑ってはいけないのに、少しだけ唇が震えた。


隣に戻ってきたセドリック公爵が、低く尋ねる。


「怪我は」


「ありません」


「手は」


「震えていません」


私は安全札を木箱に戻した。


今度は、自分から公爵を見上げる。


「公爵」


「はい」


「先ほどの言葉、ありがとうございました」


彼は少しだけ目を伏せた。


「事実を言っただけです」


また契約書みたいな返事。


けれど今日は、それで十分ではなかった。


「それでも、嬉しかったです」


口にした瞬間、公爵の表情が止まった。


ほんの一瞬。


それから彼は、王宮の誰にも聞こえないほど低い声で言った。


「なら、言ってよかった」


会場の中央では、国王陛下の命により記録水晶が次々と封印されていく。


王宮魔導具局の職員たちは慌ただしく走り、貴族たちは囁きを交わし、発表台の上の小型暖房魔導具は、足元だけを律儀に温め続けていた。


正式審問会。


その言葉が、硝子屋根の下に重く残る。


私は木箱を抱え直した。


私の安全札は、人を守った。


そして今度は、私の記録が私自身を守る番だった。

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