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寄せては返す波のように〜妻は目の前から消えては何度もまた現れる〜  作者: ことり おと


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37/38

37 本当に…?


 ヤツの目は怒りに満ちていた。


「僕は…僕はただ…」

「なんだよ。言ってみろよ」

「やっぱり返せっ。茉尋は僕のものだっ」


 そう言ってヤツは俺に近づいた。

 俺は茉尋を取られないようにしっかりと抱きしめた。


「なにもわかってねぇじゃねーか。そういうのが子どもだって言ってんだよ」

「返したのに。返したくないのに、それでも返したのに…。お前が僕のことを子どもだって言うからっ。だったらもう子どもでいいっ。僕の茉尋を返せっ」


 怒りに任せて、煽りすぎたか?


「お前のじゃないって言ってんだろっ」

「僕には茉尋しかいないんだっ。茉尋だけ…茉尋だけなんだっ」


 こいつ…寂しいのか…?


「何百年もずっと…ずっと暗い海の底で…」

「…寂しかったのか?」

「お前には茉尋以外にもいるだろっ?だったら茉尋を僕にちょうだいよっ」


 俺はこの時、桜の妖を思い出していた。

 寂しくならないように、自分で小鳥のような妖を生み出していたことを。

 

 こいつはそんな気持ちのまま、ひとりで何百年もいたから、こんな感じなのか?未熟で幼稚で…

 ただただ“寂しい”という気持ちを抱えて今まで過ごしてきたのか…


「茉尋はお前には渡さない。それに茉尋はものじゃない」

「やだっ。茉尋は僕のものだっ」


 ヤツは俺から茉尋を奪い取ろうと、茉尋の腕を引っ張った。

 

 その時、海がピカッと一瞬光った。

 

 かと思えば、ヤツが光のモヤのようなもので拘束されていた。


「やっと見つけた。お前の悪行は全て知っている。しばらくの間、眠っててもらうからな」


 どこからともなく、波の音を割って響くような、厳かな男の声が聞こえてきた。


 なんだ…?


 なにが起こってる…?


「やめろっ。離せっ。僕はなにもしてないっ」

「人の命を奪っただろ。私はずっとこの海を、人を守ってきたというのに」


 守ってきた…ということは海の守り神か…?


「奪ってないっ。勝手に死んだんだっ」

「海では人が生きられないのを知りながら、自分の所に引き寄せたのなら、それはもうお前が命を奪ったのと同じことなんだよ」

「やめろっ。僕は茉尋と一緒にいたいっ」

「それは無理だ」

「やめろよっ。離せよっ」

「黙れ」


 なに?なにが起きてるんだ?


 守り神はひと言そう言うと、ヤツの姿は徐々に薄くなり、砂浜にコロンと小さな石が転がった。

 

 呆気に取られていると、守り神らしき人が姿を現した。

 見慣れない服に身を包み、銀髪の端正な顔立ちをした青年だった。


「千明。君のおかげでこいつを見つけることができたよ」


 彼はそう言いながら石を拾った。


「こいつは元々海深くに沈んでいた小石だったんだ。いつの間にか自我が芽生え、妖となり何百年も生きてきた。まさかここまで力を蓄えているだなんて思わなかったよ」

「……助かりました…ありがとうございます」

「お礼を言うのは私の方だよ。ずっとこいつのことを探していたからね。こいつはいつも上手く隠れてしまって、なかなか見つけられなかったんだ」


 探してたのか…


「今回、こうなってしまったのは私のせいでもあるんだ」


 そう切り出して、守り神は話し始めた。

 守り神はヤツの力に気がつき、その姿を必死になって探していたらしい。というのも、その力が邪悪なものだったから、それを清めたかったようだ。

 だけどなかなか見つけられなかった。

 だから海にたくさんの小さい妖を生み出し捜索をしていた。でもその影響で守り神の力が少し弱ってしまったそうだ。

 

「その隙をこいつは見逃さず、茉尋を連れ去った。私の過失だ。本当にすまなかった」


 この守り神が悪いわけではないのに、そうやって謝っていた。

 それを聞いてなんて返事をしていいかわからなかった。

 “気にしないでください”とも“仕方がないですよ”とも、とてもじゃないけど言えない。

 だって茉尋は死んでしまったから。


「君は必死に茉尋を探していたね。毎日海に来ることもあった。その姿を見るたびに、とても苦しくなったよ」


 守り神はそう言いながら、茉尋の頭を優しく撫で始めた。


 守り神はちゃんと俺のことを見ていたんだ…。

 

 俺はそこで違和感に気がついた。


 なんて穏やかな時間なのだろう。

 今俺の耳に届くのは穏やかな波の音だけで、まるで違う場所にいるような感覚だった。

 寒さも感じず、もう日が落ちてしまったというのに、海はうっすらと光り、とても幻想的だった。


「茉尋には2度、私の息子の命を助けられている」

「…え…?」

「千明も知っているはずだよ?」


 俺も…?


「チャッピーだ。茉尋から名付けてもらって、チャッピーはすごく喜んでいた。チャッピーは私が生み出した子なんだ」


 チャッピーが…この人の…

 

 それからチャッピーのことや、ヤツのことを教えてくれたあと、守り神はスッと立ち上がった。


「じきに目が覚める。冷えているから温めてあげて」


 え…?


「それってどういうーーー」


 俺がそう言いかけたところで、守り神は優しく微笑むと、霧のように消えていき、その霧は海の中へと戻っていった。


 じきに目が覚める…?


 俺はすぐに腕の中にいる茉尋を見た。

 

 …本当に…?


 そんなことが本当にあるのか?


 しばらくすると、真っ白だった茉尋の肌が、血が通っているかのように健康的になっていった。

 

 うそ…


 本当に…?


 さっきの守り神が、まだ近くにいるのかはわからないけど、海がまだ淡い光を放っていたから、茉尋のそんな変化に気づくことができた。


「…茉尋…?」


 返事はなかったが、確かに茉尋は静かに呼吸をしていた。

 俺は急いで自分が着ていた上着を脱ぐと、それを茉尋にくるむようにして抱きかかえた。


「…っ…ありがとうございますっ…」


 俺は涙を流しながら、海に深く一礼をした。

 その瞬間、海がパァッと柔らかく光り、一気に現実に引き戻されたような感覚になった。


 すぐに家に帰ると、茉尋を布団に寝かせ、抱きしめた。


「…まひろ…」


 俺はまだ信じられなかった。

 でも、腕の中の茉尋は、さっきよりも体温を取り戻していた。

 俺はそんな茉尋を抱きしめ続けた。


「茉尋…」

「…ん…」


 目覚めるか?


「…ちあきくん…」


 茉尋はボーっとしている様子だった。


「まだ眠い?」

「……私…また戻って来ちゃったの…?」

「ううん。ちゃんと帰ってきた。茉尋はもう、誰にも囚われてないよ。体も魂も、ちゃんとここにいるよ」

「……え…?」


 茉尋は急にガバッと起き上がった。


「なに?なんて言ったの千明くん。私今、幽霊ってこと?」


 茉尋はそう言うと、自分の両手を見つめてみたり、顔を触ってみたり、俺に触れたり…それから布団をめくり、何かを確認していた。


「…ちゃんと足がある…」


 目の前の奇跡に浸っていた俺は、茉尋のその発言に思わず笑ってしまった。


「ははっ。ちゃんと生きてるよ。幽霊でも実体化でもない」

「…でも…私は海に沈んで…」

「体調はどう?」

「…それは平気…」

「一緒に風呂入るか」


 俺は風呂の準備すると、茉尋と一緒に湯船に浸かった。


「んで?どういうこと?」

「んー、話すと長いよ?」

「いいよ」

「長編映画並みだよ?」

「余裕だよ」

「俺のこと、惚れ直しちゃうかもしれないよ?」


 本当は助けてもらってばかりだったのに、俺はそう言ってみた。


「おうおう。できるもんなら、やってみんしゃい」


 茉尋はいつもの調子でそう言ったものの、不安そうな表情をしていた。

 俺は茉尋がいなくなった日の話から始めた。


「ちょっと待って。それ必須パートじゃないでしょ。慎吾さんとの大晦日とか、花札とか」

「ははっ。バレたか」

「もうっ。なんで私が今こうなってるのかだけを、とりあえず聞きたいの」


 俺は森の妖の話や、章司さんのことも話したかったけど、とりあえずそれはやめ、本題へと入った。

 最近の俺は毎日海に行き、ヤツに話しかけていたことから話始めた。

 それから徐々に海が荒れ始めたこと、ヤツが姿を現したこと、ヤツが茉尋を抱きかかえていたこと…ヤツの考えや言っていたことなどを話した。


「…そう…だったんだ…でも危ないよ千明くん。そんなヤツに近づくだなんて」

「でも今、ちゃんと俺はここにいるよ」

「それは結果論でしょ?妖に挑発するだなんて…千明くんも海に飲まれててもおかしくなかったんだからね?」

「でも今、ちゃんと俺はここにいる」

「もうっ」


 茉尋は眉間に皺を寄せて怒っていた。


「そんで茉尋もここにいる」

「…そう言われちゃうと、何も言えなくなっちゃうじゃんか…」


 俺はまた続きを話した。

 俺とヤツがそんな話をしている所に、海の守り神が現れたこと、彼がヤツを鎮めてくれたこと、そんなこと茉尋に聞かせた。


 ここで俺たちはのぼせそうになり、風呂から上がった。

 2人とも湯上がりで暑くなってしまったから、毛布を手に取ると、少しだけ縁側の窓を開け、そこで続きを話した。


「守り神はヤツの妖力をほとんど吸い取ったって言ってた。向こう300年は力が弱いままだから、安心して今まで通り、海に遊びに来て欲しいって」

「そうなの?またチャッピーと遊べるの?」

「遊べるよ。それとこっからが驚くぞ?」

「なになにっ?」


 俺はチャッピーの正体を明かした。


「えっ?うそ?チャッピーって守り神から生まれたの?」

「そうなんだって。それで俺たちのことを色々と心配して、守り神に話していたみたいだよ?」

「うわー…びっくり…もっとちゃんと名前考えてあげればよかった…」

「ははっ。やっぱ適当につけてたのかよ」

「適当ってわけじゃないけどさ…」


 それでもチャッピーは名を与えられて喜んでいたことも伝えた。

 

「あとな、チャッピーの命を2度も助けてもらったって、守り神は感謝してたよ」

「…そっか…」

「あれな、ヤツの仕業だったんだ。チャッピーが浜に打ち上げられたり、叩きつけて傷つけたのって、ヤツの仕業なんだ」

「え…?そうなの?」


 茉尋は目を見開いて俺を見た。 

 俺はそんな茉尋のことを見ながら頷いた。


「どうやら、茉尋と仲良くしてるチャッピーに嫉妬したんだと。チャッピーがそう言っていたらしい」

「…嫉妬…?」


 妖にもそんな感情があるのかと思うと、怖く感じるよな。茉尋は悲しそうな顔をした。


「それじゃあ…チャッピーは私のせいで…」

「その考え方はよくないぞ。チャッピーは茉尋と仲良くなって喜んでるんだ。そんなチャッピーに嫉妬して、手を出すようなことをする方がおかしいんだから」


 今度は茉尋の方が頷いた。

 

「なんで私は生き返ったの?」

「…チャッピーを助けたことと、守り神が自分の過失だと言っていたから、それでなのかな?彼は茉尋の頭をしばらく撫でたあと、“じきに目を覚ます”としか言わなかったんだ。それですぐに海に帰って行った」

「…私…本当に私は私なの?」

「そうだよ」

「海に触れても、もう消えちゃわないの?」


 茉尋は目に涙を溜めていた。

 まだ信じられないんだろう。俺だってそうだ。海の守り神はああ言っていたけど、やっぱり茉尋が海に触れるのは怖い。


「だって茉尋はもう、本物の茉尋なんだから」


 確信はなかった。

 

 でも…

 

 俺の目の前で茉尋は命を取り戻したんだ。

 

 あの時、俺の腕の中にいた茉尋は2年半前の服を着て、血の気が引いて息をしていなかった。冷たかった。それなのに徐々に血を巡らせたのを、俺はこの目でちゃんと見たんだ。

 彼は何も言わなかったからわからない。でも…茉尋の頭を撫でた時に、命を吹き込んだのかもしれない。


「次の日曜日、海に行ってみてもいい?」

「そうだな。海に向かってお礼も言おう」


 俺たちはこんな話をしてから、一緒に布団に入り、手を繋いだまま眠った。

 

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