37 本当に…?
ヤツの目は怒りに満ちていた。
「僕は…僕はただ…」
「なんだよ。言ってみろよ」
「やっぱり返せっ。茉尋は僕のものだっ」
そう言ってヤツは俺に近づいた。
俺は茉尋を取られないようにしっかりと抱きしめた。
「なにもわかってねぇじゃねーか。そういうのが子どもだって言ってんだよ」
「返したのに。返したくないのに、それでも返したのに…。お前が僕のことを子どもだって言うからっ。だったらもう子どもでいいっ。僕の茉尋を返せっ」
怒りに任せて、煽りすぎたか?
「お前のじゃないって言ってんだろっ」
「僕には茉尋しかいないんだっ。茉尋だけ…茉尋だけなんだっ」
こいつ…寂しいのか…?
「何百年もずっと…ずっと暗い海の底で…」
「…寂しかったのか?」
「お前には茉尋以外にもいるだろっ?だったら茉尋を僕にちょうだいよっ」
俺はこの時、桜の妖を思い出していた。
寂しくならないように、自分で小鳥のような妖を生み出していたことを。
こいつはそんな気持ちのまま、ひとりで何百年もいたから、こんな感じなのか?未熟で幼稚で…
ただただ“寂しい”という気持ちを抱えて今まで過ごしてきたのか…
「茉尋はお前には渡さない。それに茉尋はものじゃない」
「やだっ。茉尋は僕のものだっ」
ヤツは俺から茉尋を奪い取ろうと、茉尋の腕を引っ張った。
その時、海がピカッと一瞬光った。
かと思えば、ヤツが光のモヤのようなもので拘束されていた。
「やっと見つけた。お前の悪行は全て知っている。しばらくの間、眠っててもらうからな」
どこからともなく、波の音を割って響くような、厳かな男の声が聞こえてきた。
なんだ…?
なにが起こってる…?
「やめろっ。離せっ。僕はなにもしてないっ」
「人の命を奪っただろ。私はずっとこの海を、人を守ってきたというのに」
守ってきた…ということは海の守り神か…?
「奪ってないっ。勝手に死んだんだっ」
「海では人が生きられないのを知りながら、自分の所に引き寄せたのなら、それはもうお前が命を奪ったのと同じことなんだよ」
「やめろっ。僕は茉尋と一緒にいたいっ」
「それは無理だ」
「やめろよっ。離せよっ」
「黙れ」
なに?なにが起きてるんだ?
守り神はひと言そう言うと、ヤツの姿は徐々に薄くなり、砂浜にコロンと小さな石が転がった。
呆気に取られていると、守り神らしき人が姿を現した。
見慣れない服に身を包み、銀髪の端正な顔立ちをした青年だった。
「千明。君のおかげでこいつを見つけることができたよ」
彼はそう言いながら石を拾った。
「こいつは元々海深くに沈んでいた小石だったんだ。いつの間にか自我が芽生え、妖となり何百年も生きてきた。まさかここまで力を蓄えているだなんて思わなかったよ」
「……助かりました…ありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方だよ。ずっとこいつのことを探していたからね。こいつはいつも上手く隠れてしまって、なかなか見つけられなかったんだ」
探してたのか…
「今回、こうなってしまったのは私のせいでもあるんだ」
そう切り出して、守り神は話し始めた。
守り神はヤツの力に気がつき、その姿を必死になって探していたらしい。というのも、その力が邪悪なものだったから、それを清めたかったようだ。
だけどなかなか見つけられなかった。
だから海にたくさんの小さい妖を生み出し捜索をしていた。でもその影響で守り神の力が少し弱ってしまったそうだ。
「その隙をこいつは見逃さず、茉尋を連れ去った。私の過失だ。本当にすまなかった」
この守り神が悪いわけではないのに、そうやって謝っていた。
それを聞いてなんて返事をしていいかわからなかった。
“気にしないでください”とも“仕方がないですよ”とも、とてもじゃないけど言えない。
だって茉尋は死んでしまったから。
「君は必死に茉尋を探していたね。毎日海に来ることもあった。その姿を見るたびに、とても苦しくなったよ」
守り神はそう言いながら、茉尋の頭を優しく撫で始めた。
守り神はちゃんと俺のことを見ていたんだ…。
俺はそこで違和感に気がついた。
なんて穏やかな時間なのだろう。
今俺の耳に届くのは穏やかな波の音だけで、まるで違う場所にいるような感覚だった。
寒さも感じず、もう日が落ちてしまったというのに、海はうっすらと光り、とても幻想的だった。
「茉尋には2度、私の息子の命を助けられている」
「…え…?」
「千明も知っているはずだよ?」
俺も…?
「チャッピーだ。茉尋から名付けてもらって、チャッピーはすごく喜んでいた。チャッピーは私が生み出した子なんだ」
チャッピーが…この人の…
それからチャッピーのことや、ヤツのことを教えてくれたあと、守り神はスッと立ち上がった。
「じきに目が覚める。冷えているから温めてあげて」
え…?
「それってどういうーーー」
俺がそう言いかけたところで、守り神は優しく微笑むと、霧のように消えていき、その霧は海の中へと戻っていった。
じきに目が覚める…?
俺はすぐに腕の中にいる茉尋を見た。
…本当に…?
そんなことが本当にあるのか?
しばらくすると、真っ白だった茉尋の肌が、血が通っているかのように健康的になっていった。
うそ…
本当に…?
さっきの守り神が、まだ近くにいるのかはわからないけど、海がまだ淡い光を放っていたから、茉尋のそんな変化に気づくことができた。
「…茉尋…?」
返事はなかったが、確かに茉尋は静かに呼吸をしていた。
俺は急いで自分が着ていた上着を脱ぐと、それを茉尋にくるむようにして抱きかかえた。
「…っ…ありがとうございますっ…」
俺は涙を流しながら、海に深く一礼をした。
その瞬間、海がパァッと柔らかく光り、一気に現実に引き戻されたような感覚になった。
すぐに家に帰ると、茉尋を布団に寝かせ、抱きしめた。
「…まひろ…」
俺はまだ信じられなかった。
でも、腕の中の茉尋は、さっきよりも体温を取り戻していた。
俺はそんな茉尋を抱きしめ続けた。
「茉尋…」
「…ん…」
目覚めるか?
「…ちあきくん…」
茉尋はボーっとしている様子だった。
「まだ眠い?」
「……私…また戻って来ちゃったの…?」
「ううん。ちゃんと帰ってきた。茉尋はもう、誰にも囚われてないよ。体も魂も、ちゃんとここにいるよ」
「……え…?」
茉尋は急にガバッと起き上がった。
「なに?なんて言ったの千明くん。私今、幽霊ってこと?」
茉尋はそう言うと、自分の両手を見つめてみたり、顔を触ってみたり、俺に触れたり…それから布団をめくり、何かを確認していた。
「…ちゃんと足がある…」
目の前の奇跡に浸っていた俺は、茉尋のその発言に思わず笑ってしまった。
「ははっ。ちゃんと生きてるよ。幽霊でも実体化でもない」
「…でも…私は海に沈んで…」
「体調はどう?」
「…それは平気…」
「一緒に風呂入るか」
俺は風呂の準備すると、茉尋と一緒に湯船に浸かった。
「んで?どういうこと?」
「んー、話すと長いよ?」
「いいよ」
「長編映画並みだよ?」
「余裕だよ」
「俺のこと、惚れ直しちゃうかもしれないよ?」
本当は助けてもらってばかりだったのに、俺はそう言ってみた。
「おうおう。できるもんなら、やってみんしゃい」
茉尋はいつもの調子でそう言ったものの、不安そうな表情をしていた。
俺は茉尋がいなくなった日の話から始めた。
「ちょっと待って。それ必須パートじゃないでしょ。慎吾さんとの大晦日とか、花札とか」
「ははっ。バレたか」
「もうっ。なんで私が今こうなってるのかだけを、とりあえず聞きたいの」
俺は森の妖の話や、章司さんのことも話したかったけど、とりあえずそれはやめ、本題へと入った。
最近の俺は毎日海に行き、ヤツに話しかけていたことから話始めた。
それから徐々に海が荒れ始めたこと、ヤツが姿を現したこと、ヤツが茉尋を抱きかかえていたこと…ヤツの考えや言っていたことなどを話した。
「…そう…だったんだ…でも危ないよ千明くん。そんなヤツに近づくだなんて」
「でも今、ちゃんと俺はここにいるよ」
「それは結果論でしょ?妖に挑発するだなんて…千明くんも海に飲まれててもおかしくなかったんだからね?」
「でも今、ちゃんと俺はここにいる」
「もうっ」
茉尋は眉間に皺を寄せて怒っていた。
「そんで茉尋もここにいる」
「…そう言われちゃうと、何も言えなくなっちゃうじゃんか…」
俺はまた続きを話した。
俺とヤツがそんな話をしている所に、海の守り神が現れたこと、彼がヤツを鎮めてくれたこと、そんなこと茉尋に聞かせた。
ここで俺たちはのぼせそうになり、風呂から上がった。
2人とも湯上がりで暑くなってしまったから、毛布を手に取ると、少しだけ縁側の窓を開け、そこで続きを話した。
「守り神はヤツの妖力をほとんど吸い取ったって言ってた。向こう300年は力が弱いままだから、安心して今まで通り、海に遊びに来て欲しいって」
「そうなの?またチャッピーと遊べるの?」
「遊べるよ。それとこっからが驚くぞ?」
「なになにっ?」
俺はチャッピーの正体を明かした。
「えっ?うそ?チャッピーって守り神から生まれたの?」
「そうなんだって。それで俺たちのことを色々と心配して、守り神に話していたみたいだよ?」
「うわー…びっくり…もっとちゃんと名前考えてあげればよかった…」
「ははっ。やっぱ適当につけてたのかよ」
「適当ってわけじゃないけどさ…」
それでもチャッピーは名を与えられて喜んでいたことも伝えた。
「あとな、チャッピーの命を2度も助けてもらったって、守り神は感謝してたよ」
「…そっか…」
「あれな、ヤツの仕業だったんだ。チャッピーが浜に打ち上げられたり、叩きつけて傷つけたのって、ヤツの仕業なんだ」
「え…?そうなの?」
茉尋は目を見開いて俺を見た。
俺はそんな茉尋のことを見ながら頷いた。
「どうやら、茉尋と仲良くしてるチャッピーに嫉妬したんだと。チャッピーがそう言っていたらしい」
「…嫉妬…?」
妖にもそんな感情があるのかと思うと、怖く感じるよな。茉尋は悲しそうな顔をした。
「それじゃあ…チャッピーは私のせいで…」
「その考え方はよくないぞ。チャッピーは茉尋と仲良くなって喜んでるんだ。そんなチャッピーに嫉妬して、手を出すようなことをする方がおかしいんだから」
今度は茉尋の方が頷いた。
「なんで私は生き返ったの?」
「…チャッピーを助けたことと、守り神が自分の過失だと言っていたから、それでなのかな?彼は茉尋の頭をしばらく撫でたあと、“じきに目を覚ます”としか言わなかったんだ。それですぐに海に帰って行った」
「…私…本当に私は私なの?」
「そうだよ」
「海に触れても、もう消えちゃわないの?」
茉尋は目に涙を溜めていた。
まだ信じられないんだろう。俺だってそうだ。海の守り神はああ言っていたけど、やっぱり茉尋が海に触れるのは怖い。
「だって茉尋はもう、本物の茉尋なんだから」
確信はなかった。
でも…
俺の目の前で茉尋は命を取り戻したんだ。
あの時、俺の腕の中にいた茉尋は2年半前の服を着て、血の気が引いて息をしていなかった。冷たかった。それなのに徐々に血を巡らせたのを、俺はこの目でちゃんと見たんだ。
彼は何も言わなかったからわからない。でも…茉尋の頭を撫でた時に、命を吹き込んだのかもしれない。
「次の日曜日、海に行ってみてもいい?」
「そうだな。海に向かってお礼も言おう」
俺たちはこんな話をしてから、一緒に布団に入り、手を繋いだまま眠った。




