36 ヤツの姿
田宮さんが送ってくれた住所を頼りに、森に着いた。
森の妖の特徴は田宮さんから聞いていたから、それをそのまま章司さんに伝えた。
田宮さん曰く、この森に人の姿をした妖はひとりだけだから、すぐにわかると思うと言っていた。
森の中を進んで行くと、少し開けた所に出た。そこで章司さんは足を止めた。
「ここから少し先に、人の姿をした妖がいる」
よかった…まだこの森にいたんだ。
俺たちは歩みを進め、その妖に近づいた。
章司さんはまた足を止めると、木に向かって話しだした。
「ちょっと伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?……ええ、妖についてなんです」
そんな感じで会話が始まった。
それから章司さんは俺に話すように促してきた。
「すみません。俺はあなたの姿が見えないのですが、どうしても知りたいことがあるので、教えていただけるととても助かります」
そう前置きをしてから、今の状況と、妖がどうやったら魂を離してくれるのかを聞いた。
「“なんで私にそんなことを聞くんだ”って言ってるよ」
…まさかそんなことを言われるだなんて想定していなかった。どうしよう…田宮さんの名前は出せないし…
俺が黙っていると、章司さんが説明していた。
「風の噂のようなものです。色々な妖に、強い力を持つ妖を知らないか聞き回っていたら、この森にいるってことを教えてもらったんです」
視える人だからこそ思いつく理由だ。妖はそれで納得してくれたようだった。
章司さんから相槌が聞こえてきた。どうやら妖は何か話しているらしい。
「…千明くん。人間では魂を解放させる術はないと言ってる」
そんな…
なにかないのか?本当に方法はなにもないのか?
「ちょっと待って、続きがある」
章司さんはまた相槌を打っていた。
「その妖よりも、もっと強い妖がいればなんとかなるかもって…」
海の守り神…は、どうなんだろう…。
俺はスマホを取り出すと、以前撮った海の動画を森の妖に見てもらった。
「この海の底に妻はいるんです。この海には妻の魂を掴んでいる妖の他にも、守り神のような妖もいます。この映像を見て、何かわかりますか?その…2人の妖の力関係とか…」
すがる思いでそう聞いてみた。
章司さんはまた、妖と会話を始めた。
「やっぱり守ってる妖のが力は強いみたいだよ。俺もそう思う。この守り神にお願いするのがいいみたいなんだけど…」
章司さんはそこて言葉を止めた。
「どうしたんですか?」
「いや、俺ね、子どもの頃あの海の近くに住んでたことがあるんだけど、一度も守り神の姿を見たことがないんだ。だからそう簡単に会えるとは思えない」
え…?
「呼べば出てきてくれたりは…?」
俺がそう聞くと、章司さんは首を横に振った。
なんだよそれ…
じゃあどうしろっていうんだよ…
章司さんはまた何か妖と話し始めた。
「え?あー…そうですよね」
「なんですか?なんて言ってたんですか?」
「…その妖が飽きたら魂を手放すかもって…」
は?飽きたら?
なんだよそれ。人の命を奪っておいて、飽きたら手放すだと…?
やっぱり妖には命の重さなんてものはわからないんだ。そういう感覚がないんだ。
「他にも方法が何かあるかもしれない。俺も他の妖に聞いてみたりするから、今日はもう帰ろう?」
俺は森の妖にお礼を伝えた。それから海の近くにある土産屋で売っていた、綺麗な貝殻と、ちょっとしたお菓子を渡した。
帰りの車の中では章司さんが森の妖のことを教えてくれた。
「いやぁ、あれは美青年だったな。お礼の品物、すごく喜んでいたよ。貝殻を太陽の光に透かしながら、うっとりとした感じで眺めてたよ」
章司さんはそんな感じで、明るく話しかけてきた。
「千明くん。今日の妖は森から離れることができない妖だったけど、旅をする妖もいるからね。まだまだ望みはあるから」
「…そうですよね。すみません、気を遣わせてしまって…」
章司さんを送り届けると、俺は海に向かった。
砂浜に座ると呟くようにして、海に…茉尋に話しかけた。
「茉尋。帰って来い」
ー「私が…千明くんの元に戻りたいって思わなければ、もう終わるのかな…?」ー
確かそう言ってたことがあったな。
「もしかしてもう戻らない気なのか?そんなの俺は許さないからな。帰ってきたいなら帰って来い。お雑煮作ってやるぞ」
茉尋が美味しそうに、お雑煮を食べている姿が頭の中に思い浮かぶ。
「遠慮しないで帰っておいで。俺は大丈夫だから。もう俺は弱くないから」
そうやって茉尋に語り続けた。
それから今度は守り神に向かってお願いをした。
「海の守り神様。どうか茉尋を助けてください。お願いします。俺の大切な人なんです。茉尋も帰りたがっているんです。どうか力を貸してください」
そう言い終わったあと、今度はヤツに向かって話しかけた。
「おい、茉尋を捕まえてる妖。いい加減茉尋を返せ。帰りたがってる茉尋の魂を握り続けて、お前は楽しいのか?」
ー「…その妖が飽きたら魂を手放すかもって…」ー
さっき言われたその言葉が頭からずっと離れなかった。
「そんなわけないよな?そんなの楽しいはずないよな?茉尋を掴んで縛り付けるようなことをして、それで満たされるわけないよな?でもそんなやり方じゃ茉尋の心を手に入れることはできないぞ。お前は強い妖のくせに、ひどく幼稚だな」
俺がそうやって話していると、突然穏やかだった海がうねり、波が俺を目掛けてやってきた。
今回は波から離れたところに座っていたから、俺はすぐに立ち上がり走って逃げた。
やっぱり…ヤツは俺の話を聞いてるんだ。
だったら…
だったら海の守り神にも俺の声が届いているかもしれない。直接会えなくたって、お願いし続けていれば、いつか俺の声が、俺の願いが届くかもしれない。
俺はそこに賭けてみることにした。
また明日から、毎日海へ行こう。
次の日から俺は毎日海へ行っては、声に出して守り神にお願いをし、そのあとヤツに向かって揶揄していた。
妖が視える人はみんな、ヤツは一瞬で気配を消すと言っていたから、俺が挑発し続けたらそのうち姿を現すんじゃないかと考えた。
そうすれば、もしかしたら守り神がなんとかしてくれるかもしれない。
…情けないな…結局最後まで他人頼りだ…
俺だけでは何もできない。
ごめんな…茉尋…。
それからも毎日海に向かって守り神にお願いと、ヤツへの揶揄を続けた。
すると次第に、俺が海に近づくだけでも穏やかな波がうねりだすことが増えていった。
『次の日ニュースです。最近、光砂浜の海が荒れているようです。今まで穏やかだった海とは一変し、水面はうねり、時折大きな波が見られるようになりましたーーー』
これは地元のローカルニュース。光砂浜とは茉尋を連れ去った海のことだ。
ニュースになるほど、海が荒れる日が多くなっていた。
俺の狙い通り、ヤツの心は乱れているようだった。
この様子ならきっと、意地でも茉尋のことを放してはくれないだろうな。
ああ…あれが最後か…
最後に茉尋を見たのは仕事に行く前だった。
あの日、俺は仕事だったから朝起きて準備をしていた。茉尋は休みだったからそのまま起こさず、寝顔に向かって「行ってきます」と小声で言ったんだ。それが最後だ。
海の守り神…
どうか…
どうか茉尋を見つけてください。
俺は文字通り、神頼みをすることしかできなかった。
夕方頃、俺はまた海に行った。
海には近づかないようにと、ニュースで注意喚起していたからか、人はほとんどいなかった。
冬だし、夕方だからというのもあるのだろう。
俺は波から離れた場所で、ただただ海を眺め続けた。
夕日が沈み始めた頃、海の中に何かが見えた。
なんだあれ…
人…か…?
目を凝らしてよく見ると、鼻から上だけが出ているように見えた。徐々にそれは砂浜に向かっているようで、顔、首、肩などが次第に見えてきた。
…子ども…?
ー「12〜3歳くらいの男の子のように見えました」ー
お祓いを頼んだ、北条さんのその言葉を思い出した。
そいつはゆっくりと近づいて来ているようだった。
上半身が完全に現れると、腕に何か抱えているのが見えた。
…人…?
人を抱きかかえてるのか…?
もしかして茉尋か?
そいつがヤツなのか、海の守り神なのか俺には判断できない。
でも北条さんが言っていた容姿と一致する。
やっぱりヤツなのか?
俺は目を見張り続けた。
そいつは俺に少しずつ近づいてくる。
…茉尋だ…
ヤツは茉尋抱きかかえていた。
近づいたら俺は殺されるかもしれない。でも茉尋の姿を見て、もう冷静ではいられなくなった。
あの日のワンピースだ。海に飲まれた日のワンピース。ジャージもちゃんと履いている。
俺は走ってヤツに向かって行った。
そいつの腕から茉尋を奪いとり、俺はそのまま砂浜に崩れ落ちた。
茉尋は、本当に海に飲まれたあの日のままの姿だった。
それに…キレイなままの茉尋だった。
…俺は…茉尋の顔にそっと手を添えた。
冷たい…
「茉尋…?」
茉尋に向かってそう呟く。
「死んでるよ」
ヤツがそう言った。
「…お前が殺したんだろ?」
「僕は殺してなんかない。勝手に死んだだけ」
は?
勝手に?
「お前が海に引きずり込んだんだろっ」
「僕がしたのはそれだけ。殺してない。人間は海の中では生きられない。茉尋が勝手に死んだだけ」
何を言ってるんだこいつは…
「そんなの殺したことと同じなんだよっ」
怒りで我を失いそうになった。
俺は感情のままに、怒鳴りつけた。
「違う。勝手に死んだ」
「なんで茉尋を連れてったっ」
「欲しかったから」
「だからって殺さなくてもよかっただろっ。茉尋ならきっとお前とも仲良くしてたよ…」
「僕だけのものにしたかった。それに殺してない」
ヤツはずっと“殺してない”の一点張りだった。
「もういいや。僕疲れちゃったから返す。茉尋もずっと帰りたい帰りたいうるさいし」
「は?」
「独り占めにしたらたくさん遊べると思ったのに」
「お前何言って…」
「それに僕は幼稚なんかじゃない」
ヤツの表情は、まるで拗ねた子どものようだった。
「僕は可哀想でも哀れでもない」
俺を睨みながらそう言ってきた。
「卑しいヤツでもなければ、浅ましくもないし、姑息でもない」
ヤツが言っていることは、俺が今まで揶揄してきた言葉だ。ちゃんと毎回聞いてたんだな…。
「だからこうやって茉尋を返しに来た。僕は子どもじゃないから。大人だから」
さっきは“疲れちゃったから返す”と言っていたのに、ヤツが言っていることは支離滅裂だった。
「どこか大人なんだよ。お前がしたことは、私欲まみれの浅ましい行動なんだよ。欲しいものを手に入れるために、人を巻き込んで、茉尋の命を奪い、茉尋の気持ちも考えずに捕らえ続け、それのどこが大人なんだ?まともな奴ならそんな汚いことしねーよっ。そういうのがわからないのはお前が幼稚だからだ」
「僕は子どもじゃないっっっ」
ヤツは叫ぶようにそう言うと、毛先を逆立たせた。
これは…まずいかもしれない…ーー




