34 静かな日々
茉尋が戻って来てから、俺は1日1日を大事に過ごしていた。
たぶん茉尋はすぐにいなくなってしまう。お守りももう割れてしまったし、きっとそう長くは一緒にいられないだろう。
そうしたらまた俺は、茉尋の魂を解放してもらうために、色々と調べては試しを繰り返す日々が始まる。
大事にしないと…今の時間を…。
俺は思いついたことがあった。
田宮さんが恋をした妖に会って、話を聞くことはできないだろうか。その妖なら魂の解放の方法を知っているかもしれない。
でもそんなこと、教えてくれるだろうか…
田宮さんとはしばらく連絡とってなかったな。
当時の俺は現実逃避をしたくて、徐々に連絡頻度を減らしていた。
今更連絡するのはあまりにも自分勝手だよな。
でも…
俺は祈るような気持ちで田宮さんに連絡をしてみた。
頼む…返事をくれ…。
仕事が終わり、スマホを確認すると返事がきていた。
田宮さん…ありがとう。
田宮さんはこう言ってくれた。
『ずっと心配してました。あまりこちらから連絡をしてしまうと、一ノ瀬さんがお辛くなると思って控えてました。でもお元気そうでよかったです。』
優しいな。俺はそれに返事をした。すると返事はこうだった。
『そこまで調べがついたんですね。一ノ瀬さん、お辛い中、今までよく頑張りましたね。』
俺はそのメッセージを見て、心が少しほぐれたような感覚になった。胸がじんわりと温かくなった。
それから早速本題へと入った。あの本に書いてあった、森の妖に会いたいから場所を教えて欲しいと伝えた。返事はすぐにきた。ここからそう遠くはない。車で2時間ってところだろうか。
『まだそこにあの人がいるかはわかりません。でもあの人にとっては60年なんてきっとあっという間でしょうから、望みは薄くないと思います。』
そうか。俺はなんとなく今もその妖は、そこにいると勝手に思い込んでいた。
『因みに私の名前は出さないでくださいね?今も私のことを好きかわからないけど、万が一まだ好きだったら、嫉妬心から攻撃的になることもあるかもしれないので。なんせ、私を殺そうとした妖ですから。』
その返事を読んで、俺は自分が海に引きずられた時のことを思い出し、少し怖くなった。
『だからといって、そこまで怖がる必要もないかと思います。あの人は優しい人だから。』
まるで怖がる俺を察したみたいに、続けてそんなメッセージが送られてきた。
田宮さんの心の中では、今でもその妖の存在は特別なんだな。
“あの人は優しい人だから”
その一文には愛情が込められているように感じた。
あ、そうだ。大事なことを聞き忘れていた。
『その人が好きなものって、何かご存知ですか?食べ物でも花でも何でも。』
『あの人の好きなものね…確か、1度だけ海の話をしたことがあったの。その時の彼、目を輝かせて私の話を聞いていました。彼は森から出られないから、海を見たことがないんです。』
海か…
俺は丁寧にお礼の返事を送ると、早速どうするか考えた。
車で2時間となると、茉尋を連れて行くのは難しいだろうな。きっと茉尋の体がもたないだろう。それならまた章司さんに頼んでみようかな。
でも…
茉尋がいる間はずっと一緒にいたいし…
茉尋と過ごせるうちは、森の妖に会いに行くのはやめておくか。
仕事が終わり、家に向かっていると、どこからともなくカレーの匂いが漂ってきた。
今日、どこかの家はカレーか。こうやって匂いを嗅いじゃうと、もう口の中はその料理の気分になっちゃうんだよな。うちの今日のメニューはなんだろ。ピーマンじゃありませんように。
そう思いながら歩みを早めていると、カレーの匂いが強くなってきた。
もしやこの匂いはうちからか?
「ただいまー」
「おつカレーライス」
やっぱりうちだった。
「茉尋もおつカレーライス」
「そこは“ただいマーボー豆腐”でしょ」
「なんだよそれ。だったらお前も“おかえリンゴジュース”が先だろ」
「あははっ、そうだね。あともうちょっと煮込んだら食べられるよん。先にお風呂入っチャイナドレス」
「ははっ、了解。いつもありガトーショコラ」
「いえいえ。こちらこそだヨーグルト」
あーくだらない。
ホントくだらなくて、しょーもなくて、だけど温かくて愛おしい…
よかった…今日も茉尋はちゃんといた。
あれから数日が経ち、俺はひとり、コタツで暖をとっていた。
もうすっかり冬だな。
寒いからか、余計に部屋の中がシーンとしているように感じ、ラジオを流すことにした。
交換日記を手に取ると、俺はヘタクソなイラストと、今日の出来事なんかを書いた。
「ははっ。我ながらホント下手だな。」
ついそんな声が漏れてしまうほど、ヘタクソなチャッピーが出来上がった。茉尋の描いたチャッピーを真似して描いたのにな。
本当は色でも塗ってみようと思ったけど、悲惨になりそうだったからやめておいた。
夕方になるとインターホンが鳴った。
「色々買ってきたぞ」
「おっ、ありがとう」
その色々を俺は手に取ると、そのままキッチンへと向かった。
「琥太郎も呼んでみんなでトランプでもするかー?」
「大晦日なんだから、さすがに家族と過ごすでしょ。シンちゃんと違ってまだ子どもだし。夕飯も豪勢だろうしな」
「ははっ。そっか。俺らは買ってきたもんで済ませるもんな」
俺は刺身や惣菜なんかを一旦冷蔵庫にしまった。
「今日はこのまま泊まっていくでしょ?」
コタツに入りながら俺はそう聞いた。
「あったり前田のクラッカー」
「シンちゃん、それやめてよ。茉尋が真似すんだよ、そういうの好きだから。それにシンちゃんも全然世代じゃないでしょ」
「ははっ。だったら俺が茉尋ちゃんをお嫁にもらおうかな。気が合うしな」
「冗談やめろ。茉尋はおっさんなんか興味ねーんだよ」
そう言いながら、さっき淹れてきたお茶を啜った。
「今度琥太郎に花札教えてみよっか。俺持ってるし、子どもだからすぐルール覚えんだろ」
シンちゃんは楽しそうにそう言ってきた。
「おっ、いいね。うち駄菓子いっぱいあるから、それ賭けてやったら琥太郎も喜びそうだな」
「駄菓子使ったら茉尋ちゃんに怒られるんじゃない?」
「また買えばいいだろ。今度はいつ戻ってくるかもわからないし」
茉尋は年を越す前に消えてしまった。
それは3日前のことだった。
仕事から帰ると、また家は真っ暗で、テーブルの上にはノートが広げられていた。
でもこの前のように、胸が痛むようなことは書かれていなかった。
“千明くんごめんね。またちょっくら海に行ってきます。もしかしたらもうこのまま戻れないかもしれない。それでもちゃんと自炊して、掃除して、洗濯して、そうやって生活していくんだよ?わかった?ピーマンもたまには食えよ”
そんなことが書いてあった。
ご丁寧ににピーマンのイラスト付きで。
俺はそれを見た時思わず笑ってしまった。
そして…
笑ったまま静かに泣いていた。
涙が出てきたのは…あんな感じの内容なのに、茉尋の字が震えていたからだ。茉尋の字が弱々しかったからだ。
きっとまた、苦しくなったんだろう。
その日から俺は、ひと言ふた言でもいいから、毎日何かしら書くことに決めていた。
茉尋がまた戻ってきたときにそれを見せて、俺がどんなふうに過ごしていたのを教えようと思っていた。
そんな日が来るかはわからないけど、そうしたくなったんだ。
茉尋、俺が描いたチャッピーを見てどう思うかな。
“ははっ。なにこれぇ。全然チャッピーじゃないんだけどっ。千明くん、絵心なさすぎーっ”
そう言いながら笑ってくれるかな?
「なあ千明、お前お雑煮作れたよな?」
「作れるけど」
「じゃあ明日作ってよ。うちに餅あるから」
「やだよー、めんどくせぇ」
「毎年千明が作ってくれるって、茉尋ちゃんから聞いてるぞ?だったらいいだろ」
「あれは茉尋のために作ってたんだ。それに三つ葉とか買ってねーし」
「三つ葉なくていいから」
「だーめ。三つ葉は大事。むしろ主役」
「主役は餅だろ」
「とにかく作んねーからな」
初めて茉尋にお雑煮を作った時、「うんまーっ。めっちゃ美味しいよ千明くん。妾はこんな美味なものを食したことはないぞよ」なんて言いながら、俺を煽てるもんだから、毎年俺が作るようになった。
今回も食わせたかったな…。
結局この日は、シンちゃんと2人で飲み明かし、酔い潰れるようにしてコタツで眠った。
茉尋…また戻ってくるよな?
また帰ってきてくれるよな…?




