32 手紙
茉尋がいなくなった日、俺はすぐにシンちゃんの家に行った。
「どうした?飯か?」
「茉尋は?」
「千明…またお前…」
この反応。やっぱりそうだ。茉尋はもう消えてしまったんだ。
俺は急いで海に向かった。もう消えてしまったことはわかっていたけど、海に行かずにはいられなかった。
海に着くとそのままの勢いで膝まで入った。
「返せっ!茉尋を返せっ!」
「おい妖っ聞いてんだろっ。聞こえてんだろっ?この海のどこかにいるんだろっ?」
「出てこいよっ。隠れてないで出てこいよっ!」
もう…茉尋を解放してくれ…
「いい加減、茉尋を返せよっ」
「頼むから…返してくれよ…」
俺はそのまま崩れるように座り込んだ。
「茉尋…」
悔しい…こんな形で茉尋を失うだなんて…
ちゃんとさよならしたいのに、こうやって急に別れが来ることだけは避けたかったのに。
「っ千明っ、またお前っ、どうしたんだよっ」
どうやらシンちゃんが俺を心配して、追いかけて来たようだ。
「シンちゃん…大丈夫だからこっち来ないで。濡れちゃうから」
海に入ろうとするシンちゃんを俺は制した。
「大丈夫っつったてお前…」
「別に死のうとしてる訳じゃないから。今そっちに行くから」
俺はそう言うと、海から出た。
「シンちゃんに話したいことがある。家に帰ったら軽くシャワー浴びるから、その後家に行っていい?」
「だったらこのまま千明ん家に行っていいか?」
「シンちゃんがそれでいいなら」
2人で俺の家に帰ると、すぐにシャワーを浴び、お茶を用意するとリビングへ向かった。
「ごめんね、お茶も出さずに待ってもらっちゃって」
「別にいいよ。んで?どうした?」
「茉尋は…死んでる」
「…うん…そうだな…」
「でも帰ってくるんだ」
俺がそう言うと、シンちゃんの目が見開いた。
「どういうこと?」
俺は今までの経緯をかいつまんで話した。
それから交換日記をシンちゃんに見てもらった。
「まさか…そんなことって…」
「俺も初めはそうだった。何がなんだかわからなくて混乱した。でもちゃんと茉尋なんだよ。温かいんだよ」
シンちゃんは何か考え込んでいるような表情だった。俺はそんなシンちゃんに、交換日記のとあるページを見せた。
「ほら見てシンちゃん。10日前に俺たち4人で焼き芋したんだよ」
そのページには茉尋の字でその日の出来事が、簡単なイラストと共に書かれていた。
それからスマホの画面を見せた。焼き芋の時に撮った写真だ。ちゃんと茉尋は写っている。妖が視えない俺にでも見えてるんだから、シンちゃんにもきっと見えるだろう。
シンちゃんはそれを見ると驚いていた。
「…信じるよ、千明」
俺はこれらを見せても信じてもらえないと思っていたから。
今の時代、合成写真なんていくらでも作れるから、“信じる”と言われて拍子抜けした。
「なんで信じてくれるの?」
「なんでって…普通イタズラでこんなことしないだろ」
「俺の頭がおかしくなったとか思わないの?」
「…実は…」
そう言いながらシンちゃんはスマホを見せてきた。着信履歴の画面だった。
「これ、ここ。茉尋ちゃんからの着信。日付見てみ?」
日付けは3か月ほど前のものだった。
たぶん、何かする時に茉尋に頼んで連絡してもらった時の履歴だ。
「俺さ、普段履歴なんて見返さないんだけど、いつだったかなんとなく見てたんだよ。そうしたらこれ見つけて…最初は千明が茉尋ちゃんのスマホを使ってかけてきたのかとも思ったけど、茉尋ちゃんがいなくなってから結構経ってるし、そんなことをする意味もわからないし…」
シンちゃんも小百合さんみたいに違和感を覚えていたんだ…。
「こんなこと千明に聞くに聞けないし…あんまり考えないようにしてたんだよ」
俺は、今朝まで茉尋がここにいたことを話した。
小百合さんのことも。
そして、茉尋の魂が海の妖に囚われていることも。
シンちゃんは、黙ったまま聞いてくれていた。
「だから…葬式もやりたがらなかったんだな」
「うん。茉尋が帰ってくるから。でもその時の俺はただただ認めたくなかったんだ。それに葬式をしたらもう、茉尋が戻って来なくなる気がして、それも嫌だった」
「そうだよな。そりゃそう思うよな」
そう言われて俺は涙が出そうになった。
小百合さんとは違って、シンちゃんとは気心の知れた仲だ。だからそうやって共感してもらえたことが嬉しかった。緊張の糸がプツンと切れたような感覚だった。
「2年以上もよくひとりで頑張ったな。辛かっただろ」
シンちゃんのその言葉で、とうとう俺の目からはポロポロと涙があふれ出た。
シンちゃんはそんな俺の涙が落ち着くまで、待っていてくれた。
この後少しだけシンちゃんと話し、時間も遅くなってたから解散となった。
今回シンちゃんに話を聞いてもらって、すごく気が楽になった。共感してもらえるのって、こんなにも心が軽くなるんだな…。
また茉尋のいない生活が始まった。
でも前と違って俺はちゃんと生活をした。食材を買い、自炊もして、掃除もサボらず、洗濯物を溜め込むようなこともしなかった。
いつまた茉尋が戻ってきてもいいように。
もし荒れた生活をしていたことが茉尋にバレてしまったら、きっと茉尋は心配してしまうだろうから。
茉尋はもう自分が死んでしまっていることを理解しているから、そんな俺を見たら心配して自分を責めるだろうから。
…茉尋がまた…戻ってくる確証はないけど…。
俺はまた願掛けをするように、ちゃんとした生活を続けていた。
茉尋がいなくなって2週間が経った。
寒さが徐々に本格的になり、寂しさにも拍車がかかった。
コタツに入りながら交換日記を見ていた。
最後の見開きの左のページには、ノートを横向きにして、ページいっぱいに海の絵がえんぴつで描かれていた。もちろん妖たちも。でもその絵の上から失敗した時にするように、えんぴつでぐしゃぐしゃっと線が書かれていた。
右側のページにはあのメッセージ。
“ごめんなさい。海に帰ります。茉尋”
その一言だけだ。
…あれ…?
ノートへの書き込みはこれで終わってると思っていた。
そう思い込んでいた。
文字が少し透けてる…
俺は次のページをめくった。
なんだよこれ…
やめてくれよ…
なんでこういうことするんだよ。
ふざけんなよ…
そこに書かれていたのは、茉尋からの手紙だった。
【千明くんへ】
初めて会った日のこと覚えてる?まぁ、覚えてるよね。たまにこの時のこと話すもんね。
私が妖と、大学の中庭で話してた時に出会ったでしょ?私あの時すごく恥ずかしかったんだ。
絶対に《変な人》って思われただろうなって。
でもあの時の千明くん、「俺のじいちゃんも視える人だから」って言って、私をすぐに受け入れてくれたよね。私あの時嬉しかったんだ。
書き出しはそんな感じだった。
それからまた思い出話が綴られていた。
どこどこに行った時楽しかったよね、だとか、あのお店のご飯美味しかったよね、だとか…そんなことがズラリと書いてあった。
俺はそれを読んで、その時の情景がはっきりと頭の中に浮かんだ。
ああ…そうだな茉尋。俺たち色々と楽しんだよな。
大学の学園祭でこっそり酒を持ち込んで飲んだり、校内の目立たないところに油性ペンで2人のイニシャルを書いてみたり…
茉尋はこんなことをする度に「こういうちょっと“いけない”ことをするのも、青春の1ページなのです」と、楽しそうに笑いながら言ってたもんな。
気がつくと俺はまた泣いていた。泣き喚く感じではなく、ただただ静かに涙を流しながら読んでいた。
ページをめくり、また読み進めていると文字が次第に弱々しくなっていることに気がついた。
もしかしたら海の妖に呼び寄せられ、具合が悪くなっていたのかもしれない。そう思うと胸が苦しくなった。
手紙の最後の方はこんな感じだった。
千明くん。私は千明くんに出会えて幸せだったよ。千明くんと付き合ってから毎日楽しかった。千明くんはいつもなんだかんだ私に付き合ってくれたよね?雪遊びも水遊びも。
本当にもう、私に甘いんだから。
俺はそこで涙で視界が滲み、文字が読める状態ではなくなった。
なんとか自分を落ち着かせると続きを読んだ。
でもね、私はもう死んじゃったから、千明くんはちゃんと前を向いて生きていくんだよ?ちゃんと幸せになるんだよ?そうしないと茉尋ちゃんは許さないんだからね。
この先からはもっと弱々しい字になっていた。
それから最後の方は読むのが少し難しくなるほど、文字が不安定なものになっていた。それでも俺は必死に読み進めた。内容はこうだった。
本当は、ずっと千明くんと一緒にいたい。死んじゃっただなんて信じたくない。千明くんと…一緒にいたいよ。それがムリならせめて、千明くんの元に戻りたい。千明くん、ずっと大好き。
最後のその文を読んだ時、今まで静かに流れていた涙が、堰を切ったようにあふれ出てきた。
涙で呼吸が乱れ、苦しくなった。
俺はその最後の文を何度も何度もずっと読んでいた。
茉尋の本音だ。
これを言ってしまったら、茉尋は俺が前に進めなくなると思って、きっと言えなかった茉尋の本音だ。
そう思うと、俺はまた自分を情けなく思ってしまった。茉尋が本音を言えないほどに、俺は茉尋に心配をかけてしまっていたんだな。
ちくしょう…
どうすりゃいいんだよ…
少し落ち着いたところで俺はページを戻し、線でぐしゃぐしゃっとされた絵を見ていた。
茉尋の視ている世界…
本当にキレイだな。
えんぴつ一本で描かれているのに、俺には色がついているように見えた。
それはたぶん、今まで茉尋の描く絵をたくさん見てきたからだろうな。
…ん…?
なんだこれ…
海の沖の方に…
これって…
人だ…
小さく描かれていたけど、このシルエットは人だ。
きっとこいつだ。
こいつが茉尋の魂を掴んでるんだ。
直感的にそう思った。もしかしたら海を守る妖かもしれないけど、こうやって絵の上からそれを消すように線が書かれているから、俺はそう思った。
くそっ…
ふざけやがって…
絶対に茉尋を見つけだしてやる。




