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寄せては返す波のように〜妻は目の前から消えては何度もまた現れる〜  作者: ことり おと


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30/38

30 静かな時間


 次の日、目が覚めるとすぐに隣を確認した。


 よかった…


 茉尋はちゃんといた。


 もしかしたら茉尋は消えてしまっているんじゃないかと思った。

 もしかしたら茉尋はこの家を出て行ってしまうんじゃないかとも思っていた。


 でも…茉尋はちゃんといた。


 …俺は一体、何度そう思わなければいけないんだ。今までも…これまでも…毎日毎日目が覚めると、まずすることといえば隣を確認すること。

 茉尋が波に飲まれて、再び姿を現した時からそれは毎日続けられていた。


 いつもだったらそのまま寝かせておくけど、俺は茉尋を起こした。


「茉尋、起きて」

「…んー…」

「ごめんな、起こしちゃって」

「んー?いいよ?」

「仕事行くけど、お前変なこと考えんなよ?」

「大丈夫だよ。勝手なことしない。こんな中途半端なままで終わらせたりしないから」

「約束だぞ?」

「うん……ははっ」


 茉尋は笑いだした。


「なんだよ」

「千明くん、また目が腫れてる」

「お前もだぞ」


 茉尋の瞼は分厚く腫れていた。

それを見て俺は、昨日の泣き崩れる茉尋の姿が頭に浮かび、胸が締め付けられた。


「私ぶちゃいく?」

「そうだな。そんな顔じゃ今日は外に出ない方がいいな」


 俺は茉尋の頭を撫でながらそう言った。


「そんなにぶちゃいく?」

「うん。そんなにぶちゃいく」

「でもお昼頃には戻るよね?」

「そうだな。でも海には近づくなよ。砂浜もだめだからな」

「わかってる。それに今日は外に出る気分になれない」


 茉尋は静かにそう言った。

 体調不良以外で、こんな弱々しい茉尋を見るのは初めてだった。

 

 本当に変なこと考えないでくれよな。


「ひとりで大丈夫?やっぱり俺、仕事休もうか?」

「ははっ。甘いな千明くんは」

「うん。そうだな。それでどうする?」


 俺がそう聞くと、茉尋は俺のTシャツをぎゅっと握った。茉尋のその行動で俺は察したから、そのまま茉尋を抱き寄せた。


「休む。今日はこのまま一緒にいよう。昨日全部話したけど、所々詳しく話してないこともあるしな。今日はこれからのことを考えようか」

「……今日はやだ。ごめんだけど、今日は何も考えたくない」


 昨日茉尋は、自分でも調べると言っていたけど、やっぱりこんなことすぐに受け入れられるはずないよな。昨日はきっと無理してたんだ。


「体調は?大丈夫?」

「体は平気」


 体は…か…。

 

 今の俺には何ができるだろう。

 

 いつも茉尋は笑っていて、いつも俺を笑わせてくれて…

 茉尋が笑うのって、茉尋が俺に何か仕掛けてる時が多いんだよな。膝カックンをして笑ったり、庭での水遊びで、茉尋のホース攻撃で俺がびしょ濡れになってるのを見て笑ったり、なんかそんなんで大笑いしてることが多いんだよな。

 

 あれ…?俺はどうやって茉尋を笑わせてあげられる?こんなことを考えたのは初めてだった。

 

 俺…本当にポンコツだな…


「千明くんは?」

「ん?」

「千明くんは大丈夫?昨日寝るの遅くなっちゃったじゃん?」

「少し眠いかも」

「私も」

「それじゃあゆっくり寝るか」

「うん」


 しばらくすると茉尋はスッと眠りについた。

 いつもだったら“暑い”と言って嫌がるんだけどな。それを言わずに眠るまで大人しくしていた茉尋のことを、なんだか痛々しく思ってしまい、また胸が締め付けられた。

 俺はしばらくの間、茉尋を抱きしめ続け、この温もりを心に刻み込んだ。


 昼近くに起きると、2人でご飯を食べた。


「あーっ」

「どうしたの?」

「私バイト…」


 すっかり忘れていた。


「あれ?スマホどこだっけ?」


 茉尋はそう言って探しはじめた。


「あったあった。カバンの中に入りっぱだった…めっちゃ小百合さんから連絡きてる」


 そう言いながらメッセージを確認しているようだった。


「小百合さんも私のこと知ってるんだよね?こんな変なことになっちゃってること」

「知ってるけど、その事実をちゃんと理解してるのは、茉尋が…」


 消えている時の小百合さんだ。

 茉尋に向かって、“消えている”だなんて口に出して言いたくないな。

 

「消えてる時?」


 茉尋は躊躇なくそう言った。俺は「そう」とだけ返事をした。


「はぁ…なんて言おうかな…」

「俺が電話するよ」

「番号知ってるの?」

「知ってる」

「…そっか。そうだよね。私が消えてる時に、色々してくれてたんだもんね」


 呟くように茉尋はそう言った。

 

 茉尋は今まで落ち込むことが少なかった。落ち込んだとしても、すぐに立ち直ることが多かったから、俺はあまり茉尋のことを励ましたことがない。だからどうすれば茉尋の心が軽くなるのか、すぐには思いつかなった。

 二度寝する前も思ったけど、ホント俺、情けないな…。

 

 とりあえず小百合さんに連絡をし、俺の方から事情を話した。小百合さんはすぐに納得してくれ、茉尋の心配もしてくれた。

 内心、俺は心配してたんだ。茉尋が戻ってきている状況でその話をするのが初めてだったから。

 

「どうだった?」

「茉尋の心配をしてたよ」

「…」


 茉尋は目に涙を溜めはじめた。

 それからこう言った。


「ははっ。ごめんごめん。わかってる。わかってるんだよ?もう私が死んじゃったことは。チャッピーもサミダレさんもそう言ってたんだもんね?でもね、今の電話の内容聞いてたら、“ああ…本当に私死んじゃったのかぁ”って…だってそうでしょ?普通じゃありえない話が、あんなにすんなりと小百合さんに伝わってるんだもん」


 小百合さんの声は茉尋には聞こえていないはずだから、俺の会話の内容だけで茉尋はそう感じたのだろう。


 俺は茉尋を抱きしめた。

 今の俺にはこうすることしかできない。


 茉尋は、俺が落ち込んでる時、どうやって励ましてくれてたっけ…


 茉尋は確か…


 俺は過去の記憶を辿った。


「ちーあっきくんっ」

「…なんだよ…」

「まぁまぁまぁまぁ、元気だしんしゃい」

「そんなすぐに立ち直れねーよ」

「新社会人ならよくあることだよ。失敗して怒られるなんてこと」


 茉尋は座っている俺の背中から、おんぶをするようにして抱きついてきた。


「はぁ…なんであんなミスしちゃったんだろ」

「あるあるだから大丈夫っ。そうやって人は成長するのです」

「わかってるけどさ…」

「もうっ。茉尋ちゃんが珍しくぎゅーってしてんだから、もう少し喜んでよ」

「それどころじゃない」

「わかったわかった。んじゃ今日は千明くんが大好きなピーマンの肉詰めにするからっ」

「追い討ちかけてんじゃねーぞ」

「ははっ。とにかく元気だしてっ」


 俺は茉尋の腕を取り立ち上がると、そのまま茉尋をおぶって、くるくると回りだした。


「そそっ。その調子その調子っ。あははっ、これ楽しっ」


 …そうだ…いつもこんな感じだ。俺は落ち込んでいても、いつの間にか茉尋のペースに飲まれて、気がついたら自分も笑っていたんだ。


 でも…今の状況じゃあな…

 

「茉尋、まだ少し暑いかもしれないけど、今日は縁側で過ごそうか」


 俺がそう言うと、茉尋は静かにうなずいた。


「先行ってて?俺もすぐに行くから」

「…すぐ来てね」


 茉尋らしくない返事だ。

 いつもの茉尋だったら、同じ意味でも「急ぎ参れよ?」とか、「さっさと来んしゃーい」だとか言っていたはずだ。


 茉尋を縁側に向かわせると、俺は色々と準備をしてから茉尋の元へ向かった。


「ほら茉尋、お菓子パーティーだぞ」


 俺はお菓子BOXや飲み物、交換日記や筆記用具を用意し、ラジオを流した。


「…お菓子パーティー?」

「そ。今日はここでお菓子食って、ゴロゴロしたり、ノートに落書きしたり、のんびりすんの。どう?」

「うん。楽しそう」


 そう言いながらも茉尋の表情は浮かないものだった。


「な?しゃべってもいいし、しゃべらなくてもいい。酒が飲みたいなら飲んでもいいし、なんでも有りだ」

「じゃあ…」


 茉尋はそう言うと立ち上がり、座椅子を持って来ると、俺にその座椅子に座れと言ってきた。それから俺の脚の間に茉尋は座った。


「こういうのもいいの?」


 茉尋がずっと茉尋らしくない。


「いいぞ」


 俺はまた茉尋を抱きしめた。


「さすがに暑いな」

「ははっ。そうだね。…でも今はこうしてたい」


 しばらくすると茉尋は落ち着いてきたらしく、駄菓子を食べはじめた。


「はい、千明くんあーん」


 茉尋が小袋のスナック菓子を俺の口に放り込んだ。


「これ千明くん好きだったよね?」

「うん。子どもの頃から好きだったな」

 

 こんな感じで、のんびりと会話を楽しんだ。

 それから茉尋は交換日記を広げると、何やら妖の絵を描きはじめた。


「今庭にいるのか?」

「うん。遊びに来たみたい。花を見てる子もいれば、追いかけっこをして遊んでる子たちもいるよ」


 やっぱり茉尋の視ている世界は平和だ。


 気がつくと“ひぐらし”が鳴き始めていた。

 まだ夕方にはなってないのにな。日陰にいる奴らがきっと鳴いているんだろう。


 ああ…


 俺…ひぐらしの鳴き声、苦手なんだよな。キラキラとした夏が終わる。そう思うと子どもの頃から寂しさと切ない気持ちでいっぱいになっていた。

 そのひぐらしの鳴き声がなんだか、茉尋との終わりを示唆しているように感じ、子どもの頃に感じたそれとは比べものにならないほどに寂しく、そして切なくなった。


「千明くん、ごめんね」

「なにが?」

「…残される人の方が辛いのに」

「何言ってんだよ。茉尋の方が辛いだろ。こんな訳のわからないことになって」

「…うん…」

「…茉尋…大丈夫か?」

「…あーっ、やめやめっ。ほんっとごめんっ。こんな湿っぽいの私らしくないっ」


 茉尋は急にそう言うと、勢いよく立ち上がった。


「暑いからアイス食べよ?んでもう少ししたらさ、お惣菜でも買って、ここでお酒飲まない?」

「それいいな。明るいうちから飲む酒」

「でしょでしょ?今日はとことん楽しもっ」


 本当は辛いはずなのに、茉尋は気丈に振る舞っていた。

 

 結局茉尋は、自分で自分を立ち直らせていた。


 俺は…自分の無力さを痛感した。


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