29 崩れ落ちる
家に帰ると茉尋の姿がなかった。帰りの連絡も返事がなかった。だから嫌な予感はしてたんだ。
茉尋は今日、休みの日だから家にいるはずなのに、電気もついていなければ気配もしない。俺は一応、家の隅々まで探してみたけど、やっぱり茉尋はいなかった。
ああ…また茉尋は…
「はぁ…」
思わずため息が漏れる。
俺はあと、何度これを繰り返せばいいんだ。
ひとりでいたくなくて、俺はシンちゃんの家へと向かった。
「お、どうした?」
「なんか食いもんある?」
「あれ?茉尋ちゃん、遊びにでも行ってんのか?」
え…?
シンちゃんのこの反応、茉尋は消えてないってことなのか?
「鯵の干物だったらあるから焼いてやろうか?」
「今シンちゃんなんて言った?」
「だから鯵の干物ーー」
「じゃなくてその前っ」
「茉尋ちゃんは遊びに行ってんのかって…」
「シンちゃんごめん。やっぱ飯いーや」
俺はシンちゃんにそう言うと、海へと向かった。でも茉尋はいなかった。
どこだ?どこに行った?
俺はスマホの存在を思い出し、電話をかけてみたけど茉尋は出なかった。
どうしよう。茉尋になにかあったんじゃ…
茉尋が連絡なしにどこかへ行くなんて今までなかった。
じゃあ一体どこへ?
俺は近所を探し回った。
でも結局、茉尋を見つけることができず、俺は一旦家に帰ることにした。
どうしよう。シンちゃんにも声をかけて、茉尋のことを一緒に探してもらうか?
どうしよう…。
茉尋のことだから、事故なのか事件なのか、はたまた妖がらみなのかはわからない。
家に着き、ドアを開けると茉尋の靴があった。
「茉尋っ?帰ってたのっ?」
玄関から声をかけても返事はない。
俺は走ってリビングへ向かった。
そこにはちゃんと茉尋がいた。微動だにせず立ったままだった。
茉尋は後ろを向いているからどんな表情をしているかわからない。
「茉尋?何か買い忘れたものでもあったの?」
やっぱり茉尋からの返事はない。
茉尋だよな…?
「茉尋?」
俺は茉尋の前に回りながら、またそうやって茉尋の名前を呼んだ。
茉尋は泣き腫らしたような目をしていたから、俺は茉尋の目線に合わせるように少し屈んだ。
「茉尋?何があった?」
髪や服が乱れたり汚れたりはしていない。今見える範囲の肌に傷やアザなどもない。もちろん顔も、泣き腫らしている目以外はキレイなままだった。この様子なら誰かに乱暴なことはされていないと思うけど…
「…千明くん…」
「ん?」
「…千明くん…私…」
「うん」
「…私…千明くんに聞きたいことある…」
俺は茉尋の目をしっかりと見ていたけど、茉尋は俺とは目を合わさず、少し下を向いていた。
「なに?聞きたいことって」
「…」
茉尋は黙ってしまった。
「どうしたの?言ってみ?」
茉尋が何を聞きたいのか早く知りたかったが、そんな気持ちはぐっと抑え、俺は優しく茉尋にそう言った。
「……私…生きてる…?」
ドキッとした…
…何か…思い出したのだろうか。
「ねえ千明くん…私生きてる?もしかして死んじゃった?」
「なんでそんなふうに思うの?茉尋はちゃんとここにいるだろ?」
「…今日ね、ひと通り家事が終わったあと、急激に眠くなってお昼寝しちゃったの…それでね、またあの怖い夢見た」
海の夢か…
「だからそれはただの夢だよ」
「ううん…違うの。私少し思い出したの。あの日は確か…台風が近づいている中、琥太郎くんが逃げちゃったシロを探して、それで2人とも海にいて…私琥太郎くんを抱きしめたの」
本当に思い出したのか…?あの時のことを…。そうしたら茉尋はどうなるんだ?そのまま消えていなくなってしまうのか?
「それで波に飲まれて…私…その後の記憶がないの…。ねえ千明くん。私そのまま死んじゃった?あの日に私は死んじゃったの?」
茉尋は泣き腫らした目から、次々と大粒の涙を流していた。
なんて言おう。本当のことを言うべきか、また適当なことを言ってごまかすか。どうすればいい?何が正解だ?
「リアルな夢を見たんじゃない?だからその後の記憶がないんだよ。茉尋は今ちゃんとここにいるだろ?」
俺はそう言いながら茉尋の両手を握った。
「誤魔化さないでっ。夢なんかじゃないっ。ちゃんと記憶なのっ」
茉尋は大きな声でそう言った。
「お願い千明くん。本当のことを話して。本当のことを教えて?」
イヤだ。言いたくないっ。
「あの時茉尋は、確かに波でずぶ濡れになったけど、ただそれだけだったよ?怖い思いをしたから記憶が曖昧になってるだけなんじゃないの?」
「だったらなんで私はそのことを覚えてないの?」
「だからそれは怖い思いをしたからだろ?人間ってそういう記憶を消すってよく言うじゃん」
「じゃあ海に行くなって言うのはなんで?」
「…それは…茉尋がまた怖い記憶を思い出さないように…」
茉尋は納得がいかないという表情をしていた。
「あの台風の日から、3ヶ月近くも記憶がないのはどうして?」
だめだ。何も思い浮かばない。
「千明くん、教えて?」
何か…何か言わないと…
「千明くんっ。本当のことを話してっ」
俺はなんて言っていいのかわからず、茉尋を抱きしめた。茉尋はそんな俺を押し返し、離れようとした。
「いやっ。やめてっ。ちゃんと話してっ。誤魔化さないでちゃんと教えてよっ」
茉尋が全力で嫌がっていたから俺は離れ、また両手を握った。
「ねえ千明くん、私死んじゃったの?」
もう…誤魔化すのは無理か…
俺は茉尋が言っていることを肯定する意味で、うなずいた。
「あの日に…あの台風の日に死んじゃったの…?」
もう涙を堪えることができずに、泣きながらまたうなずいた。
すると茉尋はその場で崩れ落ち、床に突っ伏すような体勢になると、声を上げて泣いていた。
「ああーーーっ…っ…」
茉尋の悲痛な声が静かな部屋の中に響き渡った。
俺がもっと早くに解決させていれば、茉尋にこんな思いをさせずに済んだのに。俺がもっとちゃんとこの現象について向き合っていれば、こんな茉尋の姿を見ずに済んだのに。
そう思うと後悔がどっと押し寄せ、俺は胸を押し潰されるように痛かった。
俺がそうやって後悔の念に苛まされていると、茉尋は次第に、呼吸を詰まらせながら泣き始めた。
このままでは過呼吸になってしまうかも…俺はそう思い、その場でしゃがむと茉尋の背中を撫でた。
「茉尋…」
俺の声が届いているかはわからないが、茉尋はしばらく泣き続けていた。
少し落ち着いてきたところで、俺は茉尋を起き上がらせ、座ったまま力強く抱きしめた。
「茉尋、よく聞いて?今から俺が言うことちゃんと聞いて?」
こんな状態の茉尋に今までのことを話すか迷ったが、俺は話すことにした。でもその前に言っておきたいことがあった。
あの台風の日のことを思い出した茉尋が、いつ消えてしまうかわからなかったから…もしかしたらすぐにでも消えてしまうかもしれないから…そう思って茉尋の両肩を掴むと、茉尋の目をしっかりと見た。それから右手を茉尋の頬に添えた。
「今から全部話すから、でもその前に俺が茉尋に伝えたいことを先に言わせて?」
「…っ…なっ…なにっ…?」
「茉尋、愛してるよ。今までも…これからも…ずっとずっと…」
俺がそう言うと、茉尋の目からはまた大粒の涙が溢れていた。それは俺も同じだった。
「わっ…わたしもっ…千明くんのことっ…愛してるよっ…っっ…」
茉尋は言葉を詰まらせながら、俺にそう伝えてくれた。
そんな茉尋を俺はまた抱きしめた。
それから今までのことをゆっくりと話した。
あの台風の日のこと。茉尋の捜索がされていたこと。スキューバダイビングの人たちがボランティアで茉尋の捜索をしてくれたこと。俺も毎日海へ行っていたこと。それでも茉尋は見つからなかったこと。でも3ヶ月もすると、茉尋が急に俺の目の前に現れたこと。茉尋が現れるとみんなの記憶が茉尋の生前の記憶に改ざんされること。茉尋は海に触れると消えてしまうこと。
そんなことをゆっくりと全部話した。
話終わる頃には茉尋は少し落ち着いていた。茉尋は途中で質問をしたり、取り乱したりすることなく、淡々とひと通り俺の話を聞いてくれた。
「琥太郎くんは…?琥太郎くんはちゃんと無事だったの?私みたいになってない?」
「さっきも言ったけど、琥太郎とシロは、波に揉まれながら砂浜に押し戻されて無事だったよ」
俺がそう言うと、茉尋は呟くように「よかった…」と言った。
長いこと抱きしめていた茉尋から離れると、顔を見てみた。
涙は止まっていたものの、茉尋の表情は暗いものだった。
「私ね…」
そうやって茉尋が話しはじめた。
「ずっと…違和感があったの。最初はなかったんだよ?でもね、千明くんの話を聞いて合点がいった。記憶が曖昧なことが最近多くて…きっとそれは私が消えたり現れたりしてたからなんだね」
苦しそうな表情の茉尋がそう言った。
「千明くんがあの時…海で泣いていたことも、これで辻褄が合った。あの時千明くん、私に向かって“お前は誰だ?”って言ってたもんね」
「…そうだったな…」
「今やっとその理由がわかったよ。最初はなんの遊びだろうと思ってたけど…あの時の千明くんの顔、ふざけてる感じじゃなかったからさ」
「…うん…」
「海に行くなって言われ続けていたのも、やっと意味がわかった」
「うん」
「…ずっと…なんとかしようとしてくれてたんだね」
「…何もできなかったけどな」
「ううん。ありがとね。千明くんは視えないのに、よくここまで調べたよ」
違うんだよ茉尋…
俺は今までたくさん逃げてきた。
「千明くん…私これからどうなっちゃうのかな?」
「わからない」
「ずっここれを繰り返すのかな?」
「…わからない」
「私が…千明くんの元に戻りたいって思わなければ、もう終わるのかな…?」
待って…やめてくれ…
そんなこと思わないでくれ…
「茉尋っ…俺はこのままでもいいっ」
「…だめだよ、そんなの。だから千明くんも色々調べてたんでしょ?」
「それはお前を想ってのことだ。茉尋が苦しかったり、辛かったりしてるかと思って、だからそれをなんとかしたくてっ」
「…ありがとね。本当に千明くんは私のことが大好きなんだから」
茉尋は力無く笑うとそう呟いた。
「当たり前だろっ。なに笑ってんだよっ」
「…私も調べてみる。もうこんなことが続かないように」
「…でも…俺の本音は…こんな形でもいいからずっと茉尋と一緒にいたい」
「だめだよ?千明くん。私はもう死んじゃったんだから」
「…そんなにあっさり受け入れるの?」
「だって千明くん、嘘を言ってるように見えないもん。だから信じるしかないでしょ?受け入れるしかないでしょ?辻褄も合うし」
そう言う茉尋はすごく悲しげで、今にも消えてしまいそうに見えた。
「今日はもうこの話はやめよう」
「うん…そうだね」
「1人でなにかしようとするなよ?いきなりいなくなるんじゃないぞ?」
「わかった」
消え入りそうな声で、茉尋はそう返事をした。




