24 海が…波が狙ってる…
しばらくすると茉尋はひょっこりと戻ってきた。
それは海から家に帰ってる時だった。
海を眺めた後、商店街を通ってる時、背中から茉尋の声が聞こえてきたのだ。
「ちーあっきくんっ」
茉尋はそう言っていきなり現れ、いつもの調子で俺に話しかけてきた。それから俺の背中に抱きついき、寄りかかってきた。
ああ…茉尋の重みだ。俺はそれがすごく嬉しかった。
「んだよもう。おーもーいーっ。歩けねーし」
「ははっ」
「それにここ外だぞ?」
俺はそう言いながらも嬉しかった。
また…茉尋は戻って来てくれた。
茉尋が戻って来るたびにいつも思う。
何度でも思う。
もう…二度と消えないでくれ。
このままずっと俺と一緒にいてくれ。
毎回そう思うのに、茉尋は必ず消えてしまう。今までメモをしていた記録を見ると早くて3週間程度。長くて4ヶ月くらいするといなくなる。
戻る期間もまちまちだ。いなくなってから次の日に姿を現すこともあれば、1ヶ月以上経ってからの時もある。
「千明くんだって外なのに、ベタベタしてくることあるじゃんっ」
茉尋はそう言うと、そのまま俺の背中に飛び乗ってきた。だから俺はそれを支えるように茉尋をおぶった。
「どうしたん?」
「…甘えたくなっただけ…なんかね、今から変なこと言うかもだけど…こうやって千明くんにくっつくの久しぶりな気がする。毎日一緒にいるのにおかしいよね…」
茉尋…
そうだよ。久しぶりだよ。
茉尋の中でもなにか違和感を覚えているのか…?
「…茉尋…もういなくなるなよ」
俺は呟くようにポツリとそう言った。
「え…?」
「ううん。何でもない。最近、俺の仕事が忙しかったからかな?」
「あー…それでか」
茉尋は納得してくれたようだった。
でも文句を言ってきた。
「寂しい思いさせやがって」
寂しい…茉尋はそう感じているのか。
「悪かった」
「寂しい」
「悪かったって」
茉尋は俺を抱きしめるようにぎゅっと腕に力を込めた。
寂しい…か。
俺も茉尋が消えちゃって寂しかったよ。
だってお前急に消えちゃうんだもん。あの日、仕事から帰ったらお前いなくなってたんだぞ?何の前触れもなくさ。また海に行ったんだろ?
その時の茉尋の心境はわからない。
前みたいに苦しくなって海に行ったのか、ただたんにふらっと海に行ったのか、それはわからないけど海に行ったことには変わりないだろう。
「寂しいよ千明くん」
その言葉を聞いて、俺は胸がチクリとした。
茉尋は…海の底で“寂しい”と、そう思っているのか?そりゃそうだよな。寂しいよな。だからこうやって戻って来るのか?
「…どうしたの?らしくないぞ?」
「わからない…」
茉尋の乾いた声が耳元に届く。
元気ないな…茉尋…。
「千明くん…」
不安なのかな?
また茉尋の腕に力が入った。
「茉尋、俺首絞まってる。苦しい」
「うん、ごめん」
「帰ったらいっぱいハグしてやるから」
「うん」
「ついでにちゅーも30回してやるよ」
「ははっ。それはいーや」
「なんだよ。遠慮すんなよ」
「じゃあお返しに私は膝カックンしてあげるねっ」
茉尋の楽しそうな声が耳元で響いた。
どうやら少し気が紛れたようだった。
「あ、そういえば駄菓子買っておいたぞ?帰ったら見てみ」
「やったぁ。さすが千明くんっ」
「だろ?」
もう少しで茉尋が戻って来るかもと思って、俺は数日前に駄菓子を買って帰っていた。
いや…焼き芋の枯葉を集めた時みたいに願掛けのつもりで買ったんだ。“このゴミを投げて、ゴミ箱にちゃんと入ったらいいことがある”みたいな願掛けだ。
「どんなの買ったの?」
「それは帰ってからのお楽しみ」
「おっ、なんだ茉尋ちゃん。足でも挫いたか?」
商店街の八百屋のおっちゃんが、そう声をかけてきた。八百屋の名前が“ヤマザキ”だから、俺はそのおっちゃんのことを“やっちゃん”と昔から呼んでいた。
やっちゃんもシンちゃん同様、俺が子どもの頃から知っている馴染みのある人だ。
茉尋ともすでに仲良くなっている。
「ははっ。違いますー。千明くんがどうしてもおんぶしたいって言うから、仕方なくですよー」
「なんだ千明。茉尋ちゃんにベタ惚れじゃねぇか」
茉尋はそうやって嘘をついていたけど、もう好きに言わせておこうと思った。
「やっちゃんだって、奥さんにベタ惚れだろ?」
「うちはただの腐れ縁だ」
やっちゃんは少し照れくさそうにしながらそう言った。
「あれ?千明くん、本当のこと言わないの?」
「別にいーよ」
「なんで?」
「なんでも」
だってベタ惚れなのは本当のことだし。
茉尋は今、俺に甘えたいみたいだし。
「なーんだ。つまんないの」
「なんだよそれ」
「つまんないのっ」
茉尋はそう言いながらも、楽しそうな声だった。きっと茉尋は今、笑っているんだろうなという声だった。
家に着くと、座った俺の上に茉尋を向かい合わせるように座らせ抱きしめた。
「どう?少しは安心する?」
「…うん。安心する」
「ならよかった」
茉尋もしっかりと俺を抱きしめていた。
こういう茉尋を今まで見たことがなかった。
いつも茉尋は笑ったり、冗談を言ったり、ふざけてばかりいたから。
こんな不安そうな茉尋を初めてだ。
「千明くん…私変じゃないよね?おかしくないよね?」
なんでそんなふうに思うんだ?
「なにかあったの?」
「私…ちゃんとここにいるよね?」
…なんでそんなこと…
「大丈夫だよ。ちゃんとここにいる。俺の体温伝わってる?」
「うん。あったかいよ?」
「なら大丈夫。なんでそう思ったの?」
「わかんない。こうするのがすごく久々な感じがしちゃって」
「ごめんな。俺の仕事が忙しかったからだな」
この日は長いこと、お互いにこうやって抱きしめ合っていた。
ある夕食時、俺は茉尋に忘れていたことを聞いてみた。
「そういえばさ、ずっと前に海の風景を描いてって言ったの覚えてる?」
「…そう…だったね。確か元気になったらって…」
茉尋の様子が少し変だった。
「ん?どうしたの?」
「なんか…そのへんの記憶が曖昧で…というか最近そういうことが多い気がする」
やっぱり違和感を覚えてるのか。
「俺もそういうことあるぞ?1週間前の夕飯だってもう覚えてないし」
茉尋が不安そうにしてたから、俺はわざとそう言って茉尋の違和感を和らげようとした。
「それは私もそうだけど、そういうんじゃないんだってば」
「大丈夫大丈夫。よくあることだから」
「…でもいつ元気になったか覚えてないだよ?」
「それってそんなに重要なこと?」
「いや…なんか大事なことを忘れてる気がして…」
大事なこと…
でもやっぱり茉尋は思い出すことはできないようだった。
「ほらほら。いつまでそんな顔してんだよ。茉尋は元気だけが取り柄なんだろ?」
「…それもそうだねっ。じゃあ早速明日一緒に海行こう?絵描くよ」
いつもの茉尋に戻ったようだった。
次の日、昼を食べ終わると海へと向かった。
風が弱く、波も穏やかだった。
波から離れた砂浜に座ると、茉尋はノートを広げ、色鉛筆を自分の横に置くと絵を描き始めた。
俺はそんな茉尋の隣に座り、海を眺めたり、茉尋の絵を覗き見したりした。そうして過ごしていると、波が砂浜を撫でるようにサァーっと俺たちに近づいた。
すぐに俺はそれに気がつき、茉尋を横向きに抱き上げるとその場から離れた。
「びっくりしたぁ…」
茉尋が呟くようにそう言った。
なんだ今の波…
波から離れた所に座ってたのに…
偶然か…?それとも…
また波がサァーっと来て、砂浜に置いていた色鉛筆が攫われていった。
「あ…色鉛筆…」
また茉尋は呟くようにそう言った。
「色鉛筆は買って帰ればいいから」
「うん…」
やっぱり…海には近づいちゃダメだ。
迂闊すぎんだろ俺…。
波から離れてれば大丈夫だとか、今日の波は穏やかだからとかなんて関係ない。
海が…波が茉尋を狙っている…。
「もう帰ろう」
俺がそう言うと茉尋は俺の首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめるようにしてきた。
「うん…帰る」
茉尋…?
「怖かったの?」
「…ううん。大丈夫」
本当か?
「怖かったなら怖かったってちゃんと言うんだぞ?」
「ふふっ。たかが波だよ?大丈夫だって」
茉尋はそう言っていたけど、いつもの声色と少し違った。
家に帰ると、茉尋はすぐに抱きついてきた。
やっぱり変だ。
もし不安になっているなら、それを取り除いてあげたい。できるだけのことをしてやりたい。
「どうしたの?」
「夕飯じゃんけんしよ?」
「誤魔化すなよ。お前、前までこんなに甘えん坊じゃなかったじゃん」
「千明くんが作ったチャーハンが食べたいな」
「…じゃんけんするんじゃないのかよ」
俺がそう言うと茉尋はさらに腕に力を入れた。
「どうした?言ってみろよ」
「だからチャーハンが食べたい」
「わかった。この前作った餃子も冷凍してあるから、それも焼くか」
「中華スープも。あと春雨サラダ」
「わかったよ」
茉尋が言いたくなさそうだったから、無理やり聞き出すようなことはやめておいた。
俺は茉尋のお尻の下に腕を回すと、そのまま持ち上げた。
「あははっ。千明くん危ないよっ」
茉尋がやっと笑った。
だから俺はそのままクルクルと回った。
「やだーっ。危ないってばっ」
笑いながら、茉尋はまたそう言った。
俺はそれが嬉しくて、調子に乗って回り続けた。すると少しバランスを崩し、壁に茉尋の頭を軽くぶつけてしまった。
「いったぁー」
「ははっ。ごめんごめん」
「笑ってんじゃんっ」
「ごめんて」
「もうっ、だから危ないって言ったのに」
「ごめんごめん。どこぶつけた?」
茉尋を下ろすと、俺は茉尋の頭を調べた。
「大丈夫。こぶにはなってはい」
「ほんとー?」
「ホントホント。どこが痛い?」
「ここ…あれ?こっちだっけ?んー?ここかな?」
もうどこが痛いのかわからないらしかった。
それに気がつくと、茉尋は笑い出した。
「あははっ。もうどこをぶつけたか忘れちゃった」と、そう言いながら、いつもの調子で笑っていた。




