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寄せては返す波のように〜妻は目の前から消えては何度もまた現れる〜  作者: ことり おと


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23 確定


 茉尋が…また消えてしまった。

それはピクニックから1週間後のことだった。

仕事から帰ると、家の電気がついていなかった。

 この頃の俺はもう、茉尋がいなくなることに少しだけ慣れつつあった。家の電気がついていないだけで、茉尋が消えてしまったとすぐに思った。

 前までならそんな状況は不安だった。残業になったのか?何か事件や事故にでも巻き込まれたのか?そんなふうに思っていた。

 でも今となっては“また消えてしまったのかも”と、その考えが真っ先に浮かぶようになっていた。

 念のため、シンちゃんの家に向かい、インターホンを押す。するとシンちゃんがすぐにドアを開けてくれた。


「おっ、どうした?」

「茉尋来てる?」

「…千明…?」


 シンちゃんはドアを開けた時の表情とは打って変わって、すぐに眉間に皺をよせた。その表情ですぐに察した。


「ははっ。冗談。たまに茉尋さ、俺の帰りが遅いとシンちゃんとこに来てたことあったでしょ?」

「なんだよもう…お前たまに変になるから心配したじゃねーか」


 やっぱり…茉尋は消えたんだ…。

 シンちゃんの態度でそう察した俺は、平気なふりをして会話を続けた。


「なんか食いもんある?腹減った」

「カレーならあるけど、食ってくか?」

「おっ、いいねー。そんじゃお言葉に甘えて」


 あー…もう…

 一体どうすりゃいいんだよ。


 なんで消えちまうんだよ。

 今朝の茉尋はいつも通り元気だった。体調を崩してるならまだ合点がいった。茉尋は具合が悪くなると海に行きたがるから。でも今朝の茉尋は元気だった。前にもこんなことがあったな。茉尋は元気だったのに消えてしまうことが。ふらっと…まるで導かれるように海に行ってしまったのだろうか…。

 

 カレーをご馳走になったあと、シンちゃんからビールを勧められ2人で飲んだ。


「…こんなこと言うのはなんだけどさ…俺、お前が茉尋ちゃんの後を追っちゃうんじゃないかって心配してたんだよね」


 シンちゃんはビールが注がれたグラスを見つめながらそう言った。


「…まだわからないよ…」


 俺はそう言った後、“ははっ”と乾いた笑いをした。本当はそんなこと言うつもりなんてなかった。でも、自然とそう言ってしまった。

 するとシンちゃんが握り拳をドンッとテーブルに叩きつけた。


「っ…それだけはだめだよ千明っ。そんなことしたら1番悲しむのは茉尋ちゃんだぞっ?」


 それから続けてこうも言っていた。


「俺さ、4年前に離婚して、今はひとりで暮らしてるだろ?女手ひとつで育ててくれた母ちゃんも3年前に亡くなって…毎日ただ日々を過ごすだけだったんだよ。そんな時にさ、お前が大学卒業して、あの家に戻って来たと思ったら、その1年後には茉尋ちゃんを連れて来てさ。俺…すごく嬉しかったんだよ」


 懐かしむような表情で、シンちゃんは話しだした。


「茉尋ちゃんってさ、すぐに俺を受け入れてくれただろ?それでご飯に誘ってくれたり、お前がさっき言った通り、お前の帰りが遅い日なんかはこっちに来て俺の話し相手してくれたりしてさ…」


 シンちゃんはそこまで言うと、片手で目頭を押さえた。


「…本当に…いい子だったよな…。だからずっと心配だったんだ。あの日、茉尋ちゃんが波に飲まれた日、お前すごく取り乱して荒れた海に入って行くし、その後も憔悴しきってる姿を見て、お前も死んじゃうんじゃないかってすごく怖かった」


 鼻を啜りながらシンちゃんはそう言っていた。

 そんなに心配してくれていたのか…。


「俺さ、お前がこっちに戻って来てくれて本当に嬉しかったんだよ。胸にぽっかりと、穴が空いたような毎日だったから、すごく心の支えになってたんだ。千明がいて、茉尋ちゃんがいて、琥太郎とシロがいて…やっと俺は笑えるようになったんだ。なのにお前までもが…千明までもがいなくなるだなんて耐えられない。だから頼む。変なことは考えないでくれ。茉尋ちゃんの後を追うようなことは考えないでくれ」


 テーブルに肘をつき、片手で額を押さえているシンちゃんの頬に、ツーっと一筋の涙が流れた。

 そんなに俺のことを心配してくれていたのか…俺の心臓がぎゅっとした。


 俺は俺と茉尋のことしか考えていなかった。俺のことを大事に思う人のことなんて考えてもいなかった。そんな人がいるだなんてことも、ちっとも思っていなかった。

 でも…シンちゃんは俺のことを…。


「そんなふうに思ってたの?」

「当たり前だろ。俺はお前が生まれた時から見てたんだから。お前のが年下なのに、俺より先に死んだら許さないからな」


 そっか…。

 俺は想像してみた。もし俺の身に起きてることが、シンちゃんに起きていたとしたら。それでシンちゃんが憔悴しきっていたとしたら…今にも死にそうに見えたら心配する。死んでほしくないって強く思う。力になりたいって思う。少し考えればわかることじゃないか。


「心配かけて悪かった」

「本当にわかったのか?」

 

 シンちゃんは疑うような目で俺を見ながらそう言った。


「お前たまに変になるから心配なんだよ」


 シンちゃんにも茉尋が戻ってくることを話してみようか。シンちゃんなら信じてくれるかもしれない。交換日記を見せながら話せば信憑性はあるだろうし、それで信じなければ小百合さんを連れてくれば信じてくれるかもしれない。

 とりあえず今日は酒が入ってるから、また日を改めて話してみよう。


「大丈夫だから」

「ホントだな?変なことだけは考えるなよ?俺がいつでも話聞いてやるから、限界になるまで溜め込むなよ?」


 シンちゃんの優しさが心に沁みた。



 休みの日、俺は海に来ていた。


「チャッピー、いるか?」


 海の浅瀬に入ると、俺はチャッピーを呼んだ。

バカらしいと思いながらも、俺はチャッピーにすがってみることにした。

しばらくそうやって呼び続けると水面がチャプンと跳ねた。


「チャッピー…?俺の言葉がわかるか?」


 俺がそう聞くと、また水面が跳ねた。


「茉尋が海に飲まれた。それは知ってるか?知っているなら1回、知らなかったなら2回跳ねてくれ。俺が言ってることわかるか?」


 すると水面が1回跳ねた。


 …わかるのか…?


「俺が言ってることがわかるのか?」


 また水面が1回跳ねた。

本当にわかってるのか?俺はまた質問してみた。


「お前が…茉尋を連れて行ったのか…?」


 チャッピーがどれほど人の言葉を理解できているかはわからない。茉尋が飼い犬みたいなものだと言っていたから、それほど意思疎通を図ることはできないかもしれない。それでも俺はすがる思いでそう聞いてみた。

 すると水面が2回跳ねた。


 偶然じゃ…ないよな…?


「茉尋は…まだ生きてるか?」


 あれ…?跳ねない。

水面はただ、静かにさざなみ立っているだけだった。


「チャッピー?」


 俺はまた声をかけてみた。すると水面が2回跳ねた。


 2回…


 2回…?


 茉尋はやっぱり…死んでいるのか…。


 俺はまた同じ質問をした。でもやっぱり水面は2回跳ねた。


 茉尋は…死んでいる…


 わかってる…。


 わかってる。


 わかってる、わかってる、わかってるわかってるわかってるわかってるわかってるわかってるっ。


 そんなことはわかっていた。

だって目の前で波に飲まれたのを見ているのだから。

 でも…もしかしたらっていう気持ちもあった。そうであって欲しいと何度も願った。

 例えばどこかの無人島なんかに流れ着いて助けを待っている…とか、そんなバカみたいなことまで考えるようになっていた。


 くそ…


 やっぱり茉尋はもう…

わかっていたのに、第三者からはっきりとそう言われると、その現実を受け入れられなくて胸が引き裂かれるような思いになった。


 俺は崩れるように海に膝をついた。


「…茉尋はただ運悪く、波に飲まれたのか?」


 水面が2回跳ねた。


 2回…ノーということか…。


「…妖の仕業か…?」


 すると水面が1回跳ねた。


 やっぱり…やっぱり妖が…。

あの時の波は不自然だった。やっぱり茉尋を狙ってたんだ。


「誰だ?誰が茉尋を攫ったんだ?チャッピーは知ってるんだろ?教えてくれ。誰が茉尋を攫った?茉尋は今どこにいる?」


 目の前の水面は静かなままだった。

こんな質問の仕方じゃ、それもそうだよな。


「チャッピー…まだいるか?」


 目の前で1回水面が跳ねた。


 まだ…いてくれたんだな。


「その妖がどこにいるかわかるか?」


 俺のその質問に、チャッピーは2回跳ねて答えてくれた。

 わからないのか…。もしわかったとしても、それを俺は聞くことができない。


「茉尋…」


 せっかく茉尋と結婚できたのに…

まだ始まったばかりだったのに…

たった1年と数ヶ月であの幸せだった結婚生活が終わってしまっただなんて…


 あんな一瞬で…あんなにもあっけなく…


 助けてやるから、見つけてやるから…どこにいるのか教えてくれ…茉尋…。


 チャッピーから真実をつきつけられ、頭の中が真っ白になった。


 気がつけば手も海の中につき、砂を握り込んでいた。


「あ゛ぁーーーーーーーっ」


 やっぱり無理だ。俺には無理だ。茉尋がいない世界を生きていくだなんて俺には無理だ。


 妖が茉尋を…


ー「もし…このまま会えなくなるのなら咲子の魂を私にくれ。そうすればずっと一緒にいられるから…」ー


 本に書いてあったその言葉をふと思い出した。


 もしかしたら茉尋も…?

それで茉尋は海に引き込まれたのか?波に飲まれたのか?


 しばらくそうやってうなだれていると、右手首の周りの水がぐるぐると渦を巻くように回っていた。

 

「チャッピーなのか?」


 俺がそう聞くとその渦は消え、目の前で1回跳ねた。


「俺を励ましてくれてるのか?」


 するとまた水面が1回跳ねた。


 …チャッピー…


 確か章司さんは波でできた大きな手が見えたと言っていた。それが茉尋を掴んだのか?その妖が茉尋を海に引き摺り込んだのか? 

 

 とにかく返してくれよ。茉尋を返してくれ。


「…返せよ…」


 気がつけば俺は声に出してそう言っていた。


「返してくれっ…」


「頼むから返してくれよっ」


「なあっ、聞こえてんだろっ?茉尋を返せっ!」


 俺は海に向かってそう叫んでいた。

 でも結局…茉尋が戻ってくることはなかった。


「返せ…返せよ…」


 何で茉尋があんな目に遭わなきゃならないんだよ。なんで茉尋を攫ったんだよ。


「茉尋を返せっっっ」


 俺は何度も海に向かってそう叫んだ。


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