20 愛する人に花を
実家の寺を継いだ地元の友人の石川に連絡をし、海に向かってお経を唱えてもらうことにした。これで茉尋が戻ってこなかったら供養できたことになる。葬式をするならそれからでもいいだろう。
とりあえず俺は、思いつく限りのことをすることにした。
約束の日になり、俺はまず、小百合さんの店へと行った。
「こんにちは」
「こんにちは。また茉尋ちゃん、戻って来てたんですね」
少し複雑な表情で小百合さんはそう言った。
「ええ…でもまた消えてしまいました。友人に僧侶がいるんで、今日はお経を唱えてもらうためにこれから海に行くんです。それで花を…と思いましてこちらに伺いました」
「…そうですか…お経を…」
「はい。意味があるかはわかりませんが、試してみようと思って」
小百合さんは悲愴な面持ちだった。
「それで花が欲しいんです。たぶん、波で押し戻されると思うけど、海に…茉尋に花を贈りたいんです」
「…わかりました。そしたらキレイに海に浮かぶように茎を短く切ってご用意しますね。花はこちらで選んでも?」
「お願いします」
小百合さんは白い菊やカーネーションなどを手に取っていた。
「ピンクのガーベラもいくつかお願いしていいですか?茉尋が好きだったんで」
俺がそうお願いをすると、小百合さんは選んでくれた。
それから花の茎を切りながら小百合さんは自分も一緒に行っていいかと聞いてきた。俺はありがたく思い快諾した。
用意が終わると小百合さんは店を閉め、歩きながら俺に1冊のノートを差し出してきた。
何かと聞いてみると、それは小百合さんの日記だと言った。小百合さんに促され、ノートをペラペラと開き目を通してみると、その日の茉尋との会話だったり、茉尋との出来事が簡単ながら書いてあった。
「これって…」
「はい。私もお2人の交換日記をマネてみようと思って、日記を始めてみたんです」
小百合さんはそう言っていた。
ノートの最初の方は茉尋が行方不明になったこと、でも戻ってきてはまた消えてしまうこと、それから俺と前に話したことが事細かに書いてあった。
他にもこんなことが書いてあった。
“信じられないと思うけど、ここに書き留めたことは全て事実”
“茉尋ちゃんにこのことは絶対に話さないこと”
“このノートも絶対に見せないこと”
“いつも通り茉尋ちゃんには接し、このノートに茉尋ちゃんとの会話、茉尋ちゃんの行動なんかを書き留めること”
“茉尋ちゃんを海に近づけさせないこと”
“このことは千明さん以外には誰にも話さないこと”
こんな感じで小百合さん自身への注意書きなんかも書いてあった。
小百合さん…ありがとう。
俺は胸が熱くなった。小百合さんも茉尋のために何かできることはないのかと考えて、こうやって実行してくれてたんだ…。
「でもやっぱり茉尋ちゃんに会っていた記憶はないんです。確かに私の字なのに、茉尋ちゃんと過ごした日常を書いた記憶はないんですよね。タイムカードもしっかりと打刻されてるし、茉尋ちゃんは出勤してきているんだと実感しました。このノートに書いてある内容も、もう茉尋ちゃんそのものの言動ですし…」、
そのノートには昨日は何を食べただとか、庭に来る妖のこととか、俺がピーマンを嫌そうな顔をして食べることとか、シンちゃんや琥太郎のことなんかが書かれていた。
小百合さんはちゃんと茉尋の口調で書いてくれていた。その他には茉尋がその日にした仕事なんかが書いてあった。
俺はそのノートをそっと胸に当て、抱きしめるようにしながら小百合さんに聞いてみた。
「あの…もし本当に茉尋が供養されたら、このノートを俺に頂けませんか?」
「はい。差し上げます。今日そのまま持ち帰っていただいても構いません」
小百合さんはそう言ってくれたけど、もしかしたらまた茉尋が戻ってくるかもと思ってそれは断った。だからもし戻ってきた時はまた、記録を続けて欲しいと伝えながらノートを返した。
小百合さんは俺の申し出を快く引き受けてくれた。
海に着き、しばらく小百合さんと話していると石川が来た。
「よっ。久しぶり。ちょっとは前向きになれたか?」
石川はそう言いながら俺に近づいた。
「まあ…茉尋のためにな」
俺はそう答えた。
「…茉尋ちゃん、いい子だったもんな…」
さっきとは打って変わって寂しい表情の石川がそう言った。
シンちゃんほどではないが、石川も何回かうちに招いて茉尋と3人でご飯を食べたり飲んだりしていた。だから石川も茉尋のことは知っている。
俺は小百合さんに石川を紹介し、石川にも小百合さんを紹介した。
「早速始めるけどいいか?」
「よろしく頼む…」
石川は海に向かってお経を唱え始めた。
俺はそれを聞きながら茉尋のことを想っていた。
茉尋の笑顔、茉尋の怒った顔、楽しそうな顔、困った顔、照れた顔、寝ぼけた姿、酔った姿…
茉尋の笑い声、茉尋の怒った声…
それから茉尋との思い出…
どうやって出会って、どんなふうに仲良くなっていったか。どんな付き合いをして結婚にまで至ったか。
俺は走馬灯のように茉尋との思い出を頭の中に
巡らせた。
「っ…くっ…」
もしかしたらこれで本当にもう、茉尋に会えないのかもしれない。そう思うと、涙が溢れ出て止まらなかった。俺は呼吸を詰まらせながら泣いていた。
茉尋…
今までごめんな…
1年以上もずっと苦しかっただろ?
でももうこれで楽になるかな。ずっと逃げてて悪かった。茉尋が戻って来るのが俺…嬉しかったんだ…。茉尋との何気ない日常を送ることがすごく幸せだったんだ。
だから幻だろうが何だろうがいいって思ってた。
本当に俺はダメダメだな…。
悪かった…。
ごめん…
本当にごめん…。
お経が終わると、俺は裸足になって海の中に入った。
それからさっき買った花を海へと…茉尋へとばら撒いた。
寄せては返す波によって花はこちらに戻って来てしまった。
それでもいくつかの花は沖の方へと流されていった。
茉尋…
お前の好きなガーベラが沖の方に行ったぞ。
見えるか?
ちゃんと茉尋に届いてくれよ…
石川にお経を唱えてもらってから俺は、塞ぎ込むようになった。
仕事には行っていた。
でも…
シンちゃんが訪ねて来ても、小百合さんや石川が連絡をしてきても…俺は全部それを無視した。
もう…誰とも会いたくなかった。
あの時お経を唱えてもらってから2週間が経った。
茉尋は戻って来なかった。
やっぱりもう…茉尋は成仏してしまったのだろうか…?
してしまったって…
それでいいんだろうが。
それで茉尋が楽になるなら…
苦しさから解放されるなら…
なあ…茉尋…
俺はこれからどうやって生きていけばいい?
…いつまでもこんなんじゃだめだ。
塞ぎ込んでから1ヶ月もすると、俺は徐々に元の生活に戻していった。無理やりにでもそうした。
休みの日にシンちゃんと琥太郎がうちに来た。
「ちー兄っ。大貧民やろう?」
「おっ、いいね。シンちゃん弱そう」
「なっ。シン兄弱そう」
俺たち2人がそう言うと、シンちゃんは騒ぎだした。「俺そんな弱くねーからっ」と言いながら、まだゲームは始まってもないのにムキになっていた。
ああ…ここに茉尋がいればな…。
茉尋がいたら、俺たちと一緒になってシンちゃんのことをからかっていただろうな。
『ははっ。確かに慎吾さん弱そうっ』
茉尋はきっと、こんな感じのことを笑いながら言っただろうな。
「…千明。大丈夫か?」
シンちゃんが急に真面目な顔をして、琥太郎に聞こえないように、小声で俺にそう聞いてきた。
「え?なにが?」
「…お前…泣きそうな顔してるぞ?」
「はははっ。シンちゃん心配しすぎ。大丈夫だって」
俺はそう言って誤魔化した。
「いやだってお前…その顔…」
俺は今、一体どんな顔をしてるっていうんだ?
そう思ってると頬に温かいものがツーッと流れた。
あれ…?
なんで…
泣いてんのか俺…
「悪い。ちょっと顔洗ってくるわ。その間、琥太郎とスピードでもして遊んでて」
俺はそう言うと寝室に行き、茉尋の服を引っ張り出した。その服を胸に抱くと、さっきよりも涙が出てきて止まらなくなった。
やっぱりだめだ。
俺は茉尋がいないとだめだ。
だめなんだよ茉尋。
ちゃんと立ち直ろうとした。この1ヶ月間、何度もそうした。
時間が…時間が解決してくれるのか…?
こういうのを繰り返していけば、いつか俺はひとりでも生きていく決心がつくのか?
茉尋…
戻って来てくれ…。
いや違うだろ。
もし戻ってきたとしても、また茉尋は消えてしまうんだから。
それでもいい。
それじゃだめだ。
それがいい。
だから…だめだってばそんなのっ。
……。
茉尋…俺をそっちに連れてってくれ…
「千明?入るぞ?」
そんなことを考えていると、シンちゃんが部屋に入ってきた。
「千明…」
「ひとりになりたい」
「だめだ。今お前はひとりになっちゃだめだ」
「いいからひとりにしてくれよっ!」
俺はついそうやって怒鳴ってしまった。
「お前琥太郎に、元気に笑ってろって言ったんだろ?茉尋ちゃんはそれを望んでるみたいなことを言ったんだろっ?それってお前にも言えることなんじゃないのか?茉尋ちゃんはお前に笑ってて欲しいって思ってるんじゃないのかっ?」
…茉尋なら…そう…思うだろう…
俺が茉尋の立場ならそう思う。
茉尋には俺の後を追うようなことはして欲しくない。
「…そうだよな…」
「頼む千明。変なことだけは考えないでくれ」
「…少ししたら顔を洗って戻るから、琥太郎の相手してやって」
「わかった」
シンちゃんのおかげで、俺は冷静になることができた。
それから気持ちが少し落ち着くと、俺は顔を洗って2人のところに戻った。




