19 こうするしかなかった
「最近海に行きたいって言わないな」
「…あー…少し遠くから眺めるだけでもいいかなって」
「なんで?茉尋海大好きじゃん。チャッピーのことも」
「なんか…海に近づいちゃいけないような気がして…」
なんだって…?
もしかして何か思い出したのか?
「なんでそう思うの?」
「わからない。今は近づきたくない」
それを聞いて俺は少し安心した。
これなら茉尋は自分から海に行かないかもしれない。ふらっとひとりで海に行くようなことはないかもしれない。
「千明くん、何度も海に行くなって言ってたよね?」
「うん」
「なんで?」
本当のことを話してみるか…?
いや…こんなこと茉尋に言えない。茉尋は海に飲まれたんだよだなんて、そんなこと言えないよ。信じてもらえるかもわからないのに。
例え信じてくれたとしても、自分の死を受け入れられるのか?もしそれが俺だったら、そんな話はきっと信じないだろうな。
「前に怖い夢見たって言ったろ?あれが正夢にでもなったら困るから」
「私も…その夢見たかも。うっすらとしか覚えてないんだけど…」
え…?
「でも…すごくリアルだったような気がする。それに苦しかったような…」
俺はそれを聞いていたたまれなくなった。胸が張り裂けるような思いになった。
それは…夢じゃなくて茉尋の記憶なんじゃ…
心臓がドクドクと波打ちうるさかった。
それと同時に心臓をぎゅっと鷲掴みされたかのように痛くなった。
やっぱり茉尋は…茉尋は…
一体…今までの俺は何をやっていたんだ…。
しっかりしろよ俺…逃げてばっかいないで、ちゃんと現実と向き合えよ…。
俺は今まで有耶無耶にしていたことに目を向ける決心がついた。
やっと目が覚めたような感覚だった。
ちゃんと…ちゃんと茉尋を探してやらないと。
「千明くん?」
見つけてやらないと。
「ねえ、千明くんってば」
連れて帰ってやんないと…。
「千明くんっ」
「あ、悪い。なに?」
「もーなに?ぼーっとしちゃってさ」
「…考え事してた。他には何か夢で見なかった?例えば大きな手で掴まれた…とか」
「何それ怖い」
「何でもいいから何か見なかったか?」
「覚えてない。本当にぼんやりと断片的な感じでしか覚えてない。夢ってそんなもんでしょ?」
そっか…。
茉尋から得られる情報は少なかった。
とにかく今はまた、情報収集をしながらも毎日海にも行ってみよう。
俺はとりあえず、茉尋が仕事に行っている間に水死体についてスマホで調べてみた。
死後2〜3日で角膜が濁り、皮膚が白っぽく変化する。その後2週間ほどで皮膚が剥がれ始め、腐敗が進む。さらには頭の髪の毛が自然に抜け落ち、そのうちに頭蓋骨の一部が露出する。
俺は読んでいる途中でこれが茉尋の身に起きているのかと思うと、気分が悪くなって吐いてしまった。茉尋はもう…
茉尋…ごめんな…。
今まで逃げてばかりで悪かった。
ごめん。
もしかしたら茉尋はもう、海の底に沈んでしまって見つけてあげることができないかもしれない。それでもちゃんと向き合うから。もう逃げないから。
茉尋がこんなことを繰り返すことのないように…何度も何度も消えては戻ってくることがなくなるように…ちゃんと供養するから。
「ただいま」
茉尋が帰ってきた。
「おかえり。お疲れさん」
茉尋はガーベラを手にしながらリビングへと来た。すぐに花瓶を用意し、茉尋が普段使いするアクセサリーなんかが少し置いてある棚の上に飾っていた。
「もらってきたの?」
「うん。明日にでも庭にいる妖に少し力を分けてもらうんだ。確かチョコレートがまだあったよね?」
妖に渡すお礼のことを話しているのだろう。
「チョコも駄菓子もいっぱいあるぞ。この前色々買ってきたから」
茉尋は駄菓子が好きだから、俺は定期的に買うようにしていた。いつ食べているのかわからないけど、そうやって買っておくといつの間にかに減っているのがなんだか嬉しかった。
「おっ。いつもありがとう。じゃあ明日は妖に選んでもらおうっと」
そう言いながら茉尋は、キッチンに置いてあるお菓子BOXの中を楽しそうに眺めていた。
「おおっ、こりゃいいチョイスですぞダンナ」、「むふふ。こんなのを選びよって、お主も悪よのう」、「あ、こんなものまで…一体私をどうする気?」などと声色を変えながらひとりで呟き、俺がどんな駄菓子を買ってきたのか茉尋はチェックしていた。
「お前何ひとりでぶつぶつ言ってんだよ」
「えへへ。嬉しくてつい」
「このお子ちゃまが」
「そう言いながら千明くんは買ってきてくれるんだもんなぁ。優しいなぁ。私に甘いなぁ」
茉尋はニヤニヤしながらそう言っていた。
ご飯を2人で食べ終わると茉尋はテーブルに交換日記を広げ、今日見た妖の絵を描き始めた。俺はそんな茉尋の後ろに座り、抱きしめながら茉尋の肩に自分の顎を乗せ、その絵を眺めていた。
「描きにくいよー」
「大丈夫だから続けろ」
「大丈夫かどうかを決めるのは私だから」
そんなことを言う茉尋を無視して、俺はその体勢のまま茉尋の描く絵を見ていた。
やっぱり茉尋が見えている世界は平和なものだった。
小さい妖の頭に葉っぱや花が生えていたり、手足がついている苔玉のような妖、ミーアキャットに鹿みたいなツノが生えた妖…
どれも可愛らしくて、とても悪さをするようには見えなかった。まるでおとぎ話のような世界だ。
俺は茉尋の肩に顔をうずめるようにすると、さらに茉尋を抱きしめた。
茉尋…いなくならないでくれ…
消えないでくれ…
「苦しいよ千明くん」
茉尋は笑いながらそう言った。
茉尋が戻ってきて2週間が経った頃、また茉尋は体調を崩した。今回も前みたいな感じだった。3日後には顔色まですっかりと悪くなり、とても辛そうに見えた。また苦しいのかもしれない。
何が正解かはわからない。
わからないけど、俺は茉尋に聞いてみた。
「…海に行きたい?」
茉尋は小さく頷いた。
今はもう冬だ。
茉尋に厚着させ、おぶって海へと向かった。
緩く吹いている北風が頬を少し鋭く撫でた。
これから自分がしようとしていることを考えると、俺はすぐ海に着かないようにゆっくりと歩いた。
茉尋はもう、返事をする気力もあまりないようだったから、俺は茉尋が返事をしなくてもいいように、職場での面白かった出来事を話したり、帰宅中の電車の中で見た、親子のほっこりエピソードなどを話していた。
ああ…もう海に着いてしまう…
一旦茉尋を砂浜に座らせると、俺は靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくった。
「…何してるの?」
「もう少し近くで見たいだろ?」
俺がそう言うと、茉尋は力無く微笑んだ。
茉尋を横向きに抱きかかえると、俺は凍えそうなほどに冷たい海の中へ入った。
「…何で泣いてるの?」
茉尋が弱々しい声でそう聞いてきた。俺はそれに答えなかった。
「茉尋…海に入りたい?」
「…よくわかったね」
「茉尋のことならなんでもわかるよ」
俺はそう言って、茉尋にキスをしてからそっとその場に下ろした。
その瞬間、茉尋は消えてしまった。
砂浜に戻ると腰を下ろし、そのまま海を眺めていた。
苦しそうにしている茉尋を見ていられなかった。だから俺はこうした。前に茉尋が苦しそうにしていた時、茉尋が海に行きたがったから…海に入りたがってたから…
だから俺は…茉尋が楽になるようにそうした。
茉尋…
いつまで経っても、俺の涙は止まることなく、静かに流れ続けていた…。




