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寄せては返す波のように〜妻は目の前から消えては何度もまた現れる〜  作者: ことり おと


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海を守る妖


 ある日家に帰ると、茉尋は悲しそうな顔をして洗面器の中をじっと見ていた。なんだろうと思い俺も覗いてみた。


 あー…また俺には見えないモノか…。


 どうやら洗面器の中には妖がいるらしかった。

俺の目には、ただ洗面器に水が入っているだけにしか見えなかった。


「チャッピーなの…」

「チャッピーって、あの海のチャッピー?」

「そう…今日怪我をした状態で浜に打ち上がってたの…」

「人間の仕業か?」

「わからない。”嬉しそうにしてる”とか“怖がってる”とかの感情はなんとなくわかるけど、何があってこうなったかまでは知ることができない。この子は話せないから…」


 茉尋は傷ついた顔をしていた。


「どんな怪我をしてるの?」

「…叩きつけられたような感じ…」


 茉尋の目には涙が溜まっていた。それから「なんでこんな酷いことを…」と、小さな声で呟いていた。

 茉尋が泣いてしまうほどチャッピーは酷い状態のようだった。

 俺の目にはさっきと同様、ただ水を張った洗面器にしか見えない。でも茉尋はその洗面器を心配そうに眺めていた。


 俺にも…見えればよかったのに…。


 そうしたら茉尋の痛みもわかるのに。

茉尋の視えている世界を俺も一緒に視たかった。共感したかった。茉尋の力になりたかった。


 そういえば茉尋は前にこんなことも言っていたな。


「妖は時間の流れも人とは違うんだって。それに妖の中でもそれぞれ時間の流れが違うらしいよ?」


 茉尋はそう教えてくれた。


 みんながみんなそうではないけれど、仲良くしている相手の特徴が体に現れるものもいると言っていた。

 茉尋があまりにも楽しそうに話すもんだから、俺は徐々に妖に興味を持ち始めたんだ。


 あれから数日が経った。

茉尋の懸命な看護の結果、どうやらチャッピーは元気を取り戻したようだった。それは茉尋を見てわかった。

 茉尋は他の妖に色々と相談をし、仲の良い妖からは、妖によく効く薬なんかも分けてもらっていたようだった。


「千明くんっ。チャッピーが元気になったよっ。ほらチャッピー、跳ねてごらん?」


 茉尋はそう言いながら俺に洗面器を見せてきた。すると水面がチャプンと跳ねた。それを見た瞬間、俺の心が踊った。すごい。俺の目には何も映らないただの水面が本当にチャプンと跳ねたのだ。


「すごっ。ちゃんと俺にも見えたよ。よかったな。チャッピーが元気になって。チャッピーもよかったな」


 俺は興奮して茉尋にそう言った。

すると茉尋はさっきよりも喜んでいた。

洗面器の水面も、もう一度チャプンと跳ねた。

 

 よかった。茉尋の元気も戻ってきた。


 この町には言い伝えがある。

この町の海には守り神がいると…。

 他の地域に比べて海の事故が圧倒的に少ないのだ。

 それには理由があった。大昔はよく海が荒れ、漁に出れば遭難し、海水浴をすれば行方不明者が多発していたらしかった。

 でもそれは誰が悪いわけでもない。ただの自然の仕業だ。昔は今よりも情報が少なく、ただただ自然のイタズラで水難事故に人が巻き込まれているだけらしかった。

 そんな時、人々は海に祈った。


 “どうかこんなことが今後続きませんように”と。


 そんな願いを込めて、海に向かって手を合わせる人が増えたという。

 すると、誰が始めたのかはわからないが、砂浜にある大岩を神として崇めはじめる者が現れ、果物などをお供えするようになったようだった。

 それからというもの、年月を重ねるたびに多くの命が助かるようになっていったようだった。

 

 でも蓋を開けてみればこうだった。

崇められた大岩から妖が生まれ、人間から崇められるたびにメキメキと力をつけ、そのうちにこの海を守るようになっていったようだった。

 なぜそれがわかったかというと、昔の人は視える人が多かったからだ。

 視える人はさらにその妖に感謝し、色々な供物を捧げていたようだった。その妖は人々のそんな期待に応えるように海を、人を何百年も守っていたようだった。

 それは今でも変わらない。

この話は語り継がれ、もう視える人が少なくなってしまった現代においても年に一度、お祭りによってその妖を崇める行事がこの町では続けられていた。


 茉尋に初めてこのことを話すと目をキラキラとさせて、その祭りの日を楽しみにしていた。

 でも茉尋はちょうど当日に風邪をひいて熱を出してしまい、祭りには行けなかった。

 その時の茉尋がすごく残念そうに悔しがっていたのを今でも覚えている。

 それももう一年近く前の話だ。

 現在着々と祭りの準備が行われている。


「あーやっとだぁ。やっとお祭りに行けるっ。楽しみだな」


 茉尋が弾けるような笑顔でそう言った。


「屋台も色々と出るから楽しもうな」

「うんっ。わたあめあるかなぁ?」

「あったと思うぞ?」

「やったぁ」


 茉尋は本当に楽しみにしているようで、嬉しそうにそう言っていた。

 鼻歌なんて歌っちゃって。

 今年は目一杯楽しもうな。


 それから毎日茉尋は楽しそうにしていた。


「千明くんっ。あと1週間だねっ」


 茉尋は10日前から毎日カウントダウンをするようにそう言ってくる。もちろん祭りの話だ。


「ああ。そうだな。俺たこ焼き食べたいな」

「たこ焼きならお家でもできるでしょ?たまにタコパもしてるし、もっと屋台らしいの食べようよ」

「屋台で買って外で食べるのはまた別格だぞ?」

「んー…うんっ。それもそうだねっ。あとかき氷と…あっ、りんご飴っ」

「甘いのばっかだな」

「へへっ。だって好きなんだもーんっ」


 本当に楽しそうだな。そこまで大きい祭りではないが、そこそこの町民が集まるから、なんだかんだでいつも賑わってるんだよな。

 都会に比べて娯楽が少ないっていうのもある。そんな町なのに、茉尋は毎日楽しそうにしていた。

 それはきっと妖のおかげだ。茉尋の地元はここから少し遠く、割と栄えていた。だからここよりは妖がもっと少なかったようで、この町に初めて来た時は驚きながらもワクワクとしながら目を輝かせていたことを、今でもハッキリと覚えている。

 

 今の時代、視える人のことを珍しく思う人もいれば、気味悪がる人もいる。時代は変わっていくんだな…と、俺はそう思っていた。


 気味悪がる人が増えたのには理由がある。

 例えば茉尋の地元なんかがそうだ。

駅前には高層マンションやビジネスホテル。ちょっとした商業施設なんかもある。

 小中学校の校庭も狭く、茉尋がこっちの学校の校庭や駐車場を見た時に「ひっろ…」と、思わず呟いてしまうくらいだった。

 そんな栄えた場所には、あまり妖は寄りつかない。どうやら妖にとっては住みづらいんだそうだ。そんなんだからその町自体が妖に興味をなくし、妖のことはまるで昔話のような、童話のような扱いになっていた。

 地域によってこんなにも差があるだなんて…茉尋の話を聞き、俺は軽いカルチャーショックを受けたのだ。


 この町は妖が多い。視える人が少なくなったとはいえ、視える人のことを気味悪がる人はほとんどいなかった。

 だから茉尋も普段から視えることを隠すことはせず、妖と戯れることが多かった。


 最初は茉尋がこっちに来ることをどう思うのか不安だったが、どうやら気に入ってくれたようだ。


「おっ、茉尋ちゃん。また妖と話してたの?」


 近所に住む慎吾しんごことシンちゃんが茉尋に向かってそう言った。

 シンちゃんは俺の16歳上で、俺は子どもの頃からシンちゃんに可愛がってもらっていたから、シンちゃんとは気を遣わない間柄だ。

 今はもうすっかりおっちゃんになってしまったけど、俺が小さい頃はまだお兄さんだった。

 

 今俺たちは庭でバーベキューをしているところだ。


「はい。なんだか匂いにつられて集まって来たみたいで。よかったら慎吾さんもご一緒にいかがですか?」


 茉尋は屈託のない笑顔でシンちゃんにそう言っていた。

 茉尋はいつもそうだ。人見知りをしない性格で誰にでも話しかけるし受け入れる。そんなんだからすぐにご近所の人たちにも気に入られ、よくしてもらっていた。

 茉尋曰く、そうなったのは妖のおかげらしかった。

 茉尋は小さい頃引っ込み思案の人見知りだったそうだ。俺はそれを初めて聞いた時、とても信じられなかった。

 同級生になかなか馴染めず、いつもひとりで公園にいたところ、妖が遊び相手になってくれていたと話していた。

 そんな時、同世代のひとりの女の子と出会ったらしい。その子も視える体質の子だったらしく、妖も含めてよくみんなで遊んでいたと教えてくれた。

 ある日、外で遊んでいると急に雨が降ってきてしまったらしく、茉尋の家に、妖も含めみんなで集まったらしかった。


「お母さーん。雨降って来ちゃったから友達連れて来たよー。おやつとジュースちょーだい」


 茉尋はそう言うと、茉尋のお母さんは玄関まで出迎えてくれたらしかった。

 でも、お母さんの目には茉尋しか見えていなかったようで、隣にいる女の子が妖だとその時初めて気づいたらしかった。

 茉尋はそれに気がつくと、大笑いをしたと言っていた。

 もし俺が茉尋の立場だったら落ち込むんじゃないかと思ったけど、どうやら茉尋はそんなことないらしかった。

 私には妖がいる。人間の友達ができなかったとしても別に寂しくない。もし人間に嫌われたとしても私には妖がいる。そう思った瞬間、何も怖いものはないと子どもながらにそう思ったらしかった。

 それから茉尋は変わったようだった。分け隔てなく誰にでも声をかけ、困っている人がいれば手助けをする。逆に自分が困ることがあれば素直に助けを求め、人間がそれを無視するようなら今度は妖にお願いをする。そうやって生きてきたようだった。

 茉尋は人間も妖も区別をつけず、過ごしてきたと言っていた。


 俺の祖父も視える人で、色々と妖のことを話してくれたが、当時子どもだった俺はそんな話を退屈に感じていた。それは俺が視えなかったから。        

 だから自分が視えないモノの話をされても面白くもなんともなく、そのうちに祖父が妖の話をしても上の空で聞くようになっていた。

 今となってはそれが悔やまれる。もっとちゃんと聞いておけばよかった。そうすれば茉尋を喜ばせることができたかもしれなかったのに。祖父の話をちゃんと俺が聞いて覚えていれば、それを茉尋に話すことができたのに…。

 きっと茉尋はそんな話を喜んで聞いてくれただろう。


「慎吾さん、ビールもありますよ?」

「さすが茉尋ちゃん。お言葉に甘えて頂くよ」


 茉尋とシンちゃんはそんな会話をしていた。

 しばらくすると、近所に住む9歳の琥太郎こたろうが犬のシロを散歩しながら家の前を通った。


「あーっ。肉焼いてるの?」


 琥太郎は目を輝かせながらそう言った。

 茉尋は優しい笑顔を浮かべると「そうだよー。琥太郎くんも一緒に食べる?」と、そう聞いていた。琥太郎は嬉しそうにしながら「食べるーっ」と返事をした。それを聞いた茉尋は琥太郎に付き添い「今から琥太郎くんのご両親に許可取ってくるねー」と言いながら庭から出て行った。


「本当にいい嫁さんをもらったな、千明」

「ははっ。幸せすぎてごめんなさい」


 俺は謙遜することなくそう言った。


 だって…本当にそう思っていたから。

俺がそう言うと、シンちゃんはハハハッと笑いながら「惚気やがって」と言い、俺の背中をバシバシと叩いた。

 遠慮なく背中を叩かれ少しだけ痛かったが、俺からしたらそれは幸せの痛みだった。

 

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