好きになった人
全てが順調だ。
最愛の人に巡り逢え、妻にすることができた。
そう思っていたのに…
俺は砂浜に座りながら、ザザァ…という波の音を聞いていた。
目の前には夕陽に染まった海が、とても穏やかにさざなみ立っていた。
ー「千明くんっ。今日ね、こんなことがあったんだよっ」ー
楽しそうに話す記憶の声が頭の中で響く。
目の前の景色はとてもキレイなのに、体は汗ばみ不快感を覚えた。
いつもなら微笑ましく思う周囲の子どもの笑い声や、家族なんかの話し声、そんな声は耳障りに思えた。
うるさい。
黙れ。
俺を1人にしてくれ。
あー気持ち悪い。肌に砂がへばりついて気持ち悪い。
千明くん。
千明くん。
千明くん…。
俺の名前を、そうやって何度も呼ぶ声が頭の中で響く。
思わず目頭が熱くなる。
返して…。
なあ…返してくれよ…俺の愛する人を…。
「ねえねえ、千明くん。今日ね川に河童がいたんだよ」
妻の茉尋がそう言った。
別に茉尋の頭がおかしいわけではない。
どうやら子どもの頃からそういったものが“視える”体質らしかった。
“そういったもの”というのは、いわゆる“妖”と呼ばれるモノだ。
「その河童はなにしてたんだ?」
「それがね、あははっ。きゅうり食ってたっ」
茉尋は楽しそうにしながらそう教えてくれた。
昔は多くの人が妖のことが視えていたようだ。
それでいて人と妖は仲良く暮らしていたらしかった。
でも今となっては何が原因かはわからないが、“視える”人がめっきりと減ってしまったようで、俺の周りには妻の茉尋と、既に亡くなっている祖父のみが視えていた。
この町のどこかにも、まだ視える人はいるようだと噂では聞いたことがある。
俺が生まれ育ったこの町は、昔から多くの妖が住み着いていると言われていた。
ここは海が近く、川や林、野原なども多く自然豊かなところだ。
どうやら妖は、こういった自然が多いところを好むらしかった。
茉尋曰く、妖は大地や自然から生まれることが多いと言っていた。
花から生まれるものもいれば、木から生まれるものもいる。そうやって生まれた妖は年を重ねていくにつれ、姿が変わるものもいると教えてくれた。もちろん姿が全く変わらない妖もいるんだそうだ。
時間の流れも人とは違う。妖の中でもそれぞれ時間の流れが違うようだった。
みんながみんなそうではないけれど、仲良くしている相手の特徴が体に現れるものもいると言っていた。
例えば猫と仲良くしている妖は、猫耳や尻尾が生えたり、すずめと仲良くしている妖は翼が生えたりもするんだそうだ。
何百年も生きている妖の中には、人間の姿に近くなっているものもいるらしかった。相当な力がないと妖は人間の姿にはなれないと、以前妖からそう教わったと茉尋は言っていた。
それを聞いた時に合点がいった。
この前、茉尋と2人で商店街を歩いていると、急に茉尋が立ち止まり、何もない空間に向かって話し始め、それから俺に声をかけた。
「前に話した“サミダレ”さんだよ」
茉尋はニコリと楽しそうにしながら、誰もいない空間に俺のことを紹介していた。
“サミダレ”さんとは、最近茉尋が仲良くなったご近所さんだとこの前聞かされたばかりだった。「色白で、すごくキレイな人なんだよ…」と、そう話してくれていた。
でも…残念ながらその姿は俺には見えなかった。
「茉尋ごめん。俺には見えない。サミダレさんもごめんね」
俺がそう言うと、茉尋は驚いた顔をしていた。
また何もない空間に茉尋は話しかけると、俺に向かって「ごめんごめん。めっちゃ人間の見た目だったから、サミダレさんが妖だと思ってなかったよ。はははっ。勘違いしちゃった」と、笑って言っていた。
そんなに区別できないものなのか。それほど人間の姿をしている妖がいるのか…。
俺たちはそのまま散歩を続け、海へと向かった。いつもの散歩コースだ。
茉尋は海が大好きだ。茉尋は靴と靴下を脱ぐと、砂浜を素足で歩きだした。
「チャッピー、いる?私だよー。茉尋だよー」
茉尋はそう言いながら足首まで海に入り、何かに声をかけ始めた。
一体何に声をかけているかというと、この前助けた海に住む妖に対してのようだった。
“チャッピー”とは、茉尋が付けた名前だ。
この前ひとりで海を散歩していた茉尋は、妖を助けたと言っていた。砂浜に打ち上がって苦しそうにしているところを、海に戻してやったらしい。
それ以降、そのチャッピーとやらは茉尋に懐き、海に行くたびに姿を現してくれるのだと教えてくれた。
因みになぜ“チャッピー”かというと、茉尋が海に行くたびに“チャプチャプ”と水音をたて飛び跳ねるからだそうだ。
「チャッピー、いるー?」
また茉尋の声が聞こえてきた。
「あははっ。今日も元気だねっ」
どうやらチャッピーが来たようだった。
チャッピーは言葉を話せないけど、意思疎通はなんとなく取れると前に茉尋が言っていた。飼い犬みたいなもんだと。
でもさっきのサミダレさんのように、ちゃんと言葉を交わせる妖も多くいるらしい。それとは逆に全くコミュニケーションがとれない妖もいるのだそうだ。
本当に多種多様なんだな。茉尋の話を聞いて俺はそう思った。
妖は皆、好き勝手に生きているようだった。
茉尋は妖から好かれ、散歩をしては近づいてくる妖に挨拶をし、困っているモノがいれば手助けをしてやっているようだった。
茉尋は毎日楽しそうで、俺はそんな茉尋の姿を見るのが好きだった。
茉尋との出会いは大学だ。
俺は一人暮らしを経験したくて他県の大学に通うことにしていた。
茉尋と出会ったのは大学2年の頃だった。
確かあの時は…
「しーっ。ついて来ちゃダメ。今から私授業なの。君はおしゃべりだからついて来ちゃだめ」
俺は大学のキャンパス内をひとりふらふらと歩いていると、ふいにそんな声が聞こえてきた。
茉尋は中庭にある、花壇に向かって小声でそう話していた。
変なやつ…。
茉尋への第一印象はこうだった。それでもなんでか茉尋のことが気になり、そっと聞き耳を立てながらその姿をこっそりと眺めていた。
「えー?本当に?ちゃんと静かにしていられるの?」
どうやら“なにか”と会話をしているようだった。
「本当かなぁ?約束守れなかったら摘んでポイってしちゃうからね?…うん…うん…そうだよ?約束守れなかったらポイだよ?」
俺は茉尋の目線の先を、目を凝らしてじっと見た。
…やっぱりなにもいないよな…。
不思議ちゃんなのか?そう思いながらも、“なにか”と楽しそうに話している茉尋から目が離せなくてずっと見ていた。
「え?どこどこ?」
茉尋は急にそう言いながらキョロキョロし始め、俺と目が合った。すると茉尋が頬を少し赤くした。
「あっ、えっとそのっ…」
先にそう声を出したのは俺の方だった。急に目が合ったことに俺は慌ててしまってそんなことを口にした。それは茉尋も同じだった。
「あのっえっと、これは…」
そう言いながら茉尋は色々と話してくれた。
茉尋は妖が見えるということ。今は花の妖とおしゃべりをしていたということ。それからその妖が“人がコチラを見ているよ”と教えてくれ、周りを確認したところ俺と目が合ったと、そう教えてくれた。
少し恥ずかしそうにしながら話す茉尋の姿をかわいいと思った。それからハニカミながら「私が妖を視えることは、内緒にしておいてくれませんか?」と言っていた。
そんな俺たちは簡単な自己紹介をお互いにし合った。
「俺は2年の一ノ瀬千明」
「あ、私は1年の森川茉尋です」
こんな感じで俺たちは出会った。
俺が茉尋を好きになるのは早かった。すぐに茉尋に惹かれ好きになり、それから夢中になった。
出会って1ヶ月で茉尋に告白をしたけど断られた。理由はまだよく俺のことを知らないからだった。そんな理由だったもんだから俺は特に落ち込むこともなく、毎日のように茉尋に連絡をし、大学でもしょっちゅう茉尋の姿を探しては声をかけ続けた。
遊びにもたくさん誘い、月に1回は茉尋に告白をしては断られ、そんな感じで半年以上が過ぎた。
7回目の告白でやっと茉尋からOKがもらえた。
それは水族館デートの時だった。
まだデートの最中だっていうのに、俺は我慢できなくなり告白をしてしまったんだ。茉尋があまりにも楽しそうにしていたから手を繋ぎたくなった。たったそれだけの理由で、シチュエーションやらなんやらを考えずに告白をした。
たぶんフラれ慣れているっていうのもある。もしも今日フラれたとしても次がある。俺はそう思っていた。だって茉尋はこんなにも楽しそうにしてるんだ。俺と一緒にいることがイヤじゃないことくらいはわかってる。10回でも100回でも、俺は茉尋に告白し続けようと思っていた。
茉尋からOKをもらうと、俺はその場で飛び上がり大喜びをした。茉尋はそんな俺を見て、お腹を抱えながら大笑いしていた。
「あははっ。今めっちゃ飛んだっ。すごっ」
「それほど嬉しいんだよ。茉尋も俺のことが好きってことなんだよな?好きになってくれたってことなんだよな?」
「はいっ。好きになりましたっ」
茉尋はニコリとしながらそう言ってくれた。
そんな茉尋のことを俺は抱きしめた。
「ちょっとこんなところでやめてよ」
茉尋はそう言いながらも抱きしめ返してくれた。
それからずっと握りたかった茉尋の手を取った。温かくて柔らかくて、小さい手だ。そのまま手を繋ぎ、水族館の中をあちこちと見ながら回った。
でも俺は、その後に見た海の生き物たちはあまり覚えていなかった。楽しそうに水槽を眺める茉尋ばかりを見ていた。それに茉尋の手を握っている右手に神経が集中してしまって、それどころではなかったのだ。まるで中学生だな…と、その時の俺は心の中でそう思っていた。
あの時は本当に幸せだったな。
ま、今の方がもっと幸せだけど。
散歩から帰り、目の前で美味しそうに夕食を食べる茉尋を見ながらそんなことを思い出していた。




