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寄せては返す波のように〜妻は目の前から消えては何度もまた現れる〜  作者: ことりおと


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11/38

11 繰り返す


 交換日記はあっという間に1冊を終え、2冊目に突入していた。理由は茉尋がたくさん絵を描くからだ。


 大学時代にも何度か、どんな妖がいるのか教えてもらうために描いてもらうことがあったけど、数枚程度だった。

 その頃の茉尋は視えることを隠したがっていたからな。俺から聞けば話してくれるけど、茉尋から話してくることはなかった。

 

 こうやって茉尋から色々と教えてくれるようになったのはここに来てからだ。

 

 前から屈託なく笑う方だったけど、こっちに来てからもっと茉尋は輝いて見えた。

 前とは違って視えることを隠さない茉尋。周りを気にせず妖に挨拶をする茉尋。

その日に会った妖の話を楽しそうに俺に話す茉尋。

 茉尋がこうなったのはここに来てからだ。



 茉尋はちゃんと俺との約束を守り、海には行かなかった。


 でも…


 次第に茉尋は海に入りたいと言い出した。

確か前もそうだった。あの時は結局、寒過ぎて入る気にならないと言っていたが、今はもう暖かくなっている。

 俺は不安になった。また茉尋が消えてしまうのではないかと心配する日が多くなっていた。


「…風邪ひいたかも…」


 茉尋は朝起きるとそう言った。茉尋のおでこに手を当てみても熱はないようだった。


「どう具合が悪いの?頭痛い?だるい?」

「…だるい…」

「わかった。今日はバイト休みな?家でゆっくりしてて」


 こんな日が多くなった。茉尋が体調を崩すことが増えた。最初は季節の変わり目だとか、5月だからかなとか思っていた。なのに、日に日に茉尋は弱っていった。


 あれから茉尋の体調はどんどんと悪くなっていった。

 なんの薬を飲ませていいかわからなかったから、取り敢えず総合風邪薬を飲ませてみた。でも良くなることはなかった。

 茉尋が“何者か”わからないから病院へ連れて行っていいものか悩んだ末、結局連れて行くことにした。ちゃんと受診することができ安心したが特に悪いところはなく、ストレスなんかの精神的なことからくるものじゃないかと言われた。


「茉尋…何か悩みでもあるのか?」

「…そんなのないよ」

「でも先生はどこも悪くないって…」

「…海に…海に行きたい…」


 海に行ったら茉尋は消えてしまう。

でも今目の前の茉尋は辛そうにしている。

 波に…海に触れなければ消えないのだから、試しに連れて行ってみるか…。


 俺は茉尋をおぶると、ゆっくりと歩きながら海へと向かった。

 海に着き、砂浜に茉尋を下ろすと俺は後ろから支えるように自分の脚の間に茉尋を座らせた。


「どう?気分転換になる?」

「…うん。気持ちいい」

「茉尋は本当に海が好きだな」

「うん。好き」

「なんでそんなに好きなの?」

「…キラキラしてるの…海にはたくさんの妖がいて…海の上にはクラゲみたいなのが空を飛んでたり、尻尾の長い小さいイルカみたいなのがぴょんぴょん跳ねてたり…」


 茉尋が見る世界…


「今度さ、茉尋が見てるこの海の風景を描いてよ。俺にも見せて?茉尋が見てる景色を」

「うん…元気になったらあのノートを持ってここに来て、スケッチしてみるよ」


 そう言う茉尋は、もう今にも死んでしまいそうに見えた。それほど茉尋は憔悴していた。


 なんで…


 どうして…


 なんで茉尋はこうなってしまったんだ?


「千明くん…」

「ん?どうした?」

「…海に入りたい…」


 海に…

 そんなことをしたら茉尋が消えてしまう。


「それはだめ。今お前は具合悪いんだぞ?こんな状態で海に入ったら余計に具合悪くなるだろ」

「…お願い…海に…」


 茉尋は何度もそう言った。


 やだよ…。


 そんなことしたくない。


「また今度な」

「…お願い…苦しいの…」


 苦しい…?


「いつから?」

「…ずっと…」


 ずっと…


 茉尋はずっと苦しい思いをしてたのか?

確かに辛そうには見えた。具合が悪いようにももちろん見えてた。でも呼吸は乱れていなかったから、ただ体がだるいだとか、力が入らないとか、そんな感じなのかと俺は思っていた。


「…お願い…海に…」


 血の気の引いた茉尋がそう言うもんだから、俺は靴と靴下を脱いだ。それから茉尋を横向きに抱きかかえ、海へと向かった。


 穏やかな波。

 

 浅瀬に足を踏み入れ俺はたたずんだ。


 寄せては返す波が、俺の足の下の砂を攫っていく。


 ここで俺がしゃがめば茉尋は海に触れる。

 でもそうなればきっと茉尋は消えてしまう。


 それは嫌だ…。


「茉尋…これが限界だ」

「…お願い…」

「だめ。お前は今体調がよくないんだぞ?それなのに濡れたら余計に悪化するだろ?」


 俺がまたそう言うと茉尋は目に涙を溜め始めた。


「千明くん…」


 茉尋はそう呟いてから強引に俺から離れた。

 

 その瞬間、茉尋の足が海に触れ、また泡となって消えてしまった…。


 やっぱり…


 やっぱり茉尋は海に触れると消えてしまうんだ…。


「茉尋…また戻ってきてくれるよな…?」


 俺はその場に膝をつくと、思い切り叫んだ。


「あ゛ーーーーーーっ」


 これで3度目だ。

俺は3度も茉尋を目の前で失った。

また胸が張り裂けるほどに痛んだ。

 

 なんなんだよもう…


 勘弁してくれよ…


 その日は1日中浜辺で過ごした。

 茉尋がまた来ることを願いながら…。


 茉尋が消えてしまってから1週間が経ったのに、茉尋はまだ現れてはくれなかった。

 

 もしかしたらもうこのまま…

 俺はそう思い始めていた。

 確か1度目に茉尋が海に飲まれた時は約3ヶ月ほど経ってから茉尋は戻ってきた。でも2度目は次の日に戻ってきた。


 3度目は…?3度目はあるのか?

 もう1週間が経つというのに茉尋はまだ戻ってきていない。もしかしたらもう来ないのかもしれない。

 交換日記を見返してみると、ちゃんと茉尋が描いた絵や文字が残っている。それがこの前まで茉尋がいたことを証明していた。俺はその絵や文字にそっと指先で触れた。


 この前まで確かにいたんだよな…


 茉尋はちゃんといた…


 戻ってこい。

 早く戻ってこい…。


 気がつけばまた1週間過ぎていた。


 茉尋が消えてしまってから2週間。

 俺は茉尋が戻ってくるのをずっと待っていた。

 大丈夫。きっと茉尋は戻って来る。


 なんの根拠もないのに俺はそう思っていた。


 日曜日。俺は茉尋が働いていた花屋に行った。


「…千明さん…」

「こんにちは。ガーベラをください」

「茉尋ちゃん、ガーベラ好きでしたもんね」


 小百合さんはそう言った。

 “好きでしたもんね”と、憂を含んだ表情ではっきりと過去形でそう言った。

 その口ぶりで茉尋がもうこの世に存在しないことを改めて実感した。


「あ…あの…」


 小百合さんは俺をチラリと見ながらそう声をかけてきた。


「はい」

「去年の夏…でしたよね?」


 茉尋が行方不明になった時のことを言っているのだろう。


「ええ。あと数ヶ月で1年になります」

「…そう…ですよね…」


 小百合さんは少し困惑した表情になった。

 何か言いたげな様子だったが、結局当たり障りのない会話が少し続き、それで終わった。


 このまま戻ってこなかったらどうしよう。

 家に帰ると交換日記を眺めながらそう考えていた。茉尋はこの前までちゃんと存在した。それはこのノートが証明している。


 茉尋…戻ってこい。帰ってこい。

 茉尋が消えてしまってから俺はまた、毎日朝と晩の2回、海へと行っていた。


 茉尋?どこにいる?帰ってこい。


 心の中で何度もそう呟きながら波打ち際を歩いた。


 チャッピーは元気だろうか…。

 俺はふとそう思い、いつも茉尋がチャッピーと遊んでいた辺りまで戻ると口を開いた。


「チャッピー。いるか?お前は元気か?」


 そう言いながら水面をじっと見てみた。「チャッピー。俺はお前の姿は見えないけど、跳ねてくれたらいることはわかるぞ?」と、そんなことも言ってみた。


「チャッピー。いるなら跳ねてくれ」


 すると水面がチャプンと不自然にしぶきを立てた。

 

「お前なのか?チャッピーなのか?」


 俺がそう声をかけると、またチャプンと水が跳ねた。

 そうか…そこにいるんだな。元気そうでよかった。


「ごめんな、俺だけで。またお前に会いに来るから、気が向いたら今日みたいにまた来てくれよな。俺…寂しくて仕方がないんだ。だから…」


 そこまで言うと涙が出てきてしまった。今まで“寂しい”だなんて声に出して言ったことがなかったから…だから急にその感情が強烈に湧き上がってきてしまった。

 俺はその場で崩れ落ちるように膝をついた。

 穏やかな波が肌を撫でていく。

 

 茉尋…


 偽物でもいい、幻でもいい…

 頼むから帰ってきてくれ…


 しばらくは動けずに静かに泣いていた。


 あ…チャッピー…

 そういえばチャッピーは大丈夫だろうか。少し冷静になるとそのことが気になった。急に俺が膝をついたりしたもんだから、チャッピーに怪我がないか心配になってしまった。


「チャッピー?大丈夫か?俺で怪我しなかったか?」


 すると目の前で水面が跳ねた。

 まだ…そばにいてくれたんだ…。

 

「驚かせて悪かったな。それにそばにいてくれてありがとう。少しだけ元気が出たよ。また来るからな」


 俺がそう言うと、また水面がチャプンと跳ねた。


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