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時雨の答えを聞いた盃は、ただ目を細めこう言います。
「……そうか」
とても悲しげな笑みでした。時雨の答えは、盃の求めている答えではなかったようです。時雨は、萎れかかった薔薇の花びらを指で弄びながら付け加えます。
「しかし、他人の目からは、私はあなたに相当な恨みを持っていると見えるのでしょうね」
今日のこの護衛の人数がその証拠でした。時雨が盃に対して恨みを抱いていると思っていなければ、隊員一人が見舞いに訪れただけでこんなに警戒をするはずがありません。
「そうだろうな。だが、私は後悔していない。後悔するべきではないんだ。私が全て望んでやったことなのだから」
「辛くはありませんか」
「辛くないといったら嘘になるな。死の淵に立たされた今になって、ふと思うことがある。もし、お前の父親である榊が生きていたら、まだ生きられたんじゃないか。乾とも今のような関係にならずに、今でも馬鹿なオヤジ三人組で、昼夜問わず飲み明かせたんじゃないかってな」
時雨は、記憶の片隅にある父親という存在を思い浮かべてみました。しかし、あまりに幼い頃の記憶であるため、いつも顔だけが思い出せませんでした。母親に関しては、死んだのか、生きているのかもわかりません。気づけば、時雨は榊と二人だったのです。
そんな榊の親友であった盃と乾。榊が死んで、盃が幼い時雨に代わって組織をまとめ、乾が時雨の教育者となりました。しかし、時雨が成人した後も盃は総指揮官の座から退くことはありませんでした。
それが気に食わなかった乾は、いつしか盃と仲違いをするようになり、やがて犬猿の仲にまでなってしまったのです。
時雨は幼い頃から自分の存在意義について常々考えていました。生きていてよかったと思ったことが一度もなかった境遇が、時雨にそれを考えさせていたのです。しかし、どれだけ消えてしまいたくなっても、時雨は生きなくてはなりません。
時雨にとって、病で死を間近に控えた盃は羨ましいことこの上ありませんでした。
「すまん、忘れてくれ。あまりにも調子のいいことを考えてしまった」
盃は自嘲しながら、また深く息をつきました。
「私は最期までこの共存主義陰陽隊の総指揮官でいるつもりだ。今更こんなことを考えたところで、どうしようもないことだな」
しばらく、沈黙が続きました。その沈黙を破ったのは、時雨でした。
「私からも、あなたに聞きたいことがあります」
「……お前が質問とは珍しいな。言ってみろ」
「なぜ、今になって妖の捕獲令を発令されたのですか」
乾が妖を保護していると隊員が察していたくらいならば、恐らく、盃はその事実を知っていたことでしょう。なぜ、わざわざ乾を陥れるようなことをしたのか。時雨には盃の考えが理解できませんでした。
「妖の捕獲令については、前々から考えていたことだ。既に捕獲令を発令している他主義陰陽隊は、共存陰陽隊にとって脅威となるだろう」
「ですが、他主義陰陽隊はあの時からこれまで攻撃を仕掛けてきたことはありませんでした」
今から約二十年前。共存陰陽隊は、他主義陰陽隊から集中攻撃を受けたことがありました。時雨の父親も、その時の戦いで命を落としたのです。互いに多くの犠牲を払ったこの戦い以降、他主義陰陽隊は共存陰陽隊に攻撃を仕掛けてくることはありませんでした。
しかし、今回の事件では群青色の軍服を着た隊員が目につきました。深緑色が共存主義を指す色であるように、群青色は従順主義だという証です。傍から見れば、盃の病状が外部へと漏れ、共存主義が混乱している時期を狙ってけしかけてきたのだと取れます。
だとしたら、どこからその情報が漏れたのか。今回の妖捕獲令の時期といい、襲撃のタイミングといい、あまりにも全てが合致しすぎているのです。




