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琴音たちが出て行ってから一時間近くが経った頃、時雨は徒歩で乾が入院していた市民病院へ向かいました。途中、忘れずに途中の花屋で見舞いの花束を買って行きます。
病院に着いたのは、午後二時少し前でした。時雨の読みどおり、地下病棟には一時間以上かけて本部からやってきた多くの本部護衛が盃の護衛を担当していました。
報告があってからそう時間は経っていないはずであるにも関わらず、これだけの人数が集まるところからして、本部護衛の盃に対する異常なまでの忠誠心が窺い知れます。
盃は乾と同じく、氷月が院長を務める病院に入院をしていました。それを知っている者はこの病院内で働く医療部の一部の隊員と本部護衛、娘の輝夜に時雨という限られた人間のみでした。
盃の病室は、地下五階の中でも普段は人気の少ない場所にありました。その病室に決めたのは、病院内の隊員たちに勘づかせないための氷月の心遣いからでしたが、病室の周りに本部護衛がひしめき合っている今となっては、そんな心遣いも無駄なようでした。
「ご苦労ですね」
地下五階のエレベーターから盃の病室まで、十名ほどの本部護衛を見掛けました。当然の如く、盃の病室前にもまるで牛頭馬頭のように護衛の二人が立ちはだかっています。時雨はその二人に、表面上だけのねぎらいの言葉を掛けました。
「恐れ入りますが、武器類はこちらでお預かりします」
時雨は言われたとおり、着流しの袖から拳銃と護符を取り出して一人に手渡しました。後は自ら袖を逆さに振って、他になにも入っていないことを主張します。
「懐にもありませんか」
「懐はこの財布のみですよ。いっそ全裸にでもなりますか」
「……結構です。どうぞ」
時雨は軽く肩を竦め、病室へと踏み込みました。しかし、病室にも四名の護衛がおり、その姿を見た途端、さすがの時雨も顔を引きつらせました。
よほど自分には信頼がないらしい。本部護衛を引き付けることが目的であるため、それはそれで好都合であるものの、心の内は複雑でした。
「時雨と二人で話がしたい」
そう言ったのは、ベッドに横たわる痩せ細った男――盃でした。盃にこう言われてしまったからには、本部護衛も従わざるを得ません。四人は時雨を横目に去って行きました。
「ご無沙汰しております。体調はいかかがですか」
時雨は盃の枕元にある花瓶に手を伸ばしました。そこには、既に萎れかかったピンク色の薔薇の花束が飾られています。ピンクに薔薇は、盃の娘である輝夜の好きな物でした。時雨はそのピンクの薔薇に加えて、自分が買ってきた花束を生けます。
「あまりいいとは言えんな」
「そうですか」
「近況はどうだ」
「乾とその部下である龍壬が捕らえられました。乾は妖を長年本部に無断で保護していた罪で、龍壬はそれに加えて反逆罪です」
盃は眉間についた深い皺を、更に深くして息をつきました。顔色は土のようで、あまりよくありません。この顔色が、死を間近に控えた人間のものだということを、時雨は知っていました。
これを、死相というのかも知れない。時雨は盃を見ながら漠然とそんなことを考えていました。
「……時雨、お前と話すのはこれが最後になるだろう。だから、今、お前に聞きたいことがある」
「はい」
「お前は、私を恨んでいるか」
時雨は哀愁漂う表情で自分を見上げる男を、感情の籠らない目で見下ろしていました。そして、率直に自身の思いを述べます。
「さあ、どうでしょうか」
時雨は最早この男を恨んでいるのか、敬っているのかわかりませんでした。この男のために自分をどれほど犠牲にしたのか、この男にどれだけのものを与えられたのか。時雨の中の天秤は、もう完全に壊れてしまっていました。




