7
――夕暮れ。
西に位置するこの部屋は、夕暮れ時になると電気の明りなど必要ないくらいの夕日が入り込みます。黄金色の光が差し込む部屋で、外出から帰ってきた琴音は一人、あるものを凝視していました。
「ここから突入して……まずはこっちに走って……」
琴音は時雨から借りた拠点内の地図を眺め、幾度となく自分が取る行動を確認していたのです。薙斗と買い物に出掛けて帰ってから数時間、休むことなくこれを続けていました。
「まだ見てるの」
と、居間でテレビを観ていた静は、部屋に戻り未だ地図と睨めっこを続けている琴音に、呆れ半分感心半分というような口調で声を掛けました。
「あんた、勉強じゃそんな熱心に教科書開いたことなかったわよね」
「勉強しなきゃ死ぬわけじゃないもん」
「そう、ね」
夕日に照らされた静の表情は、少しだけ陰りがあるように見えました。
「気をつけなさいよ。あんた、ドジなんだから」
「なにそれ! 他に言うことないの」
琴音は不満げに唇を突き出します。静はそんな琴音を見て微笑みました。その笑みはこれまでに見たことがあっただろうかと疑うほど優しく、琴音は思わずまじまじと静の顔を見つめてしまいます。静はそんな琴音の頬に小さな手を添えて、こう言いました。
「これだけは言っておくわ。――あんたが思ってる以上に、自由って重いものよ」
「……え? それって――」
静の言葉の真意がわからなかった琴音は、小さく聞き返すも、その声は部屋の襖が開かれる音にかき消されてしまいました。
部屋に入ってきたのは、乾でした。乾は深緑色の軍服に身を包み、頭には立派な軍帽を被っていました。いずれも琴音と薙斗が帰った後、乾が薙斗を連れて自宅に戻って取りに行ったものです。
乾一人では万が一襲撃にあった際、心許ないと案じて薙斗が自分から乾について行ったのですが、幸いなことに何事もなく、薙斗の杞憂に終わったのでした。
琴音の目に入らないよう、家の押入れの奥に隠されていたという乾の軍服の胸元には、陰陽魚太極図を模した階級バッジが光っています。琴音の目には、軍服姿の乾が歴戦を経験してきた軍人のように映りました。
「琴音、そろそろ出るぞ」
「あ、うん。――パパ、軍服姿よく似合ってる」
「そ、そうか? ――まさか、お前にこんな姿見せる日が来るとはな」
娘に褒められて嬉しい反面、琴音を陰陽隊に巻き込んでしまったこともあり、乾は複雑そうな表情を浮かべます。
父のそんな表情を見た琴音は、無理を言って制圧作戦の参加許可を貰っただけに、やはり少なからず胸が痛みました。それでも乾の不安を払拭しようと、琴音はにっこり笑って見せます。
「あたし、ちゃんとやってみせるから。そんなに心配しないで」
「……ああ」
妙にしんみりとした空気が部屋に漂い出すと、縁側の方からその空気とは不釣り合いの明るい声が聞こえて来ました。
「準備はできていますか。――おや、元師匠殿、軍服だとやはり貫禄が出ますね。ついでにお腹も少し出られましたか」
そんな明るく乾に対し嫌味を放つ時雨も、深緑の軍服に着替えていました。しかし、その軍服は乾とはデザインが違い、乾のものと比べると少しだけ装飾が豪奢です。胸の階級バッジも、陰陽魚太極図ではなく五芒星を模したものがつけられていました。
「……お前、少しは空気をだな――」
「時雨さんの軍服姿かっこいいです! その銀縁眼鏡も相まって天才軍師様みたいです!」
時雨の姿を見るなり、琴音は乾の台詞を遮って時雨に駆け寄り、目に見えない尻尾をぶんぶんと振って時雨の軍服姿を褒めちぎり始めます。乾は娘の自分に対する態度との違いに舌打ちをしました。静はそんな乾に、冷静に言葉を掛けます。
「妬かないの」
「妬いてねえし! 腹も出てねえし!」
そう憤慨しながらも、乾の視線は部屋の姿見に映る自分の腹に向いていました。




