15
「琴音」
と、時雨の部屋で居残ることを決めた静の、凛とした声が聞こえます。静に視線を向けると、静は真っ直ぐと琴音の顔を見つめていました。
「あんたは、あんたのやりたいとおりにやりなさい。龍壬さんだって、それを望んでたんだから」
「……龍壬さんが?」
意外な名を聞いて、琴音は目を丸くしました。
「龍壬さんはね、あんたに組織のことを話そうとしてたのよ。それで、あんた自身に道を選ばせようとしてた。こんな形で組織について知られたけど、あんたは現世に残るって決めたんでしょ。なら、現世でなにが行われてるのか、それを見る権利はあるはずよ」
現世を見る権利。琴音は静の言葉を自分の中で反復します。
そうだ、あたしはこの世界に残ると決めた。なら、その世界の今を見届けなくてはいけない。たとえそれが、パパの望まないことだったとしても。
琴音はぐっと拳を握ると、静の目を見つめ返しました。
「行って来る」
「行ってらっしゃい」
琴音は縁側から、二階へと続く階段に向かって力強く足を踏み出しました。
すると、入れ違いで湯呑を乗せた盆を持った涼香が襖を開けて時雨の部屋へと入って来ます。
「よろしかったんですか」
「よくも悪くも、あの子が決めることよ」
「いいえ、あなたのことです。あなたは、行かなくてよろしいんですか」
「……ええ。わたしは、行かないと決めたのよ」
迷いの見られない静の目を見て、涼香は優しく微笑みます。
「乾さんのこと、慕っているんですね。――どうぞ」
涼香は静の向かいに腰を下ろすと、静の目の前に湯呑を差し出しました。静は軽く礼を述べて、それを一口飲みます。外の喧騒など感じさせないような、不思議な時間が二人の間に流れました。
「別にね、あの人自身に執着しているわけじゃないのよ。犬は人につき、猫は家につくなんて言うでしょ。きっと妖は、人間の魂につくんだわ」
必死に取り繕おうとする静の様子を見て、涼香はくすくすと笑います。
「でも、あながち間違ってはいないのでしょうね。琴音ちゃんは、時雨から清才の面影を必死に探していたもの」
「時雨はさぞかし居心地が悪いでしょうね」
「清才の血族として生まれた呪いだとでも思って、受け入れてるんじゃないかしら。――ただ、清才の血族だとしてもやっぱり前には出たがりませんね」
「次期総指揮官で内輪揉めしてる今、前に出たら清才の唯一の血族である自分が担ぎ出されるんじゃないかって思ってるんでしょ」
「それを盃様もよくは思わないでしょうしね」
涼香は、時雨が盃の命令に背くようなことは決してしないことを知っていました。だから時雨は、盃が次期総指揮官に推薦した輝夜に盾つくような真似はしないのです。しかし、それが時雨の本心かどうかは測りかねました。
どれだけ近くにいても、それだけが見えてこないのです。しかし涼香自身、時雨の本心を知ることに抵抗を感じていました。涼香にとって、時雨は憎むべき対象なのです。時雨を憎むこと、それが涼香の心の支えでした。
もし、本心を知って時雨を憎めなくなってしまったら……涼香はそれがなにより恐ろしいのでした。
と、一発の銃声が、時雨の部屋に響きます。
「始まったみたいね」
静は音が聞こえる方へ視線を向けます。時雨の部屋が位置する西側のようでした。しかし、涼香はそれに対し反応を見せません。
犬は人につき、猫は家につき、そして妖は人間の魂につく。だとしたら、人間は一体なににつくというのだろう。涼香の頭の中には、そんな疑問が浮かんでいました。
「涼香さん?」
呆然としている涼香の顔を、静が不思議そうに覗き込みました。涼香は静と目が合うと、その疑問を即座に頭から排除します。そんな答えの出ない疑問を考えあぐねるより先に、するべきことがあるはず。
涼香は静に笑顔を浮かべると、すっと音もなく立ち上がりました。
「ごめんなさい。わたし、武器の手入れをしてきますね」
「それくらいなら、わたしも手伝うわよ」
「いいえ、きっと乾さんは静さんに武器なんて持たせたくないと思うから。暇でしょうけどこの部屋の物、漁ってて構いませんから、ここで待っていてください」
「……はあ」
「それじゃあ、行ってきますね」
静は足早に時雨の部屋を出て行く涼香の背を無言で見送ります。その間にも、銃声は激しさを増していました。
「じゃあ、お言葉に甘えて漁ろうかしら」
銃声鳴り響く中、静は手始めに時雨の本棚を漁り出しました。




