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静と涼香が会話をしていた頃、琴音は二階へと上がり時雨の姿を探していました。いるとするなら、南側にある四つの空き部屋のどれかです。
それぞれの空き部屋に視線を向けると、思ったとおり南西の洋室の扉が、まるでそこへ誘い込むかのように開けられていました。しかし、部屋の電気は点いていません。
暗い部屋の中を覗き込むと、西側の窓と南側の窓を開け放ち、その南側の窓の前に座している時雨の背が見えます。時雨はこちらを見向きもせず、声を掛けてきました。
「来ましたか」
「……あたしは、この現世に残るって決めたんです。だから、この世界で起きてること、ちゃんとこの目で見ておきたいんです」
「そうですか」
時雨はそこで琴音の方を向き、手に持っていたワイヤレスイヤホンを琴音に差し出します。
「君にこれを渡しておきましょう。使うかどうかは、君に任せます」
琴音は無言で時雨からそれを受け取ると、迷わず電源を入れて耳に装着しました。それから、落ち着きなく部屋の周りを見渡します。
「部屋の電気、点けないんですか?」
「点けたら敵に位置がばれますからね。銃弾が飛んでくるかも知れませんから、琴ちゃんも身体を低くしていなさい」
改めて自分の甘さに気づかされた琴音は、時雨の言うとおりにすぐさま身体を屈めます。と、部屋の机とちょうど目線の高さが同じになり、机に置かれた薬の袋と水の入ったコップが目に入りました。コップの横には、空になった薬の包み紙が置かれています。
そんなものを眺めていると、耳にしていたイヤホンから緊迫した音声が流れてきました。
『西側、敵部隊に動きあり。結界に侵入します』
『同じく、北側もです』
「これより敵部隊をこの領域に閉じ込める。見知った顔がいたとしても手を抜く必要はない。指揮官の捕獲を最優先とせよ」
時雨は部隊に指示を出すと、札を部屋の隅にある四個の高価そうな小壺の中へと一枚ずつ落としました。
「あの、それは?」
「結界の新しい媒体です。複製された札で結界を破り、こちら側へ入ったら最後、鳥居とこれを破壊しない限りは出られません」
『こちら西部隊。敵部隊を発見。これより交戦を開始』
『こちら北部隊。同じく敵部隊発見。交戦します』
耳に入る交戦開始の声に、琴音の心臓は大きく脈を打ちました。時雨は続いて、四枚の人型の札を取り出すと、敵の姿が発見されていない南側の窓から外へと放り投げます。
投げられた札は、途端に雀や烏、鳩に変化し、意思があるかのように四方ばらばらに飛んで行きました。
琴音は、あの術に見覚えがありました。清才もかつて、同じような術を使っていたのです。
「あれは……」
「僕の意識を乗せた移し形です。あれらを操って、戦況を把握します」
自分の意識を札に乗せ、遠くの様子を窺うという術は清才もよく用いていましたが、それを同時に四枚も操るところを見たのは初めてでした。しかも、四枚を操りながら、普通に琴音と会話をしているのです。相当な集中力と精神力がなければ為せない業でしょう。
そんな時雨に感心していると、突然外から一発の銃声が響いてきました。琴音は身体を屈めながら、西方向の窓へと近づきます。二階は屋敷を囲う壁が届いていないため、壁の向こう側の様子がよく見えました。
草原には特殊部隊が作った土壁がぼこぼこと建てられており、その土壁を盾にして主戦力部隊の隊員たちが銃で応戦しています。その奥の敵陣と思われる場所にも同じような土壁が建っており、そこからも時折発砲がされていました。
満月に近い月の明かりに照らされた戦場は、琴音の目にはなんとも幻想的に映ります。
『西と北の戦況を報告します。敵陣はどちらもぎりぎりの射程圏内におり、我が軍の後方で控えている特殊部隊の術が届きません』
「移し形を敵陣に近づける。それまで現状維持せよ」
琴音は窓越しからカラスの姿を認めました。カラスは風に乗って降下しながら敵陣の方へと進んで行きます。――が、カラスが敵陣へとある程度近づいた次の瞬間、カラスの胴体は目に見えないなにかによって真っ二つに引き裂かれました。
「おやおや、西側には随分と勘の鋭い術者がいるようですね」
時雨自身には特に損傷がなかったらしく、薄ら笑いすら浮かべています。
「――乾隊長と薙斗補佐、聞こえますか。西側に移し形を集中させます。異常が発生したら直ちに報告するように」
『『了解』』
琴音はイヤホンから聴こえてくる二人の声に耳を傾けながらも、視線は西側の敵陣から離しませんでした。どうして、前に出て来ないのか。琴音はあからさまに前に出てこない敵部隊を不審に思っていました。
一方、西側に移し形を集中させる時雨も同じくこの状況を不審に感じていました。時雨は正面にまず一体の移し形を送り込み、続いて南側、北側と移し形を旋回させて順に一体ずつ西側の側面へと回り込ませます。
が、正面に送り込んだ移し形は破壊され、残る二体も、南側、そして北側という順で破壊されます。しかし、いずれも破壊される直前、敵陣の様子を一瞬だけ見ることができました。
「――全部隊に告ぐ。西側に指揮官発見。しかし、西側正面の部隊は十名ほど。多くの土壁は偽造です」
時雨は報告しながら、西側の監視役が告げていた最初の人数と食い違っている点に違和感を覚えていました。西側の監視役は、大葉城址公園に三十人と告げていたはず。
『――こちら乾。指揮官は龍壬か?』
乾の問いは、特殊部隊全体の士気に関わる内容でした。もし、龍壬であったなら、副隊長として慕っていた特殊部隊員たちにとっては戦い辛くなることは予想できます。しかし、幸いなことに西側にいた指揮官は龍壬ではありませんでした。
「いいえ、龍壬さんではありません。ですが、勘の鋭い術者がいます。移し形を全て破壊されました」
『そりゃ結構な術者だな。――なあ、時雨。罠だったとしても、このまま正面突破して西側を包囲して指揮官を吊し上げた方が早いんじゃねえか』
乾の言っていることは至極まっとうと思われました。このままお互いに前に出なければ、消耗戦になりかねません。そうなると、武器を多く備えているわけではないこちら側が不利となるでしょう。
しかし、あの術者に見覚えがあった――いえ、正確には見たことのない男ではありましたが、感覚的にあの男を知っていたのです――時雨は、乾の意見を素直に受け入れようとは思えませんでした。
「――西部隊に告ぐ。特殊部隊は主戦力部隊の後方に土壁を新たに設置し、主戦力部隊は敵部隊に悟られないよう速やかに後方へ撤退せよ」
時雨は西の自軍に敵部隊には内密に一時撤退を命じるなり、イヤホンの電源を切って西側の窓の外を眺めている琴音に声を掛けました。
「琴ちゃん、君、化け狸でしたよね」
「そうですけど」
「少し、力を貸してくれませんか」




