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3


 元来た道を戻り公園に続く坂を下ると、そこにはもう子どもの姿も主婦たちの姿もありませんでした。琴音は少し安心し、神社へと向かいます。


 夕方の神社はさっき来た時よりも更に暗くなったように思えました。頭上を烏が鳴きながら飛んで行きます。


 琴音は賽銭箱の前に腰を下ろし、買って来たメロンパンを齧りました。そして、これからすべきことを考えます。


 明日はその幽霊とやらに会うために、もう一度大葉城址公園に行く。情報がなにもないため、少しでも手掛かりを掴もうと、幽霊にも縋る思いでした。


 メロンパンを食べ終え、することもなく琴音は立膝をついて膝に顔を埋めました。三月上旬と言えど、夕方はやはり冷え込みます。衣食住が保障されていたあの生活が、どんなに満たされていたものであったかを思い知らされます。


 ――そういえば昔、龍壬さんに神社に家出した子どもの絵本を読んでもらったっけ。


琴音は目を瞑って、幼い頃のことを思い出しました。


 幼い頃の琴音は、よく龍壬に絵本を読み聞かせてもらい、この時代の現世のことを学んでいました。現代の平仮名や漢字が読めるようになるまでは、琴音にとって絵本が教科書だったのです。


そのため、家族と一緒に公共図書館に行って絵本を借りた覚えがありました。あの絵本を読んでもらった所も公共図書館でした。


 子供用の閲覧スペースで、身体を小さくしてパパと龍壬が椅子に座っていたのがおかしかった。琴音が絵本を持ってくるのを待っている間、パパは少年漫画を読んでいて、静はパパの隣で違和感なくちょこんと座って少女漫画を読んでいました。


向かいでは龍壬が大して興味も無さそうに図鑑をめくっていました。


「龍壬さん、この絵本読んで」


 琴音は目についた絵本を、直ぐに龍壬に持って行きました。読む役は決まって龍壬だったのです。


「琴音、たまにはパパが読んでやってもいいんだぞ?」


「龍壬さんの方が上手だからいい。パパのは感情が籠ってないからだめ」


「だよなー、パパより俺の方が読むの上手いもんなー」


 龍壬に娘を一人占めされることが気に食わないパパは、子どものように膨れていました。そんなパパに、静は少女漫画を渡して読み聞かせてとねだります。棒読みで女口調を話すパパを、司書さんは笑いを堪えながら見ていました。


「はいはい、俺たちはこっちで絵本読もうな」


 龍壬は他人のふりをして二人から距離をとりました。そして、琴音が持って来た絵本を受け取ります。


「『家出』? お前、随分と物騒な絵本持って来たな。……家出したいのか?」


「家出ってなに? 出家とどう違うの?」


 龍壬は出家という、現代では馴染みのない言葉を聞いて顔を引きつらせていました。


「家出は家族とかに不満があったりして、勝手に家を飛び出すことだ」


「家を勝手に飛び出して、どこに行くの?」


「自分の家じゃないどっかだよ。とりあえず、読んでみるか」


 龍壬は絵本を開いて、琴音に読み聞かせました。


 内容は、小学生の男の子が母親と喧嘩をして、近くの神社に家出をするというものでした。男の子はその神社で不思議な生き物たちと出会い、不思議な空間でいつまでも遊んでいました。けれどやがて、母親が恋しくなりわんわんと泣き出してしまいます。


不思議な生き物たちが宥めるも、男の子は「お家に帰りたい」と泣き叫びました。すると、いつの間にか元の神社に戻っています。遠くからは自分を探す母親の声がしていました。


「これが家出……家出をしたら、この不思議な生き物たちに会えるの?」


 龍壬が読み終えると、琴音は興味津々でお化けのような恰好をした不思議な生き物たちを指差してこう問いました。


「どうだろうな」


「龍壬さんは、家出したことある?」


 こう問うと、龍壬は肘をついて「うーん」と唸りました。


「いや、俺がこのくらいの頃はしなかったな。――ここだけの話、琴音はしたいと思うか?」


 龍壬は台詞の後半部分をパパに聞こえないように、そっと聞いてきました。


「ううん」


「出て行ったら、自由に能力も使えるぞ?」


「パパには、拾ってもらったご恩があるから。もちろん、龍壬さんにも」


 恩に報いてはならない。これが、琴音の族長の言葉でした。隠世で過ごす時間は長くはありませんでしたが、この族長の言葉だけは大事に守っているのです。


「家族なんだから、ご恩とか堅苦しいこと言わなくていいんだぞ。まあ、嫌でも子はいつか旅立つからな。そうだな――一回、俺と家出してみるか?」


 龍壬はいたずらを考えついた子どものような顔をしていました。と、さっきまで少女漫画を音読していたパパが顔を出してきました。


「おい、さっきからなにを二人でこそこそ話してんだ?」


「駆け落ちの計画立ててたわよ」


 静の一言でその場の空気が凍りつきました。

「うちの娘と駆け落ち計画たあ、いい度胸だな?」


 パパの表情は満面の笑みでした。近くで作業をしている司書さんへの配慮であったかも知れませんが、殺気だけは隠しきれていませんでした。


「っんなわけねえだろ。なあ、琴音?」


「駆け落ちがなんだかわからないけど、龍壬さんはただ、あたしと家出しようって言っただけだよ」


「琴音、パパはこれから龍壬と大事な用事があるから、少しここで静と待ってなさい」


 それから、龍壬はパパに連行されました。琴音は龍壬がどこに連れて行かれたのかわかりませんでしたが、二人が戻って来た時、龍壬の顔色がとても悪かったことだけは覚えていました。


 何気ない、馬鹿みたいな日常。とても温かかった。


 隠世という家から出た先で、パパがくれた家族。あの頃の琴音は恩があるから家出はしないと考えていましたが、本当は離れられなかったのです。パパや龍壬や静といることを、いつの間にか自分で望んでいたのでした。


琴音は今更ながらそれに気づき涙しました。琴音の涙は、ぽたぽたと雨のように地面を濡らします。


 ふと、顔を上げると、木漏れ日が琴音の顔を照らしました。琴音は思わず顔を背け、目をごしごしと服の袖で擦ります。そして、ぱんぱんと自分の両頬を叩きました。


 こんなこと考えてる場合じゃない。みんなを助ければ、また昔みたいに戻れるんだ。そしたら、きっとお花見だってできる。


 琴音は前向き思考に切り替えようと頭を振りました。そして、振り終えてから、石段から聞こえてくる足音に気づきました。


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