第四章 黄金の護り人
一.
……朝。
保憲は、大広間で食事をしていた。
賀茂家では、食事は皆で摂るという奇妙な習慣があるのだ。
「やあやあ。皆の者、お早う」
突如聞こえた陽気な挨拶に、保憲は眉を顰めた。
わざと視点を飯に向け黙々と食す。
足音が、段々と此方へ近づいて来る。
その間にも四方八方から元気の良いあいさつ挨拶がと飛び交い、足音の主は快く答えた。
そして、保憲の前で止まる。
「保憲、お早う」
しぶしぶ顔を上げると、満面の笑みを浮かべた、父・忠行がいた。
昨夜、怒鳴り散らして別れた為、多少決まりが悪い。
再び飯に視線を落とし、口を開いた。
「……お早うございます、父上」
唇が紡いだのは、蚊の鳴くような声であった。
それでも忠行は笑顔のまま頷き、軽く保憲の頭を撫ぜた。
照れくさくなって飯を一気にか掻き込むと、喉の中に飯がつっかえ、激しく咽てしまった。
「何をしておるのじゃ、御主は」
隣に腰かけた忠行は苦笑いを浮かべ、保憲の背中を擦った。
周囲の暖かい視線を感じ、はっ、と我に返る。
慌てて忠行の手を払いの除け、辺りを睨めつけた。
「……私の顔に、何か付いておるのか?」
「な、何でもありませぬ」
保憲達を微笑ましく見つめていた男達は、一斉に視線を下げた。
重い沈黙が、広間に流れる。
刹那、忠行の言葉がそれを破った。
「――おや、童子がおらぬな」
視線を這わす。
確かに、童子の姿が見当たらない。
「大方、自分の《ねや》寝屋で食しておるのじゃろう。まだ養子になって間もないゆえ故、うまく馴染めぬのかもしれぬ」
忠行は勝手な解釈を呟きつつ、保憲の肩に手を置いた。
「保憲、御主が責任を持って童子の寝屋を見てきてくれぬか」
「な……!」
「頼むぞ、保憲」
何時になく真面目な顔でのたまう忠行に、保憲は閉口し、ため息を吐いた。
保憲は、童子の寝屋の前で立ち尽くしていた。
先程から名を連呼しているのだが、返事がないのだ。
――かくなる上は……。
保憲は御簾をゆっくりと上げた。
「……童子、いるか」
中に踏み込み、声を掛ける。耳を澄ませるが、何の反応も返ってこない。
――おらぬのか。
ふう、と息を吐き、踵を返す。
ふと、足首に何かが絡む感触がした。
白い水干であった。
脳裏に、昨夜の光景が蘇る。
忠行の寝屋を出た時に見かけた、白い布。
目の前にある水干とよく似ていた。
――まさか……。
嫌な予感が、した。
二.
青白い光が、地面を駆ける。
一体の妖が光に包まれ、消えた。
「はあ、はあ、はあ」
童子は流るる汗を拭い、背後を見遣った。そこには、大量の妖異がいた。轟々《ごうごう》と咆哮を上げ、目を光らせている。 ……皆、童子の霊力につられてきたのだ。
ぎらり、と妖異の爪が空中で光る。
「ぐっ!」
爪先で地面をけ蹴り、転がり込む。
素早く体勢を立て直し、刀を抜こうと腰に手を伸ばした。
「痛っ!」
瞬間、迸る痛みに、顔をしか顰める。
思わず緩めた指先から、刀が落ちた。
見ると、袖と腕の隙間から血が流れている。
――こんな筈ではなかったのに。
ぎりっ、と歯を噛み締めた。
声、が。
昨夜聞いた声が、よみがえ蘇る。
『私は童子なぞ、けして認めませぬ!』
そう叫ぶ保憲の顔は、怒りで溢れんばかりであった。
――俺は、保憲に認められなくてはならぬ……!
……身が打ち震える程の悔しさ。
初めて味わう感情であった。
負けたくないと、思った。
揺るぎない強さを願った。
だから、保憲の修業場に来た。そして昨朝の保憲のように妖を倒し、認めてもらおうと思ったのだ。
「――俺は」
ゆっくりと立ち上がり、刀を拾う。
前を見据え、深呼吸をした。
「かようなところで、立ち止まっておる訳にはいかぬ!」
柄を握り締め、駆け出す。
「はあああぁぁ!」
血飛沫が舞い、土が濡れる。
妖異を、一匹切り裂いたのだ。
どどう、と倒れるそれを尻目に、次の標的に飛びかかる。
刀を振り上げた。
が、歯で切っ先を噛みちぎられ、斬撃を封じられた。
ぱきん、と刀の先が折れ、地面に転がった。
「ちっ!」
柄を離し、右手を翳す。蒼い炎が、指先で燃えた。
瞬間、ある光景が脳裏を過ぎった。
……はらはらとこぼれ落ちる紙屑。嘲笑する子供達。血にまみれた、右手。
「っ!」
童子は息を呑み、動きを止めた。
「ぐ……っ!」
吐き気を堪え《こら》、蹲る。
忘れがた難き記憶が、身体中を浸食してゆく。
「誰か……」
助けを求めて手を伸ばした、刹那。背後で、空気が揺れた。
振り向く。
振り下ろされた妖異の手が、視界に映った。
みちっ、と肉に何かが食い込む音が耳を通る。
紅が、水干に散った。
ふと、肩の上に重さを感じた。ゆっくりと、視線を這わせる。
保憲が、童子の身体に覆い被さるようにして倒れていた。
「やす、のり」
身体を起こし、保憲の背中に触れる。
ぬるりとした液体が、掌を覆った。
――これは、血……?
呆然としていると、低い唸りとも似つかぬ声が聞こえた。
「けがは、ないか?」
……保憲の声であった。
「貴様、どうして――」
「討論している暇はない」
保憲は、ぐっ、と腕に力を込め、立ち上がった。
「話は、奴等を倒してからだ」
眉根を寄せ、前方を睨む。
保憲の目線を追うと、数多の妖異共が犇き合っていた。涎を垂れ流し、此方を見ている。彼らの視線は全て、童子へ向けられたもの。それに気づくと共に、額から冷や汗がこぼ零れ落ちた。
「随分と、貴様を不躾な目で見る輩が多いな」
保憲は皮肉を込めた口調で呟いた。すうっと目を細め、冷たい笑みを浮かべる。
それは、美しい鬼のようであった。
「……不快だ。消す」
保憲は、懐から札を取り出し、呪を唱えた。瞳が翡翠色に輝き、指先に光がとも灯った。
凄まじい霊気で、空気が波打つ。
それに伴い、背中が血で染まってゆく。
思わず、腕を掴んで引き止めた。
「保憲、止せ。むちゃだ。元はと言えば俺が蒔いた種だ。俺が責任を持って処理する。だから――」
「戯れ言を」
栗色の鋭い眼がじろりと見下ろしてきた。
「もう十分分かっただろう。貴様如きの力では、妖は滅却出来ぬ。それとも、私の目の前で妖を倒せば認めてもらえるとでも思ったか、莫迦者」
瞳の奥に見えたのは、明らかな拒絶と蔑み。
「……あ……っ」
童子は小さく呻き、俯いた。
「……だが、その勇気は認める。修業も満足に行っていない身で妖に立ち向うなぞ、中々出来ぬことぞ」
「え?」
保憲の言葉に、顔を上げた。
目が合う。
向けられていたのは、何時に無く優しい眼差しであった。
「貴様のそういう無鉄砲さは、嫌いではない」
いつも固く結ばれた口元が、微かに笑っているように見えた。
三.
賀茂家。
忠行は、門の前にいた。
見上げる程巨大なそれは、固く閉ざされている。
忠行は目を閉じ、意識を集中させた。
闇の中で燃ゆる、小さな火――保憲の霊気であった。
「……保憲、童子」
忠行は固く瞼を閉じ、俯いた。それは、祈りにも似ていた。
ふわりと、袖が靡く。血の臭いが、鼻を突いた。
「――!」
忠行は、弾かれたように顔を上げた。
「門を開けよ! 早く!」
門番に命じ、早急に門を開かせた。ぎぃ、と門が軋み、景色が開ける。
初め、目に映ったのは金色の髪。そして、零れ落ちる紅。
血に塗れた我が子が、其処にいた。童子に背負われ、ぐったりと身を背中に委ねている。
「保憲!」
思わず駆け寄る。
抱き抱えた保憲の身体は、流れる血の量と比例するかのように軽かった。顔は青白く、荒い息が唇から漏れている。
「……いかんな」
忠行は小さく呟き、門の中へ戻ろうとした。
……突如、後ろに身体が引かれる感覚がした。
振り向く。
蜜色の瞳と、視線が交わった。
その眼差しは、恐怖に染まっている。
「保憲は……、保憲は死んでしまうのですか?」
「滅多なことを言うでない!」
自然と、怒声を発していた。
自分が一番不安を感じていたことを童子に口にされ、戸惑ってしまったのだ。
「……は、申し訳ありませぬ」
俯く童子を見て、忠行は強い罪悪感に駆られた。
一番しっかりしなくてはならないのは自分であるのに、こんなにも取り乱して良いはず筈がない。
「――童子」
童子の頭に手を置き、優しく撫ぜる。
「案ずるな。保憲は死なぬ。奴はああ見えて、頑丈な男だからな」
「……忠行殿」
童子の視線が上がる。
保憲を見、おずおずと忠行を見つめた。
「忠行殿。俺に……陰陽道を教えていただけませぬか」
「何?」
予想外の言動に虚をつかれ、思わず聞き返した。
童子は地面に手を付き、深々と頭を下げた。
「場違いなのはわかっております。なれど、今こそ言わせてください。俺は、他人を守る力が欲しいのです。もう他人に守られているばかりの存在ではいたくありませぬ。――だから」
童子は顔を上げ、忠行を見据えた。
「俺を、弟子にしてください」
四.
「……う……っ」
闇の底から、小さな呻きが聞こえた。
それが、自分の唇から漏れていることに気づき、そっと瞼を開く。
瞬間、反転した視界の中に、見慣れた天井が映った。
――私の、寝屋か。
頭を動かすと、額からするりと何かが落ちた。
目の前が暗くなり、冷たいものが皮膚を覆う。
「っ!」
思わず、起き上がった。濡れた布が腹の辺りに落ちる。
「これは」
布を拾おうと、手を伸ばした。
「ぐうっ!」
背中に鋭い痛みを感じ、小さな悲鳴が唇を割る。
瞬時に、その原因を思い出した。
背中を負傷した保憲は、妖異達を滅却した後、童子の前で倒れてしまったのだ。
「……誰が私を介抱したのだ」
礼を言おうと辺りを見渡すが、寝屋の中には保憲以外誰もおらぬようだった。
「ふむ……」
保憲は再び布に視線を戻し、小さく首を傾げた。
刹那、背後から障子の開く音が聞こえた。
寝屋中に、草花独特のむっとするような濃い香りが漂う。
「椿樹か」
名を呼ぶと、芳香の主がくつくつと喉を鳴らした。
「漸く目を覚ましましたか。貴方が眠っている間、大変だったのですぞ。色々と」
保憲は振り向き、目の前で微笑みを浮かべて佇む男――式神を睨んだ。
「私の看病が、か? 大方父上にでも命じられたのだろう。貴様、私の式の癖に何をこ扱き使われておるのだ」
「否、看病していたのは私ではなく安倍童子殿です」
「何だと」
予想外の名に、保憲は目を見開いた。
その様に、椿樹はくすりと笑みを零し、障子の外を見遣った。
「まあ、今はかような状態ですが」
障子を開き、覗き込む。しかし、前方には何もない。
ふと、小さな寝息が足元から聞こえた。
視線を、下にずらす。
……童子が、障子に寄りかかって眠っていた。両手で、水の入った桶を抱えている。
保憲の後で、椿樹が言う。
「一日中貴方につきっきりだったゆえ故、相当疲れたみたいですな。童子殿もけがをしていましたし、休むように言ったのですが、全く言うことを聞かなくて」
椿樹は障子を更に開き、起こさないように慎重に童子の手から桶を取り上げ、床に置いた。
そして童子を抱え上げると、保憲が寝ていた畳に寝かせた。
「保憲殿があんなにも冷たくなさっているのに……本当に自分に正直な良い人ですな。誰かさんとは大違い」
「煩い」
保憲は再度椿樹を睨めた。
「貴様も呪の餌食になりたいようだな」
懐から札を覗かせると、椿樹の肩がぴくりと跳ねた。
「え、遠慮しておきます」
「ならば、何か食べるものを持って来い。二人分だ」
突然の命令に、椿樹はきょとんとした顔になった。
「二人分でございますか? まさか保憲殿お一人で平らげるおつもりでは――」
「――否、童子と私の分だ」
椿樹は一瞬目を瞬かせ、くすくすと笑った。
「では、夕餉が用意してありますので、早急に持って参ります」
「ああ」
次第に遠ざかる衣擦れの音を耳にしながら、目の前で眠る童子を見下ろした。
――まさか此奴が、私を介抱するとはな。
しゃがみ込み、まじまじと見つめる。
穏やかな寝顔であった。いつもは大人びた雰囲気を纏う童子が、幾らか幼く見える。
「ふん。黙って寝ておれば多少はかわいいものを」
髪をな撫ぜる。それは、汗でしっとりと濡れていた。
「……ん」
童子が顔を顰め、僅かに身じろいだ。起こしてしまったかと内心焦った保憲は、咄嗟に手を引いた。
瞬間、引こうとしていた手を掴まれ、抱き寄せられた。
「!」
抵抗する間もなく、童子の腕の中にすっぽりと納まってしまった。
「っ、貴様……」
さすがに童子を起こそうと、口を開く。
すると、何とも言い難い良い香りが、口内に広がった。
……どくん。
甘い疼きが、身体中に広がる。
百鬼夜行に出くわした夜にも、味わった感覚。
意識が、今にも強い波にさら攫われそうな感覚。
――何をしているのだ、私は。
崩れそうになる理性を制し、目を逸らすと、童子の着ている水干の襟元に目がいった。僅かに乱れ、白い素肌が露わになっている。
「――!」
ごくり、と喉を鳴らす。
手を伸ばし、襟先を掴んだ。
「……父上」
突如聞こえた、声。
今にも消えてゆきそうなか細いものであったが、保憲の暴走する理性を引き戻すには充分であった。
はっ、と我に返り、童子を見つめた。
保憲にしがみ付き、すやすやと寝息を立てている。
「まだ、子供ではないか……」
息を吐き、頬に手を添える。
「此処は女子供が来るべき場所ではないのだぞ。早く去ねば良いものを」
胸が、小さく痛む。
この間までは、感じることのなかった思い。
寂しさに似たようなもの。
「私はどうしてしまったのだ……」
小さく、呟いた。
その直後、再び障子が開く。
「保憲殿、夕餉を持って参りまし、た……」
突然の侵入者――もとい椿樹の声が、止む。
見ると、椿樹は夕餉を持ったまま固まっていた。彼の視線の先には、密着する二人の姿。
「し、失礼しました!」
ぴしゃんと、勢いよく障子が閉められた。
「椿樹」
「いや、どうぞお構いなく。ご安心して、御二人でしっぽりとしてくだされ」
障子越しに聞こえる椿樹の声は、心なしか弾んでいる。
……明らかに、誤解しているようだ。
焦って立ち上がろうとするが、童子に抱きつかれている所為で思うように動けない。
「……保憲?」
不意に束縛が解け、身体が自由になった。
童子が、目覚めたのだ。
保憲は慌てて障子を開けた。
其処に椿樹の姿はなく、足元に二人分の御膳が置いてあるだけであった。
がくり、と肩を落とす。
このことはやがてもう一人の式の耳にも入るであろう。そうなった時のことを思うと、益々《ますます》憂鬱な気分になった。
「何をそんなに落ち込んでおるのだ?」
事情を知らぬ童子は、首を小さく傾げた。
「……否、こちらの話だ」
保憲は障子を閉め、御膳を童子の元へ運んだ。童子が心底驚いた顔で保憲を見つめた。
「一日中動いていた故、腹が減ったであろう。食べるが良い」
「あ、ああ」
童子が頷くと共に、保憲は食事を始めた。
ふと視線を感じ、顔を上げる。
童子が、こちらを見つめていた。箸は片手に収まってはいるのだが、微塵も動いていない。
「……何だ」
堪りかねて、声を掛けた。
童子は肩を僅かに竦め、俯いた。
「……実は先程、忠行殿に弟子入りをしたのだ」
「ほう、父上は何と?」
「忠行殿は、喜んで引き受ける、と」
「そうか」
保憲は頷き、姫飯を口に運んだ。
「……反対しないのか?」
童子の言葉に、ぴたりと動きが止まる。
今まで保憲は、童子の忠行への弟子入りに頑固反対だったのだ。
しかし、童子から弟子入りをしたと聞いても、以前のような怒りは沸いてこなかった。寧ろ、それとは逆の感情が保憲の胸に渦巻いていた。
「……確かに貴様の霊力には目を見張るものがある。父上のおっしゃる通り、陰陽師には向いているといえよう。だが、その霊力にはまだ斑がある。下手をすれば今朝のように妖異を呼び寄せてしまうやもしれぬし、様々な危険がついて回ることになろう。それでも貴様は陰陽道を学びたいと思うか?」
「ああ」
頷く童子の目から、迷いは感じられなかった。
――良い目だ。
保憲は浅く息を吐き、瞼を伏せた。
「ふん、ほんとうに強情な奴だ。……ま、良いだろう。貴様が一人前の陰陽師になるまで迄、私が守ってやる」
「――何や、かっこつけおって。もっと素直にならんかい」
突如聞こえた声に、保憲は顔を顰めた。
――来たか。
視線を、後ろへ向ける。
其処には、一人の青年が立っていた。
人好きのしそうな雰囲気を持ってはいるが、その声も顔立ちも保憲と酷似している。容姿で唯一保憲と違うのは、群青の髪色であった。
「保憲の兄弟か?」
童子の質問に答えようと口を開いた瞬間、青髪の男に押し退けられた。
男は童子の両手を握り、満面の笑みで自己紹介を始めた。
「はじめまして! わてはやっすんの式で歪って言うんや! これからよろしゅうな!
あ、さっきのやっすんの言葉は気にせんでええで。あいつ、中々素直やないさかい。ほんまは自分にかも賀茂家にいて欲しいだけやねん」
「はあ……」
「歪、余計なことを言うな」
保憲は歪を童子から引きは剥がそうと手を伸ばした。だが、あっさりかわされた。
「っていうか良く見たら自分、ごっついべっぴんさんやんか! 名前、なんて言うんや?」
矢継ぎ早に捲くし立てる歪に、童子は押されつつも答えた。
「あ、安倍童子だ」
「さよか! じゃあ姫さんって呼ばせてもらうわ!」
「俺の名前に姫と呼ぶ要素なぞないはず筈だが」
「だって自分、お姫さんみたいにかわええんやもん」
いつの間にか、歪の手が童子の腰に回っている。
保憲の胸に、小さな怒りが込み上げた。
「歪、いい加減に童子から離れろ」
保憲は歪の肩を掴み、童子から離れるように促した。
眉根を寄せる保憲とは対照的に、歪はにまにまと意地悪い笑みを浮かべた。
「何や、やっすん。一丁前に嫉妬か?」
「違う。……あと、その呼び方はやめろ」
「へいへい。せやけど、それを言うなら姫さんも同じやろ? 賀茂家に自分のこと呼び捨てにする奴なんて、忠行のおっちゃん以外おらへんで?」
――確かにそれもそうだ。
保憲は童子に目を向けた。
「別に良いではないか。見た目だけでいえば俺と貴様の年齢は同じにしか見えぬ」
童子は微かに笑みを浮かべてそう返した。
「なっ……!」
保憲のこめかみに一筋、血管が浮かぶ。
保憲と童子の身長は大差がない。寧ろ童子の方が高く見えるくらいだ。
保憲にとって低身長は弱点であり、禁句であった。
「ぷっ、くく……」
隣で必死に笑いを堪えて悶絶している式が、目に映る。ぷつんと、何かが切れる音が聞こえた。
懐に手を入れ、札を取り出す。
「――そういえば、貴様への躾がまだであったな。童子」
「や、やっすん。ちいと落ち着き。相手は十歳の子供なんやから」
「貴様にも躾が必要なようだな。主人に対する正しい態度というものを今からその頭に刻み込んでくれる」
慌てて保憲を止めようとする歪の鼻先に、札が突きつけられた。翡翠の光が、札を包み込みながらめろめろと燃えている。。
「ひぃっ!」
歪は大きく息を呑んだ。
「あ、あんまり気にせんでも大丈夫や! やっすんは目つき悪いし無愛想やけど、それを身長でうまい具合に隠せているんやで? 所謂かわいさ三割り増しってやつや! しかもやっすんは男やから、身長なんてこれからいくらでも伸び――」
ゆらり。
寝屋中の空気が揺れた。
保憲の放つ冷気が、歪と童子を包み込んでゆく。
「あ、あれ?」
「……余計に煽ってどうするのだ、莫迦」
予想外の出来事に戸惑う歪に、童子がぼそりと呟いた。
保憲はそんな二人を、冷やかな目で見据えた。
「……殺す」
彼らしからぬ物騒な言葉を吐き、札を持つ指先に力を込めた。
五.
「ん?」
渡殿を歩いていた忠行は、突然足を止め、後ろを振り返った。
「どうかされましたか?」
隣にいた椿樹も、つられて振り向く。
「今、保憲の寝屋から凄まじい霊気のけはいがしたのじゃが。あと悲鳴らしきものも聞こえたぞ」
「……大方、邪魔が入ったのでしょうな」
椿樹は、ほう……とため息をつ吐いた。
「は?」
「否、こちらの話です」
椿樹は袖で口元を隠し、俯いた。
表情はわからぬが、恐らく微笑んでいるのだろう。心なしか楽しげに見える。
「保憲の奴が、暴れておるのか」
「恐らく。とんだお預けを食らったのですから当然でしょう」
「全く、けが人の癖に困った息子じゃ」
「本当ですな。よわい齢十四の癖にお盛んで」
「――ところで御主、保憲の所へ行かなくても良いのか? 一応、保憲の式であろう?」
忠行の質問に、椿樹は蒼い目を移ろわせ、頷く。
「ええ。とばっちりを受けるのは御免ですからな」
「ま、そりゃあそうじゃな」
二人は微妙に成り立っていない会話を交わしつつ、再び歩き出した。
……彼らの誤解は、直ぐに解かれることとなる。
必死の形相で童子を抱えて走ってきた式神と、それを追う黄金の鬼によって。
漸く第一部が終わりました。
如何でしたか?
この小説は陰陽師を媒体として取り扱ったものです。
文は拙いですが愛はたっぷり籠もっています←
誰もが知っているカリスマ陰陽師・安倍晴明を女として登場させるとんでもない小説ですが('A`;)
因みに筆者の一番のお気に入りキャラは保憲です……読者人気、出たらいいな←
第二部は近いうちにまた公開する予定です。
お楽しみに!




